110話 身辺整理、決戦前夜
「よいしょっと………まぁこんなもんかなぁ」
部屋を整理し終わり、額の汗を拭う常詩。数時間前に、久しぶりに会った尚無鏡からこんなことを言われた。
『彼等が回収している宝剣が一本破壊されてしまって……多分数日もしない内に宝刃戯派がここにやってきます──────』
鼻を鳴らし、壁に寄り掛かる。
「やっぱこうなっちゃうか……約束なんてしなければよかったなぁ。いやでも、あんなヤバい奴、今まで一度も見たこと無かったからな……はっ、好奇心は猫を殺すか」
独り言。誰も居ない空間に言葉を吐きかける。恐怖心を隠すためなのか、はたまた楽しみを抑えきれず心にもないことを無意識に出しているのか自分には判らなかった。ただ一つわかること、それは─────
「─────────」
窓から国を眺める。
もしかすれば、今こうして見ている景色はもう見られないかもしれないということ。
死ぬつもりなど毛頭ない。されど、今まで感じることがなかったあの震えは、日が経った今でも覚えている。心の奥底で何かが蠢く時は、いつも外に出て釣りに出ていた。潮の音、釣れる楽しさ、それを加味しても収まるのは一時的だった。
「……最強かぁ──────浮かれてるな、こんな肩書を背負うなんて」
がらんどうの部屋に立つ常詩に、射精した直後のような虚無感が侵食する。今自分が呼吸しているかもわからない。
瞬間、コンコンと部屋にノックの音が飛び込んだ。常詩は咄嗟に振り向いて扉を開ける。そこには、短日衛団団長・巍儀芳が立っていた。常詩はいつもの調子で彼女に話しかける。
「おうどうした?何か用か?」
「は、はい。少し離れた場所にある廃村の近くに住んでいた民達の移動が終わりました─────えっと、国主…本当にするんですか?」
本当にするのか─────彼女は本当に赤霄と殺し合うのかと半信半疑になっている。常詩は巍儀芳の頭にそっと手を置いて答えた。
「もちろんだ。だから、万が一ボクが死んだら、君がこの国のトップだからね。もう一度、今度は強く言っておく…万が一、だからね。そう心配そうな顔をするな。ボクを、人類最強であるボクを信頼してないのか?」
「いえ……そういうわけでは」
ハハッと軽く笑い、乗せていた手を優しく弾ませて、立ったままの巍儀芳とすれ違うように常詩は部屋を出ていく。そして、置き土産の如く、たった一言だけ呟いた。
「必ず、この国に吉報を届けるよ─────」
そのまま常詩は階段を下りていき、この階に静寂が訪れた。だんだんと消えていく常詩の背中を眺めながら、巍儀芳は心の中で呟いた。
ならばどうして…身辺整理などをしているのですか……念のため、ですか?死にに行くわけではないんですよね………?
◆
ドクン。
馬車に揺れながらいつぞやと同じ感覚が体の奥で奔った。これからのことに備え、精神を統一させていた瞬間にそれが鼓動した。
流れ行く、千年前のあの記憶が垣間見える度に、それを拒むようにおれの精神を乱す、あの波紋が………。
「─────邪魔だ」
本当に邪魔だ。これから死ぬかもしれないという戦いが訪れるというのにくすぐるようなこれは本当に邪魔だ。今すぐ自分の胸を斬り裂いて直接心臓を掻いてやりたいくらい鬱陶しい。
「─────────」
雑念を振り払う。
この体があの記憶を雑念だと認識して乱すのであれば、今はこちらも雑念として振り払おう。
短日国主・常詩。人界最強の人間。太阿との戦いでは傷一つ負うことなく完封。奴はまだガキだが実力がないわけではない。ましてや魔剣を持っている。そんな相手に傷を負わず、一方的になぶり殺すその強靭ぶりは耳にするだけで震えが走る。無論、それは恐怖などではなく武者震い。
ガタンと、一際大きく馬車が揺れる。
瞬間、御者が窓越しにこちらに話しかける。
「赤霄様、そろそろ短日国に到着いたします」
「ああ」
赤霄はそう短く返事をして、手前に置いている赤い魔剣に目を向ける。
魔剣・赤霄────それを包む封布・斬蛇。
赤の剣身を包む赤い布。いつか手に入れた、かの剣術に馴染む魔剣。その剣を以って、おれはあいつを殺すと誓ったはずだ。
ドクン。
いや、これはあの最強を殺して、宝剣を奪うためのもの。我々は、解放される世を見届ける第一の傍観者。選ばれし剣神の子。
「──────────」
無心になろう。何もしていない時間があるだけで、そしてあのうるさい女が居ないだけでここまで雑念が生まれるのか。それもそうか。ごちゃごちゃした部屋を家具ごと片付けられた部屋に立たされているような感覚。あれが毒であったとしても、それは体に入れなければならない毒であったかと理解する。
だとしても、あの味は嫌いだ。
「ス──────」
唇の隙間から息を漏らす。御者によればそろそろ到着するようだ。
今はただ、常詩のことを考えるだけ──────
◆
廃村近く。宝刃戯派がここに訪れる前に、尚無鏡達と常詩が赤霄についての情報を共有する。
「なるほど……つまり、崩───光琅は、蛇に変身した赤い布に飲み込まれて、一時的に型を封じられた……ということか」
「始めは術色を剥奪されたと思ったんですけど、自分の中に術色の気配は残っていたのですぐに気付いたんですが……」
「まぁ、気付いたとしても、解決できなければね………」
尚無鏡はその話を聞いて、もしいつか私も赤霄と戦うことがあって型を剥奪された場合、どうやって立ち回るかを考えていた。だが答えは出ず。寧ろ逃げ回っている自分しか想像できない。
すると、傍に立っている陳湛が常詩にこう尋ねた。
「仮に常詩様がそれをくらった場合、剥奪されるのは一つだけなのでしょうか。それとも型という概念全てなのでしょうか」
「それはボクも気になっている。三つ一気に使えなくなるのか、それとも一つだけか。それも狙ってなのかランダムなのかもね。ま、そん時はそん時で、色々と考えるとするよ」
「すごく楽観的ですね……僕にはとても……」
「これが最強だよ」
常詩が木煙にそう返す裏で、ふと尚無鏡はあることが気になった。スッと陳湛の元に近づいて本人に聞こえないように尋ねた。
「ねぇねぇ陳湛。ちょっと関係ないんだけどさ─────」
「はい、何でしょうか?」
「光琅と仲直りしたの?」
「───?仲直りとは?」
「いや、この前まで私のことでいっつも喧嘩してたじゃん。何か大人しいなぁって思ってさ。今思うことかはわからないけど…」
尚無鏡の言った言葉に、陳湛は懐から出した扇をバッと開いて、口元を隠しながら答えた。
「……あの時は、出処もわからない馴れ馴れしい男としか思ってなかったので……今は彼が光琅とわかったので特に何とも思わなくなりました。それに─────今は、私と仙華様は繋がっていますので」
確かにそうではあるんだが………。
「………そんな赤い糸みたいに言わないでよ」
「赤い糸どころじゃありませんよ。もう、私達は一つです」
「キモいこと言わないで!」
光琅と陳湛の関係は変わったけど、陳湛自体は変わらないようだ。とにかく、喧嘩組が減っただけでもありがたい。魏君と木煙もいい加減仲良くなって欲しいものだ。
瞬間、我々の後方から「国主!」と常詩を呼ぶ短日衛団の一人が走ってきた。常詩は振り向きながら「どうした?」と一言尋ねる。
「彼等………宝刃戯派が短日国に到着しました!」
「──────遂に来たか」
切らした息を整える衛団員と常詩以外、その時が訪れたのだと生唾をゴクリと飲み込んだ。