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【Q】

 


 私たちは、遅刻する。



 ☆ ☆ ☆



 夢を見た。


 遠い昔のことのように色合いが乏しいのに、近未来のような鮮明さで風景が見えた。


 宇宙だった。


 いくつもの煌めく星は、私より後方にあった。

 私はロケットに跨り、宇宙服を着て手を伸ばしていた。


「宇宙の深淵を、掴むんだ」


 信じられないくらい遠くまで来て、誰も知らない果てにあるものを手に入れようとしていた。


「……あと少し……」


 手を伸ばすことに夢中で、ここまで私を運んできたロケットを蹴り上げて、思わず飛び上がってしまう。


「あ……」


 蹴り上げた反動で私から離れていくロケットは、摩擦の無い宇宙空間を滑るように私から離れていく。どうしよう。独りぼっちの宇宙迷子の中で、私はじたばたと不格好に手足を動かすが、人のいないこの空間では誰もそれに気付かない。


 胸が苦しくなった。

 何かのように吠えて泣いた。


 求めていた宇宙の深淵もいつの間にか見失って、私は襲い来る孤独に震えた。


 膝を抱え蹲り、ただの藻屑になる恐怖にひたすらに怯える私に、あの無邪気な声が聞こえてきた。



 「アイちゃん、行こう」



 それはまるで、

 私をブランコに誘うような言い方で。



 ◇



 朝。


 目が覚めると私の両目は痛いほど腫れあがっていて、窓から射す朝陽が赤い瞼を容赦なく攻撃してきた。起き上がる決意が削がれそうになって、そこで慌てて今朝は父が家にいることを思い出す。顔を洗って制服に着替え、朝食を作り終わったタイミングで父がダイニングに入ってきた。


 「「おはよう」」


 同じタイミング、同じテンションで偶然呟く似た者同士の父子は、そんなことにいちいち反応したりしない。昨晩の味噌汁の残りに目玉焼きと味海苔を足した簡単な朝食に手を合わせ、ニュースを見ながら二人で食べた。

 いつもの平日、いつもの朝の父がいるバージョン。

 うん。今日もいつもと同じだ。

 昨日色々あったけれど、私達の生活は特に何も変わらない。


 加数0の足し算。

 ホースシュー・シュリンプ。

 Just as usual。



 ◇



「「いってきます」」


 学校に通学する私と墓参りに行く父が玄関を一緒に出た時、家の前の道路のちょうど隣家との間のあたりで、蓮太が私を待っていた。


「おはようございます。お久しぶりです」

「おはよう、蓮太くん」


 蓮太と父が挨拶するのを横に見て、私は並木道の方向に歩き始める。私の検証の対象になってしまった二人にそこはかとない罪悪感を感じて、私はよく顔を見れない。


「蓮太くん、アイをよろしく。ひとりにならないように」

「はい」


 父の無意味な小声は十分に私の耳に届いていて、私は赤面する。翻って墓参りに向かった父を背中で見送って、蓮太が私に追いつくのを待った。


「おはよう蓮太」

「うん。おはようアイ」


 幾分硬い表情の蓮太と向かい合う。昨日公園で別れてから、蓮太とは何の連絡もとっていない。夜寝る前に窓から隣家の二階の様子を伺ってみたけれど、ずっと部屋の明かりもデスクライトも灯る気配は無かった。


「……あした……て言ってた」

「え?」

「昨日。蓮太『あした』って言って帰ったよ」

「……そうだね」


 とりあえず行こう、と体を並木道の方に向けた。今日は話さなければいけないことがたくさんある。校門に着くまでの一本道に、私は頭の中で複雑なロードマップを広げた。


「……蓮太、あのさ」

「ごめん!」

「?」


 歩きながら、蓮太が目を瞑って首を垂れる。

 私を遮る蓮太の声の方が少し大きくて、イニシアチブが移った会話の行く末が読めなくなった。


「せっかくアイが本当のことを話してくれたのに……酷いことを言ったと思う。心から、ごめん……」

「いい。狂っているのは間違いないもん」

「いや!その……」

「あ、えと、そういうことじゃない。本当にいいの。いじけてる訳でも怒ってる訳でもなく、自分が普通じゃないのはよく分かってるから……。少し自覚と心の準備が足らなくて、ちょっとショックは受けたけど」

「だから、あの、なんていうか。俺、びっくりしたっていうか」


 それはそうだと思う。ずっと一緒だった幼馴染みから、唐突にあんな狂気の告白を聞かされて、正気でいれる訳がない。


「ちゃんと謝ろうと思った。アイのこと理解しようと思ってた筈なのに、そう決意していたのに、突然のことで腰が引けてしまって……すごく恥ずかしい。申し訳なかったと思ってる。本当にごめん」


 それでも蓮太は、ちゃんとひと晩で整理して、私を受け入れようとしてくれている。その気持ちは、痛いほど伝わってくる。


「怒ってないよ。私もたぶん、びっくりしただけ。忘れよう?」


 すると蓮太は体を斜めにして、あらためて私の顔を見て言う。少し泣きそうなその表情が、愛おしいと思った。


「いや、忘れない。一生憶えてる。昨日俺に言ってくれた全てをひっくるめて、あらためてアイのことを知っていこうって、そう思ったんだ」

「……本気で言ってる?」

「ああ。本気だ」

「怖く、ないの? 私が」

「怖い? そんな風に思ったことは、一度も無いよ」

「……私、なんて言うか……蓮太と正反対の人間だよ? 蓮太の正義や優しさに甘えていい人間じゃない」

「そんなことない。やっぱり、あれは事故だと思う。よく考えてさ、こどもの純粋な好奇心が命の重さに勝ってしまうことも、絶対に無い話じゃないって、そう思った。大きくなった今は常識的に思うことも、欲求に素直で従順な小さい幼稚園児に、その時常識と考えられなかったことだって、あるって思ったんだ」


 蓮太はきっと、その純んだ心でそんな推論をいっぱい考えてくれたんだ。ガチャガチャに鋭く尖って危険な私の『本当のこと』を、傷付けずにゆるく包みこもうと優しく受け入れている。


「アイは、何も悪くない」


 蓮太の両の目尻から、ひと粒づつ非対称に零れていた。

 この人は本当に優しいから、想像も出来ないような葛藤を嚙み砕いて、降りかかった疑問に答えを見出そうとしてくれている。私はずっと、蓮太の優しさに気付かないふりをして甘え続けているだけだ。

 私はハンカチを取り出し、片方づつ蓮太の頬を拭う。のけぞるようにビクッと震えて、それでも大人しく拭かれてくれて、少し笑けた。


「いっぱい考えてくれて、ほんとにありがとう。

 ……でもね、私は今でも、そしてこれからもやっぱり、この検証癖はなくならないと思う。我慢できないの。どうしても、自分で確かめたいことは、ちゃんと検証したくなっちゃうと思う」

「いいんじゃないかな。それが、相葉アイだ」

「蓮太にもきっと迷惑をかけてしまう」

「平気だよ。いつまでも一緒ににいるなら、それは当たり前の事になる。どんどん迷惑かけろ。ずっと友達なんだから」

「……そっか」


 二人で並んで、並木道をゆっくり進む。

 天気予報通り風も弱くて、太陽は少しづつ熱を帯びてくる。歩きながら蓮太が鞄からスポーツドリンクを一本取り出し、「昨日当たったやつ」と笑ってそれを飲んだ。当たりに焦ってボタンを押した蓮太を思い出して、私はまた自然と笑えて、蓮太はそんな私を見て少し驚く。


「笑ってるアイも、久しぶりでいいな」



 ◇



 校門が見えてきた。

 今日の担当の先生は、英語の三村先生のようだ。

 ゆっくり二人で歩いてきたから、遅刻ギリギリの時間になってしまっていた。充分に間に合う距離だが、今朝はこの並木道がなんだか愛おしい。


「今日は、朝練は無かったの?」

「ん、サボった」

「……どうしてこう、私を構う人達はサボりたくなっちゃうのか」

「え?」

「お父さんがね、自分が休みだからって、今日お母さんのお墓参りに一緒に行こうって」

「平日だもんな。今度、俺も一緒に行っていいか?」

「うん。私も、蓮太と一度一緒に行きたいって思ってた。お母さんに伝えたいこともある」

「え? 何かあった?」

「うん。昨日さ、お父さんとたくさん話したんだ。たぶん、初めてあんなにお話したと思う」

「そうなんだ。よかったな。何かいい話聞けたのか?」

「うん。とびっきりの、素敵なお話」

「へえ。聞きたい。どんな話?」


 疑問が生じた。


 父とお母さんのあんなに素敵なお話を、友達にどんな話と伝えればいいのか。


 疑問が生じたら、すぐ検証。


 友達は、素敵なものを端的に伝えても、私の表情で読み取ってくれるのか。

 私は人差し指を立て、自分の顔を指して答えた。


「“愛”のはなし」


 頭の上に?マークを付けて、蓮太は口を『~』みたいにして首を傾げている。


 結論。演算速度は遅いが、きっと友達は読み取って理解してくれるだろう。



 ◇



「あ、そういえばさ、聞いていいか?」

「何?」

「アイ、一問だけ間違ったって言ってたよね? 殆ど満点だったのに」

「ああ、うん」


 興味津々といった感じで、蓮太が私の前に回り込む。後ろ歩きの蓮太に合わせて、校門へ進む速度がますます遅くなった。二人の通学の意図的なオーバータイムを、蓮太も目論んでいるのが分かった。にやにやと楽しそうな蓮太の表情が、私を少し饒舌にさせる。


「どの教科で間違ったんだよ。もったいないっていうか」

「ああ、英語。単語問題。配点2点のやつ」


「単語? なんでそんなの取れなかったんだよ。出題範囲を攫って勉強したから、問題は全部分かったんだろ?」

「うん。あれね。教科書に載ってない問題だったんだよ」


「え? そんな問題あったか? 三村がそんな出題ミスするかなあ」

「あー、私も昨日その答え思い出したんだけどね。三村先生は悪くなくて、ちゃんと授業でその言葉について触れてたんだよ。教科書には載ってなかったけど」


「んー? そんな問題、あったかなあ?」

「あったの。ちゃんと授業聞いてれば簡単に答えられちゃう、先生からの贈り物みたいな問題が。私、それ聞いたのが六限目の授業でさ、たぶんボーっとしてたんだよね。その日は久しぶりにお昼に『伝説のあんぱん』を食べられて、お腹いっぱいだったんだよね、たしか」



「おーい! アイちゃーん! 和田くん」



 蓮太とふたりで「あ」と漏らした。

 既に校門の中に入っていた真中くんが、敷地内から私達を手招きしている。三村先生に睨みを効かされてどうやらもう校外に出られないようで、まだ十数メートルは校門に着かない私達を待ちわびている。


「……カエデのこと、忘れてたな」

「うん。完全に忘れてた」


 向かい合ったまま、顔を寄せて笑いあった。時間をくださいと言っておいて、もらった時間で真中くんのことをカケラも考えられていない。


「……どうするんだ? カエデにも、言うのか? 本当のこと」

「んー、それはまだ、やめておこうかな」

「そうか。じゃあ、あっちの方は?」

「ん?」

「ほら、恋人になる前提で……付き合ってっていう、あれ」

「ああ。それは」


 三村先生が校門の門扉に手をかけるのが見えた。

 もうすぐチャイムが鳴る。

 特別な二人の登校時間は、あとちょっと。


「アイちゃーん、何してんのー。遅刻しちゃうよー」

「相葉ー、和田ー、閉めるぞー」


 まだ校門まで中途半端に離れている私たちに、真中くんと三村先生が声を掛けている。


「ちゃんと言うよ。真中くんに」

「え? なんて?」

「友達として、これからも仲良くしてください。でも、恋人としてお付き合いはできません、って」

「そっか。よかった」

「うん?」

「いや。……でも、カエデならしつこく理由を訊いてくるぜ? なんでだ、どうしてだって」



 経験や導き出した検証結果から得られる真実は、絶対だとは思う。


 でも、それは一定の条件下で起こる事象の証明であって、世の中というものは偶然のイタズラや不意のアクシデントで溢れている。


 今朝家を出た時、普通に歩いても登校時間は12分以上の余裕があった筈だし、真中くんに校門の中から呼ばれた時も、定刻のチャイムが鳴るまでは推定で1分8秒は残っていた筈だった。


 ところがどうだ。

 今日の私の推論は、純んだ蓮太の心にあてられて粉々に砕け散っていて、もうあと6秒でチャイムは鳴ってしまうのだ。


「そうだね。じゃあ真中くんにこう伝えるよ。

 私には、私の全てを受け入れて、それで深く傷付いたとしてもずっと一緒にいてくれる、とても大切で大好きな人がいますから。って」


「え、それって……」



 チャイムが鳴る。

 真中くんが何か叫んでいる。

 三村先生が、ニヤニヤしながら校門を閉めていく。



「アイ、えっと、なんか俺、よく整理できてなくて。こういう時ってどうすれば」

「待ってるよ。いつまでも。蓮太が疑問を持ってくれるまで。今度は、私が検証されてあげる」



 私達は、遅刻する。


 どこか抜けていて普通じゃなくてことごとく正反対な私達は、授業では習わないことを時間をかけて『検証』していく。


 だから、これからもきっと遅れていく。

 気付くのがいつも遅くて、十年以上経って気付いたりする。


 でもこうして、アクシデントがきっかけで真実に辿り着くこともある。


 まるで贈り物のように、不意に手にするワクワクの全てを、私たちはこれからいくらでも知っていくことができるんだ。



「……アイ。俺、急に整理が付いたかもしれない」


「蓮太?」


 校門の外、過緊張で目が泳いでいる蓮太の顔を見つめる。点Pが不安定過ぎて、何も読めない。


「英語の授業で、習ったんだ。

 三村は『これからいくらでもやってくる』って言ってたんだ。

 でも、俺には、俺達には、『今この時』しかないと思う」



 蓮太が私の両肩を掴み、真正面に対峙する。


 ようやく安定した点Pから、真っすぐに綺麗な直線が放たれ、私の心を射抜いた。



 「プレゼント・タイムだ」



  - END -


 


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