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【2+1】

 


 アイは


 かわいそう

 なんかじゃねえよ




 ☆ ☆ ☆


「どうして来なかったんだよ」


 今朝は、テスト期間で朝練の無い蓮太が私たちの家と家の間、ちょうど昨日別れたところで待っていた。挨拶もそこそこに、昨晩蓮太の家に行かなかった事を責められる。


「約束してない」

「したよ」

「してない。それに、作り置きのカレーが残ってたんだもん。もったいないし」


 やれやれ、といった感じで苦笑い。学校に向けて歩き始めた私に遅れず真横に並んで、久しぶりに蓮太と二人で通学する流れだ。


「テスト勉強、できたか?」

「まあ、そこそこ。蓮太は?」

「まあ、ぼちぼち」


 噓。いつものように深夜1時頃に目が覚めて窓の外を見た時、蓮太の部屋のデスクライトが煌々と光っているのが見えて、私と違って遅くまで勉強していたことは分かっていた。


 ひけらかさない。だから嫌味も無い。蓮太はいつも実直で紳士的で、意識的か無意識なのか私にみじめな思いを絶対にさせない。


 並木通りに入ると、テスト勉強に疲れた表情で登校する生徒の数が増えた。有名大学への進学率が高い訳でもなく、スポーツの強豪校でもない。私たちの通う高校は、ことさら特徴と言えるものもなく平凡な学校で、当たり前のテスト期間を当たり前に勉強に打ち込む生徒で溢れている。


 ふと、思い出した。

 以前から頭にある「解決していない疑問」。

 検証してみようか。


「蓮太。どうしてこの高校に通ってるの?」


 定期テストは毎回上位。運動神経も良いし、サッカー部ではエース。正直な話、そんな蓮太のスペックに合うような学校ではない。蓮太ならもっと有名な進学校とかサッカー強豪校に行けたのは間違いないのに。



「ん? 俺ここの生徒だし」

「じゃなくて。なんでここを受験しようと思ったの?ってこと。蓮太ならもっと違うとこに……」

「アイは? どうしてこの高校に通ってる?」

「私は……」


 質問に質問で答えるのは0点。蓮太はこういうところがある。分かってやってるのかなあ。


「私は家からここが一番近いから、だよ」

「うん。俺も一緒」


 蓮太はこうしてはぐらかす。いつも。

 だから、まだこの「解決してない疑問」は検証できない。


 私と一緒なんて、そんな筈がないよ。学力も運動神経も、それからお金も。私に在る状況と蓮太は、全然違う。


「……もったいないよ、蓮太」

「何が?」


 ここで検証は強制的に中断。

 校門を抜けたところで、サッカー部の友達が蓮太に話しかけてきた。

 私みたいなヤバい女は蓮太の陰に入って、彼は日向に戻っていく。



 ◇



「相葉アイさん、だったよね?」


 余裕を持ってありつけた学食販売の『伝説のあんぱん』に、ようやく噛り付いた時だった。


 教室の奥の隅、後ろの出入り口付近がにわかに騒がしくなる予兆。能天気で高い声が、私の名前を呼ぶ。


「(……え?)」


 あんぱんが口に入っている。私はもぐもぐと咀嚼を続けながら、首を横に少し傾げた。


「だから、相葉アイさんでしょ? 君」


 そんなにすぐに発声できませんよ。パンを嚥下するまで、少なくともあと16秒はかかる。そんな私の黙考はお構いなしに、目の前の席に後ろ向きに跨った小柄な男子が、双眸をクリクリとさせて私を見つめている。


「ね、ね、相葉アイさん。アイちゃんって呼んでいい?」


 色素の薄い髪の毛はマッシュルームみたいに切り揃えてあって、男子特有の凄味みたいなものを感じない人だと思った。


「……えーと、私は相葉アイで間違いないですけど」

「だよねだよね、知ってる。アイちゃん僕のこと知ってる?」


 二日連続で昼休みに注目を集めてしまう。安息の中で『伝説のあんぱん』を味わいたかったのに、今日も私には珍しい異質な状況で、教室がざわついている。


「すみません。知らない」

「そっかあ。残念だなあ。この学校では結構有名だと思ってたんだけどね。僕もまだまだだなあ」


 知らない、の言葉に、目の前の男子と教室が少し揺れた。へえ。有名な人だったんだね。そういうの、あんまり興味がなくて。


「ごめんなさい、私よく分かんなくて」

「僕ね、1組の真中。真中カエデっていうんだ」


 私の謝罪には一切触れず、真中くんはちょっと照れながら自己紹介した。


 印象。

 空気の読めない変わり者。

 だけど、少しの人間味を見せる。もし私に母性本能みたいなものが存在するのなら、ここで何か生まれるのだろうか。


 いや、無いな。

 疑問にもならない。

 だから、検証不要。


「真中、くん?」

「カエデでいいよ。どう? 名前聞いてもピンと来ない?」


 ニコニコに上がる口角は、両側とも22度くらい上を向いている。

 真中カエデくん。真中、カエデ。

 あ、名前だけなら、見掛けたことがある気がする。


「……テスト、ですか?」

「そう! 点数上位者にこれまで毎回入ってるから! 壁の張り紙で見掛けたことあるでしょ!?」

「はい、たぶん。いつも順位の上の方に、真中くんのお名前があった気がします」


 真中くんは机に両手を付き、私の方に身を乗り出す。私が手に持つあんぱんが、嬉しそうに前のめりになっている真中くんの制服にぶつかった。


「そう! それ! その真中カエデだよ! あ、同級生だから敬語じゃなくていいから」

「え、すいません」

「嬉しいなあ! アイちゃんが僕の名前を知ってくれてるなんて!」

「はあ、そうですかー」


 敬語が直らなかった事は、結局気にならないようだ。ついでに制服の前みごろに付いたあんこも気にしないでくれたら。


「僕、和田蓮太には負けたことないんだよ、ね」

「……え?」


 脈略が分からない。でも、蓮太に対する何かしらの感情を語尾に感じた。


「だから、和田くんより点数が下だったこと無いんだよ、僕」

「……はあ」


 少し嫌な感じがした。


「アイちゃん、和田くんと仲良かったよね」

「別に。幼馴染みなだけです」

「だよね。よかった。じゃあさ、テスト勉強、僕と一緒にどう? 僕が教えてあげるよ、アイちゃんに。きっと成績上がるよー? 和田蓮太より教えるのうまいと思うんだよね、僕って。どうかな」


 少しでも興味を持ちそうになった私がいけない。無駄なエネルギー消費をしてしまうところだった。『伝説のあんぱん』の残りで、再生エネルギーを補充する。

 うるさいうるさいうるさい。

 息継ぎもせずにまくし立てる真中くんの言葉が、だんだん遠のいていく。

 あー、あんぱん美味しい。



「ファミレスとかカフェとかで勉強する? 夕ご飯も奢るよ。お母さんいないと大変でしょ?」


「……え?」



 唐突に。

 ほにゃららの霹靂。

 自然で聞き逃しそうで。真綿の輪が首に掛かるような、穏やかな、声。



「片親だと子供も大変だよね。お父さんもなかなか帰ってこないんでしょ?」


「……いや、父は仕事で……」


「長距離ドライバーだっけ。いつもひとりぼっちだもんね。その環境だとそんな風になっちゃうよね。それじゃあアイちゃんがほんとにかわいそうだ」



 かわいそう。

 そうかな。そうなのかな。

 これは検証が要るんじゃないかな。



「僕さ、アイちゃんのこと気になるんだよね、すごく。勉強ができないのも、友達ができないのも、アイちゃんのせいじゃないんだよ。かわいそうに」


「……」


「僕はね、アイちゃんを守ってあげたいんだ。和田蓮太じゃアイちゃんの力になれない。学校一の人気者は、今まで救ってもくれなかったんでしょ?」


「別に救ってほしいなんて」


「僕が勉強教えれば、アイちゃんの学力は上がるよ。ひとりでやっても和田に頼っても点数は上がらないけど、僕なら、かわいそうなアイちゃんを幸せにできる。学年上位になって、君を笑顔にしてあげられる」


 よく喋る人。

 なんだっけ。真中なんちゃらくん。

 もう忘れた。笑える。おかしいね私。

 心の中で、大笑いしてるのに。



「アイはかわいそうじゃねえ」


 いつの間にか、蓮太が隣りに立っていた。

 私と真中くんの間に肩を入れるようにして、睨みつけている。


「アイはかわいそうなんかじゃねえよ」


 当番で職員室に呼ばれていた蓮太は、仕事を済ませた後で学食販売の少しお高い総菜パンを二つ買って戻ってきたのだ。



「……和田くん、そこは別に問題じゃないんだよ。いいだろ? 僕はアイちゃんと仲良くなりたくて来たんだ。もう少し話させてくれよ」


「取り消せ。そして謝れ、アイに。問題はそれだけだよ」


「なんだよ。悪く取るなよ。要は僕がアイちゃんの力になるって話……って、アイちゃん?」


「アイ?」


 私は席を立ち、食べ掛けのあんぱんを机に置いて廊下に出た。


 だって、今日はパック牛乳買い忘れてたんだもん。そうだよ。あれから16秒以上経っても、パンを嚥下できなかった。喉に詰まったみたいに、そのまま口の中で固まったみたいに、すっと喉を通らない。飲み込めない。そういう「事実」として。


 飲み物の存在って、偉大だった。

 あ、これ、新しく検証できちゃった?


「……飲み物、買ってくる。蓮太と、その、真中くんのも買ってきますか?」

「アイ……」


 歩きながら呟く。

 聞こえるかどうか分からない声量だったけれど、教室の蓮太には何故か聞こえたみたいだった。

 でも、返事は聞かない。


 かわいそうな私は、そのまま学食販売へパック牛乳を一つ、買いに行く。




 


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