【7+7−7】
ぽつねん。
☆ ☆ ☆
「れんたくんまって……」
「アイちゃん、まっててあげるからゆっくりおいでー」
「……はしるのはやいよ……ころんじゃう……痛っ」
「アイちゃん!だいじょうぶ?」
「いたい……」
「よし、ぼくがおんぶしてあげる。ほら、アイちゃん」
◇
「アイちゃん、ぼくはすごいカッコいい絵だなーって思ったよ!」
「……みんな、きもちわるいって、きみがわるい絵だってゆってた」
「そんなことないよ!きれいな色がいっぱいの上から黒のクレヨンでぜんぶぬっちゃうなんて、だれもかんがえないよね! かっこよかった!」
「……うそつかなくていいよ」
「うそじゃないって! アイちゃんはすごいよなー」
◇
「アイちゃん。だいじょうぶ?」
「……」
「……アイちゃんのママがしんじゃったって、ぼくのパパが言ってた……」
「そう……」
「アイちゃん。ぼくがアイちゃんのそばにいるから! ぼくはずっと、アイちゃんといっしょにいるから! どんなことがあっても、ぼくはアイちゃんからはなれないよ」
◇
放課後。
今日から部活が再開する蓮太とは下校時間が合わないから、夜に家の近くの公園で待ち合わせをしようと誘った。
蓮太からは「夜になっちゃうと危ないから、どちらかの家で」と提案されたが、それは断った。
親の目も耳も無く、『逃げ場』を残すには外の方がいいと思ったからだ。
学校が終わって、私は公園に直行する。家に帰って着替えてからとも考えたが、何となくそんな気にはなれなかった。
この検証を実行するには、余計な感情やノスタルジーは入れない方がいいと思ったし、極力自分の心の波立ちを鎮める時間が欲しかった。
夕方の公園は空気が生ぬるくて、首筋にしっとり汗をかいた。日中よりも暑いと感じるのは、自分の中からじわっと染み出る葛藤のような気もする。
傾いて隠れようとする太陽を正面に見据え、私は睨んだ。
これ以上、私を照らすな。
透けて見えてしまうと、私はこの検証を完遂できない。
沈め。
隠れろ。
いなくなれ。
怯んだ夕陽は、幾分昨日より早く山陰に沈んだかもしれない。
◇
夜7時。
蓮太が息を切らせて公園に飛び込んできた。
走りながら、ブランコに座る私の姿を捉えたようで、真っすぐにこちらに駆けてくる。
「急がなくていいのに」
「そんな訳には……いかない……だろ。ひとりじゃ危ねえよ」
隣りのブランコをすすめるが、蓮太は軽く首を振って膝に手をつき息を整えた。数十秒で笑顔を見せると、「おまたせ。遅くなった」と私に言った。
「すごい汗だね。何か飲もうか」
二人で公園の入り口まで戻り、自動販売機で飲み物を買った。
先に私が缶入りの麦茶を買い、続いて蓮太がスポーツドリンクのボタンを押した時、電光掲示のスロットくじが「777」を示し、能天気な音楽とともに『あたり』を表した。
「わ! 当たっちまった! どうしよう!」
取り乱した蓮太は、焦って同じスポーツドリングのボタンを押してしまう。
「焦っちまった……同じもの買ってどうすんだよ、俺」
苦笑いもそんなに悔やんでは見えない。
蓮太は昔からこういうところがあると思う。勉強も運動も出来て、とっても優しいけれど、どこか抜けてる。
前に自分のことを「俺はナチュラルに天然な男」と言っていて、平気でこんな二重表現を使っちゃうような、そんな奴。
「これから運が向いてくる前触れかもな。スリーセブンなんて、何万分の一の確率なんだって話だよなマジで」
「そんなわけないじゃん」
「え? 何が? だって数字まわってたぞ?」
真顔で私に聞いてくる。学年3位の秀才の顔には見えない。
「蓮太、あれデジタル数字だよ? 内部の機械が数字を表示してるから、業者が確率を自由に決められるから……」
「そうなの?」
「そうなの。大体自販機で当たる確率って2%くらいって言われてるから、50回に1回くらいは当たるんだよ」
「知らなかった……俺、人生で初めて当たったかも。何百本も買ってて初めてだったのになあ」
途方に暮れる蓮太もかわいいが、私はそれを置き去りにしてブランコに先に戻った。
◇
「とりあえず、テストお疲れ」
「蓮太も、お疲れさまでした」
ブランコに並んで座って、缶飲料で乾杯する。蓮太が半分くらいゴクゴクと喉を鳴らすのを見てから、私はひと口お茶を含む。
少し口に入れて、缶を離してからちょっと上を向いて唇を開けた。
深呼吸みたいな、そんな軽いものではダメだ。私は決意を液体に混ぜ、そのまま体内に流し込んだ。魂が胸を通り、お腹まで落ちてきた。
私はこれから、検証を始める。
「しっかし、驚いたよ。ほんとに」
「そうかもね。驚かせたよね」
「いきなり満点なんて。誰も信じられないよ」
「だから満点じゃないって。一問間違えた。蓮太も3位おめでとう」
「うん。ありがと。おかげで今までで一番点数とれたよ」
蓮太がブランコを漕いだ。
軽く弧を描いた先で、ようやく蓮太の顔が街灯に照らされる。清々しい表情。悪意を寄せ付けないその晴々しい笑顔は、これから間違いなく曇る。
「それで? 何か話があるんだろ?」
「うん。そうなんだけど、さ」
地面に足を擦らせて勢いを止めた。
横並びでよかった。私は蓮太の顔を正面から受け止められない。
私がこれから彼に突き立てる『検証』という名の刃は、確実に蓮太を傷付けるのだ。
蓮太の表情が歪むのを、私は見届ける義務がある。
「何でも言えよ。俺とアイの仲でしょ。言いづらいことなら、秘密にもする。遠慮なんかするなよ」
「うん。あのさ、蓮太、前に言ってくれたよね?」
「ん?」
「私に言ってくれたよね。『本当のことを言えば皆が受け入れてくれる』って」
「ああ、言ったね」
「今でもそう思ってる?」
「もちろん。アイは言わな過ぎるから、皆んなどう接したらいいか分かんないだけなんだよ」
「本当のことを言うことって、そんなに綺麗なことばかりじゃないよ」
「だから、試したことあんのかって。俺はきっと、アイのこと皆んな分かろうとしてくれると思うね。たとえ綺麗じゃないことでもさ」
のれんに腕押し。
泥に灸。
糠に釘。
そして、蓮太にまろやかな反論。
ならば。
「……ふう。蓮太は私のこと何でも知ってる?」
「どうだろうな。天才だったことも今日知ったくらいだから……。でも、何でも知りたいとは思ってるよ」
「私は、蓮太が思ってくれるような『いい子』ではないの」
「別にアイの全てが良いなんて思ってない。ダメなとこも含めて全部で、アイだよ」
「本当のこと言っても、友達でいてくれる?」
「ああ。約束する。全部受け入れて、アイと友達でいる」
相葉アイが一閃する。
もう後戻りできない。
検証が、牙をむく。
「あの日、私がお母さんを殺したとしても?」
「ああ、そのことか。でもな、アイ。あれは事故だ。お前が気に病むのは分かる。けどな、幼児がうっかり危険なところに飛び出してしまうのはよくある話だし、アイのお母さんがそれで亡くなったのは悲しいけれど、それはアイのせいじゃないよ。誰もアイのことは責めない」
「違う」
「だから、気にするな。アイは悪くない」
「悪いの。私が悪いの」
「悪くない。あれは事故だ」
「聞いて、蓮太」
顔を蓮太に向けた。
蓮太も私を見ている。
この人の愛は、悪くない。
「分かってて、飛び出したの」
「……え?」
「電車が来てるのが分かってて、飛び出したの」
「は?」
「電車が来てても、私が線路に入ればお母さんが絶対に助けてくれるって。危険なのも死ぬかもしれないのも知ってて、それでもお母さんは私を助けるからって」
「……」
「大好きなお母さんは、たとえそれで自分が死んでも、愛する私を助ける筈だって」
「……ちょっと待って」
「大好きなお母さんが死んじゃっても、私は生き残るだろうかって……検証、したかったの」
「……」
「私が、お母さんを殺したの」
蓮太の手から空の飲料缶が滑り落ちて、地面を転げた。カラカラと能天気な音を立てて、まるで私たちを嘲笑うように遠ざかっていく。
「……アイ、君は、お母さんを、とてもとても愛していたはずだ」
「うん。すごく好きだった。でも、その時私はどうしても確かめたかった。疑問が生じたから検証しないといけな…」
「狂ってる」
私の『本当のこと』は遮られ、蓮太のその単純で無垢で重過ぎるひと言が、私を押し潰す。
「……ごめんなさい……」
ふらふらと立ち上がった蓮太が、頭を抱えながら歩きだす。
私も立ち上がり、蓮太の背中に届くか届かないかの声量でもう一度呟く。
「蓮太ごめんなさい」
どれほどの意味を込められたか、
私にそれを測る術は無い。
卑怯にも、本当のことを言うきっかけをくれた人を、検証して奈落に突き落とす。悪いのは、紛れもなく私だ。
「……あした……」
蓮太が力なくギリギリそれだけ溢して、公園を出ていった。
明日、どうするんだろう。
明日話してくれるのか、
明日からもう他人になるのか、
明日お別れなのか。
暗い公園に、ひとりになった。
ひとりになったけど、蓮太はいない。
ぽつねん。
幼稚園の登園を嫌がったあの日を思い出した。
お母さんから引き剥がされた痛みは、蓮太が拭い去ってくれた。
その蓮太を、今日の私は引き剥がした。
ぼろぼろに互いを打ちのめして心をまた血だらけにしながら、私はそれでも検証していくのか。
ひとり、ないた。
夜空に吠えるように、私は大声で喚きないた。
まだだ。
検証をしなければならない人が、もうひとり。
私は涙を拭い、風に踊りカラカラ囃し立てる空き缶を拾って、くずかごに投げ捨てた。
狂っていて、いい。