表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/9

【5ー1】

 


 あいつは、自分が

 「死ぬかもしれない」って分かっていて

 それでも「死んでもいい」って思って

 結果、死んだ。

 それだけのことです。




 

 ☆ ☆ ☆





 その日のことは、よく憶えている。


 決まったリズムで明滅する踏切の赤いランプと、それと同じタイミングで響く警報音。


 お母さんに突き飛ばされて、線路の真ん中から踏切の外まで弾かれた私が顔を上げた時、遮断機の棒は下までさがりきったところで。


 まだ踏切の中にいたお母さんは立ち上がれてもいなくて、額や頬を擦りむいた顔をようやく上げその双眸で私を見付け、安心したように少しだけ微笑んだ刹那。


 ごつん。


 という衝撃音とともに、まるで紙芝居を捲るように横に風景がスライドして、お母さんごと全部まるごと連れていった。


 後に響いたブレーキの金切り音。

 学生の悲鳴。

 赤黒い光景。


 毎日の夕方少し前、幼稚園からお母さんと二人きりで歩いて家に帰る時間は、本当に大切だった。


 でも。


 その日、私の中で絶対的なものが目の前から消え去った。

 消し飛んだ。


 ああ。

 絶対なんて無いんだ。

 そう思ったんだ。




 ◇



 午後の二限を保健室で過ごし、放課のタイミングで教室に戻った。


 机の上に置いたままにしてしまった筈の食べかけのあんぱんは無くて、袋に戻された状態で机の中にあった。たぶん、蓮太が片付けてくれたのだと思う。


 六限は三村先生の英語だったから、時間通りに終わるのは分かっていた。SHRが始まる前にと思い、廊下から手を伸ばして机から鞄とあんぱんを取った。


 席の近くの何人かは私に気付いたけれど、特に声を掛けてくれる訳でもない。私の席から対角線上で一番遠いところにいる蓮太が私を見付けたようだったが、私は軽くお辞儀をしてすぐ廊下に出た。


 SHRには出ない。

 このまま帰ろう。


 何となく今日はもう、先生もクラスメイトも、蓮太にも、会いたく、ない。

 合わせる顔がないというか。


 まだ騒がしい校舎の雑音を背に校門を出て、今日は右方向に折れた。いつものように左の並木道を行くと後から走ってくる蓮太に追いつかれそうで、初めて右の最寄り駅の方に下校路を選ぶ。


 夏になりかけの湿り気の風が、先にある駅の方からゆらゆらと吹いてきた。これを「薫風」と呼び好んで使ったのは、どの文豪だったか。

 川端? 谷崎? 否、正岡子規だったかも。鞄に教科書があるなあ。


 検証……今日は、いいかな。

 結論先送り、というかちょっとどうでもいい。



 校門から走り出てくる下校の生徒が増えてきた。「やべえ! 急げ!」と、私を追い越していく。


 この時間、五分後の下り線に間に合えば幸運。これを逃すと25分待ちらしくて、放課後に駅方面へ駆けていく電車通学の帰宅部員の姿は、我が校の伝統のようだった。テスト期間中は、その人数がいつもより多くなる。


 駅が近くなり、薫風とやらに乗って踏切の警報音が聞こえてきた。決まったリズムで鳴る甲高くて耳障りな音は、どんな季節感も無視してとても無機質に響く。


 駅の近くにある踏切は、学校側からはそれを渡らないとホーム側に行けない構造になっていて、この警報音をこちら側で聞いた生徒は、総じて「間に合わなかった」ということだ。


「あー!」とか「くっそー!」とか、無駄なエネルギーを使って息を切らした何人かの生徒が、膝に手をついて悔しがっている。

 私は色んな意味で『そっち側』の人間ではないから、それは初めて見る光景だった。



 否。

 初めてじゃない。

 初めてじゃなかった。

 私は、この踏切をよく知っている。



「あれ、アイちゃん?」


 長い踏切待ちで追いついてくる生徒を掻き分けて、後ろから肩を叩かれた。見覚えのある色合いの小柄なマッシュルームが、振り返った先で揺れていた。


「帰る方向、こっちじゃないよね?」


 昼休みに見たのと変わらない笑顔が、私の目線と同じ高さでキラリと光る。真中くんも私と違って常に日向にいる人で、私と違う世界の住人だと思い知った。


「……真中くんは、何でも知ってるんですね」

「だからカエデでいいって。もう知らない仲じゃないでしょ」


 そうかな。そうだっけ。人って、何回会話の往復をしたら、知った仲になれるのだろう。

 疑問。生じた疑問には、すぐに検証する。


「いつから……」

「僕はね、アイちゃんのことずっと知ってるよ。一年の春から、ずっと気になってたんだ。きっかけは……まあ、あるんだけどさ。今はそれはいいや。それより……昼間はごめん」

「え……?」


 最近、検証が不発になることが多い。

 何となくこの真中くんと私は嚙み合わないのは分かったけれど、唐突な謝罪にまた面食らった。


「僕さ、思ったことをすぐ口にしてしまうとこがあって。悪気は無いんだ。ただ単純にアイちゃんと仲良くなりたい、そして君の力になりたいって、そう思ったんだ。だから、本当にごめん」


「いや……私、別に怒ってないです」


「和田蓮太に言われたからじゃないよ。一応これでも悪いと思ってるんだ。僕をまだよく知ってもらってもいないのに、立ち入ったことを言ってしまったね。ごめんよ」


 とりあえず、推論。

 真中カエデは、悪い人ではない。

 頭の良い人は概して変わっていて、身の回りにそういう人が多いから、私はそれをよく知っている。

 きっと、よく喋るタイプの、良い人。


「ほんとに気にしないでください。許すとか許さないとか無いし、んーと、テスト勉強で寝不足だっただけです。こっちこそごめんなさい」


「ほんと?……よかった。実は今話し掛けるのも躊躇したんだけど、声掛けてよかったよ。和田くんにまた怒られちゃうな」


「どういうこと?」


「あ、ああ。昼休みさ、アイちゃんが教室を出ていった後、和田くんに『お前のせいだ』って叱られたんだよ。だからもうアイちゃんにもう話し掛けるな!って言われてて」


「え?」


「いや、そんな脅しを飲むつもりはないよ? 売り言葉に買い言葉だったんだけど、僕、じゃあ今度のテストで勝負しようって、和田くんに対決ふっかけちゃったんだよね」


 恥ずかしそうに頭を掻いて、真中くんが上目遣いに私を見た。

 学力に余程の自信があるのか。負けん気も強そうで、感情的に動くタイプ? 素直で実直で噓がつけないのは、蓮太に似た感じなのかもしれない。


「勝負に負けたら言うこと聞いてやるって。アツくなり過ぎだよね。和田くんも乗ってきてさ、じゃあやろう、勝負しようって。でね、条件として、テスト結果が出るまではアイちゃんに声を掛けるのは禁止って、そう言われてたんだけど。アイちゃんを偶然見掛けて、つい話しちゃった」


 舌をペロっと出して笑う。

 なんだろう。全然憎めない人。こんなにも壁を作らない人は、なかなかいない。一緒にいても、割と苦にならない感じ。

 当然もう「知らない仲」じゃないと思う。


「テスト勉強、頑張ろうね。お昼にも言ったけど、アイちゃんはひとりで勉強しても点数は上がらないと思うんだけど。僕や和田くんに頼る気は、本当に無いかい?」

「……ごめんなさい。点数を上げる事に興味が無くて」

「アイちゃんは、本当に変わってるよね」

「……点数をたくさんとるために、勉強したことがないだけなんです。そういう検証に、必要性を感じなかったの」

「検証、か。おもしろいね」


 風を追い越して、踏切に電車が入ってきた。

 すぐ隣りの駅に停まるために、速度をゆるめて通過していく。特急が停まらないこの駅は、数少ない各駅停車を利用する電車通学の生徒たちのためだけにあるのだろう。


 刹那的だった。

 目の前の風景がかわる、そういう一瞬のプレイバック。


 あの日、ここでお母さんを横に攫っていったのは、特急列車だった。

 速度をゆるめず、ごつん、という音とともに水平方向に崩れていったお母さんの顔が、脳裏に焼き付いている。

 目の前の各駅停車が酷く鈍くて、歪んだ映像で脳内に投影された。「検証か、おもしろいね」 真中くんが呟いたその言葉が、頭の中で鳴り響いた。


「……アイちゃん?」


 そうか。検証しないと。

 私は、検証しないといけなかったんだ。

 疑問が生じたんだから。



「真中くん、お昼に言ってましたよね。お母さんがいなくて私がかわいそうって。本当に、そう思ってるんですか?」

「え!? 何!? 聞こえないよ」


 停車のためのブレーキ音がけたたましくて、がなる金切り音が私の検証を掻き消した。等号符が霧散する。

 構わない。耳を寄せる真中くんに、私はいつものトーンで尋ねた。


「全部私のせいなのに。それでもかわいそうですか」



 ◇



「アイは私のすべてよ。だから、おやすみ」


 それは、お母さんだけがかけられる魔法だと思った。


 小さい頃から、私は夜寝るのが苦手な子だった。夜9時を過ぎると、私は子供部屋までお母さんの手を引っ張っていった。 「おかあさん!はやくねよう!」 寝かしつけの為に大好きなお母さんを独り占めできるから、時計の針が270度開くのが毎日待ちきれなかった。


 布団に入ると、お母さんといっぱいお話をした。

 幼稚園のこと、好きなおやつ、かわいいおもちゃ、じいじの入れ歯が外れた話。

 お母さんは笑いながら、私の瞳をじっと見つめてお話を聞いてくれた。私のお話が尽きると、今度はお母さんが絵本を読んでくれた。何度も聞いている童話の数々も、大好きなお母さんの優しい声で聴こえてくるから、毎日でもワクワクがやってきた。


 絵本を読み終えると、それは本当に「おやすみなさい」の時間。

 お母さんが、室内灯を光量の抑えた豆電球に切り替えると、私はへそを曲げた。毎晩まだまだお母さんと一緒にいたかった。それが毎回叶う訳はなくて、悲しくなって私は泣きべそをかきそうになる。年長になっても、そうしてお母さんを困らせていた。


 すると、お母さんはそっと毛布を私の胸のあたりにかけ直し、頭を撫でながらきまってあの魔法をかけた。


「アイは私のすべてよ。だから、おやすみ」


 世界で一番心が落ち着く、お母さんが私にだけかけられる魔法。

 いつも私はそうして、ようやくの眠りについた。





 当時私は家族5人で、両親と母方の祖父母と一緒に暮らしていた。

 祖父母は一人娘であるお母さんのことが心から大切で、祖父の定年退職の年に結婚した娘夫婦との同居を望み、父とお母さんはある理由からそれを受け入れた。


 父は、研究者だった。


 学生ながら将来を嘱望された若手研究者で、大学も父の未来に期待をかけていたようだ。

 父とお母さんは大学で知り合い、祖父母にも内緒の交際の中で、私を妊娠した。私を産む決断をし学生結婚の道を選んだ若い二人は、経済的な理由もあり祖父母の提案を受け入れた。


 私たちは、5人家族になった。


 私が生まれるタイミングで新築したこの家に、遠方から祖父母も移り住んだ。

 研究に没頭する父は、結婚前から天涯孤独で経済力も無く、家も家計も子育ての援助も全て祖父母が担っていた。

 出産を機に大学辞めたお母さんは、日々の研究に勤しみ研鑽を重ねる父を心から尊敬していて、赤ん坊の私が父の研究の妨げになる事を心から嫌がった。


「アイのことは私にまかせてください。研究の合間に、少しだけ愛してくれればいいですから」


 自然と私につきっきりになるお母さんからの愛は、私の全身に浴びせられた。いちばん身近から慈しみの視線を感じて、母性の全てに包まれて私は育った。


 だから、目覚めたらお母さんを探したし、食事はお母さんの手で与えられて、悲しい時は抱き締められ、お母さんの匂いに包まれて眠った。

 私はお母さんが大好きだったし、お母さんから貰える愛の全てが絶対的なものだと信じていた。


 四歳になって、私は幼稚園に通い始めた。

 ずっとお母さんから離れない私を心配し、社交性や自立心の成長を考えた祖父母からの提案だった。

 祖父母から見た娘の、我が子に対する溺愛の様子はあまり喜ばしいものには見えなかったようだ。


 あまり家をかえりみず自分の道を邁進する父や、お母さん以外に殆ど懐かない私にも、祖父母は少なからず不満があったらしい。

 お母さんのいない場所で、祖父母はよく父や私の「悪口」を言っていたの聞いていた。

 子どもだから分からないと思われていたのだろう。でも、私はそれを聞いて『理解』していた。


 嫁に出さなければ、子どもができなければ、アイがいなければ。

 祖父母が私をかわいいと思わなくなってきているのも、私は感じていた。


 だから私は、じいじの読んでいる新聞を破いたり、わざと老眼鏡を隠したりした。顔を歪ませ怒りを滲ませるも、お母さんの顔色を伺う祖父母は私を叱れなかった。


 私は徹底的に試した。

 襖に落書きをし、床の間のものも壊した。

 どれ程のいたずらをすれば、祖父母は私に怒るのだろう。

 お母さんの愛の傘の下で、私はお母さん以外の人に嫌われることは、本当に何でもないことだった。



 父は、幼稚園に私を預けることは反対だったらしい。

 興味のあることへの没頭と執着。他のことへの注意や意識が散漫になりがちな私の性格を慮り(性格は父からの遺伝だと思うのだけれど)、入学までは家で育てる事を望んだそうだ。


 しかし、祖父母に押し切られる形で、私は幼稚園へ入園した。研究と引き替えに様々な面で祖父母に頼りきりな若い夫婦に、決定権は無かった。


 泣きながら登園を嫌がった私だったが、すぐに幼稚園に順応した。

 たまたま隣りに住んでいた和田家の長男が同じ園に通っていて、お母さんのいない園でひとりぼっちになっていた私を、蓮太が何かと構ってくれた。


 はじめは馴染めなかった園での生活も、だんだんと楽しくなった。「いっしょにあそぼう」「あのお花をみにいこう」「同じおもちゃであそぼう」 あまり多く喋るタイプではないけれど、蓮太が私をいつでも気にしてくれることは、嬉しかった。


 それでも、午後にお母さんがお迎えに来てくれることは、何にも勝る喜びだった。

 幼稚園から家に着くまで二人で歩く時間は、新たにできた「お母さんを独り占めできる時間」になった。


 幼稚園の門扉のそばから「アイ!」とお母さんから呼ばれるのが、たまらなく好きだった。

 他のどのお母さんよりも綺麗で若くて、私だけを見てくれた。

 お迎えの親子で溢れる園を出て、下校の高校生がホームに並ぶ駅を横目に、たまに引っ掛かる踏切を渡る。少し歩くと大きな高校が見え、並木道を並んで抜けた。住宅街に入って五軒目の我が家まで。私とお母さんだけの大切な時間は、その全てが絶対に誰も侵すことの出来ない「プレゼント・タイム」だった。





 台風一過。


 あの日は朝からの大雨を降らせた雨雲を強風が東へ押し流して、空には青空が広がっていた。

 園庭にできた大きな水たまりのせいで外では遊べなかったが、お母さんがお迎えに来てくれた午後には、二人で並んで歩く道路は随分と乾いていた。

 台風の尻尾がたまに吹かす突風が厄介で、お母さんは私が吹き飛ばないようにぎゅっと手をつないでくれていた。

「お母さん、あのね」

 お母さんに伝えたい幼稚園での出来事は、その日も山ほどあった。踊り舞う髪を気にしながら、二人で駅の前を抜けた。


 進む方向と私を交互に気にしながら、お母さんが私の話に「そうだね」と優しい相槌を打つ。少し曇った表情のお母さんを元気付けたい気持ちもあって、私は園での楽しかった出来事を力いっぱいお話した。


 警報音が鳴り渡れない踏切の遮断棒が降り始めていたのを、私は全く気付かなかったようだ。話すことに夢中で、立ち止まるように引かれたお母さんの手の意味も分からず、お母さんの方を見上げた時に吹いた突風に、被っていた黄色い帽子が飛ばされたことに酷く驚いてしまった。


「あ!……」


 手をあげて頭を抑えようとしたが間に合わず、ふわっと浮いた私の黄色い帽子は、踏切のちょうど真ん中に落ちた。

 お母さんも自分が被っていたつばの広い帽子が飛ばされそうになって、きつく繋いでいた私の手を一時離した。自分の頭に手を置き、思わず瞑ってしまった目を開けた時、お母さんは声にならない短い悲鳴をあげた。


 衝動的な動きだったそうだ。

 平行に伸びる二本のレールに抹消線を入れるように、両手を伸ばした私が下がりきった遮断棒をくぐって帽子を取りに走りだしていた。


「……アイ!」


 帽子を拾い振り返ると、さっきの私みたいに両手を目いっぱい伸ばして私を抱き締めに来るように、お母さんが私に向かって駆けてきていた。


 決まったリズムで明滅する赤いランプ。

 同じタイミングでけたたましく響く警報音。

 そして必死の形相で私を目指して走る、お母さん。


 だめ、間に合わない。

 お母さんのそんな口の動きが見えた。


 お母さんに抱いてもらおうとその胸に飛び込もうとした瞬間、私はお母さんに両手で突き飛ばされた。踏切の真ん中から弾かれた私は、顔を上げてお母さんを探す。

 踏切の真ん中、遮断棒に閉じ込められたお母さんが、そこにいた。




 ◇




 お葬式は、信じられないくらいの人数が参列して執り行われた。

 生前の人柄から、その突然の訃報に涙してお母さんを悼む人がたくさんいた。

 憔悴し切って泣き枯れの祖父母は、力なく棺に寄り添うばかりだった。


 喪主を務める父は忙しそうにしていたが片時も私から離れることはなく、自分を盾にして無言で私を庇っているようだった。


「子供が飛び出したんだと」

「あの子が飛び出した子?」

「アイちゃんのせいで、アイちゃんママが死んじゃうなんて……」


 刺さるような視線、心無い中傷や噂話は、読経と木魚の音の隙間から顔を出し、私の耳まで筒抜けだった。

 父の礼服の裾を後ろから摘み、私は絶対的な悪者としてその存在を極力消す努力にひとり勤しんだ。


 葬儀が終わり、残った家族がお母さんの遺骨を囲んだ。

 5-1=?。 お母さんがいなくなって、私たちはどうなるのか?


 口火を切ったのは、祖父母だった。


「お前のせいだ」

「アイが娘を殺した」

「あの子を返せ」


「アイは、悪魔だ」


 我が子の入った骨壷を前に、祖父母はもう正気では無かった。祖父母が私をあまりよく思っていなかったことで、全ての悪意が私に向いたのだと思う。


 涙も出なかった。

 父に抱きつき、私は恐怖におののいた。


 祖父母が罵詈雑言を尽くし、部屋に滲むような静寂が訪れるのを待って、父が静かに話し出す。大きな掌を広げ、片手で私の耳を軽く塞いで言った。


「あいつは自分が死ぬかもしれないって分かっていて、それでも死んでもいいって思って、結果、死んだ。それだけのことです。」


 祖父母が再び烈火の如く喚いた。

 父はその後もちゃんと喋っていたのに、祖父母の耳には届かない。


 ああ、お父さんらしいな、と思った。

 定義と根拠をもとに推論をたて、それでも結果に勝るものはない。父はそう言いたかっただけなのだ。



 5-1は、4にはならなかった。



 祖父母は家を出て、もともと住んでいた地元に戻っていった。ひったくるようにお母さんの遺骨も遺品も、全てを持っていった。

 父と私には何も話さず、塵も匂いも残さずに消えていった。

 この家は、こんなに広かったのか。

 まるで何もなかったような空間に、残ったのは父と私。

 相葉家が求めて導いたその解は、愛と熱を失った、ただ無感情な世界だった。



 ◇



 父は、研究者をやめた。

 大学をやめ、近くの運送会社に就職した。

 私の養育のために、手っ取り早く収入を確保しなければならなかったからだ。


 父は私の小さいうちは朝夕に家にいて、慣れない家事をこなした。隣りの和田家の力も借りながら、私たちはなんとか生き続けた。

 相変わらず、父とコミュニケーションは殆どとれなかったが、それが私たちの姿だった。


 私が高学年になると、父は収入を増やすために大型の免許をとり長距離の仕事を始めた。

 私がある程度は家の事をできるようになったタイミングだった。父が長い期間の地方への運行をしても、私は平気だった。慣れていくにつれ、蓮太の家族ともあまり関わらなくなった。



 私は存在を薄く生きた。

 無駄なエネルギーの消費を避けた。

 動揺も歓喜もしない。

 分かり合える友達もいないから、嘘はつかないが余計な本当のことも言わなくていいと思った。

 信頼とか信用を持たないようにした。

 絶対と呼べるものは無いのだから、検証で導き出せた小さな結論をなぞっていれば、それで私はよかった。


 相葉アイの最適解は、私にしか導き出せないのだ。




 


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ