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【1+1】

 


 君たち若者の『Present Time』は、

 これからいくらでもやってくる。




 

 ☆ ☆ ☆



『Once Upon a Time』


 これは分かるなー。じゃあ浜口。

 ……うん、うん、正解。


 そうだな日本語的に訳すと、「昔むかし」となる。直訳すると「ある時」なんだろうけど、英語の成句として童話やおとぎ話の冒頭に使われる事が多いから、日本語訳としては昔話調に「昔むかし」となるわけだ。


 じゃあこれは?


 『Present Time』


 んーと、じゃあそこ。居眠りしてる橋本。

 うん、お前。

 ……何? 贈り物交換時間? ははは。


 じゃあもう一人。和田。

 ……そう、正解。はい座ってー。

 そうだな。「現在」とか「今、この時」とも訳せる。


 さて。

 『Present』という単語は、贈り物という意味の他に、「今」をあらわす意味を持っている。どちらも誤用とは言えず、その時々で正しい方が変わる言葉だ。


 英語の面白いのは、こういうところだな。日本語と大きく違う。昔むかしのぼんやりとした非現実的な事に、「ある時」と時間を切り取っているのに対して、


 現実的な今現在を「贈り物」と同じ単語を使って、「今、この時」を高揚させるように言葉にしている。先生はそう感じてしまう。


 どうだ? 諸君。

 君たちは、「今、この瞬間」に高揚しているか?

 贈り物をもらった時のようなワクワクを、今感じているか?


 昔むかしに想いを馳せるのは結構。

 でもな、『Once Upon a Time』は、君たちのリアルには取り戻せない。

 そして『Present Time』は、これからいくらでもやってくる。未来から贈られるプレゼントのように、そのワクワクの全てが『Present Time』に変わって、諸君の手元に届いていく。



 もう一度言うぞ。


 君たち若者の『Present Time』は、これからいくらでもやってくる。分かったか?


 はい、以上。

 今日の授業はここまでー。





 六限目の英語の後そのまま短いSHRがあって、今日の授業は放課。私は机の中のものを鞄に片付け、帰宅準備を始める。


 放課後に教室に長くいても、大概ろくなことにはならない。


 担任でもある三村先生の英語の授業はとても人気があって、今日もチャイムが鳴って礼を交わした後、授業後半の話に感激した風の女子生徒が数名、教壇付近で三村先生を取り囲んだ。


 嬌声の飛び混じる教室の前方をすり抜けて、蓮太がこっちに向かってくるのが見える。


「アイ、今日は一緒に帰ろう」


 教室の中の空気のピリつきを感じる。

 私は少しだけ手を止め、蓮太の顔を見た。その後ろでこちらに視線を投げつけている方向は、見えなかったことにする。


「?」

「どうした? 変な顔して」

「部活は?」


 サッカー部に所属する蓮太は、けして強豪とは言えない我が校のサッカー部にあって、去年の秋から絶対的なエースストライカーだった。


 二年生ながら部の中心選手で責任感も強く、朝と夕方は毎日部活に行っている。


「アイ、今日から期末テスト一週間前だよ」

「あ」

「部活休みの間は、一緒に帰ろう」


 その「一緒に」が余計に余計なのだ。説明に足りないのに、それを付け加える。私はまわりに説明するのも面倒だし、そして本人は天然過ぎてその影響を全然分かっていない。厄介。


「……私はいつものように歩いて帰るから。好きにすればいいよ」

「分かった。勝手に横を歩くようにする」


 ひと言。「家が隣りだから」とか「幼馴染みだから」とか言ってくれれば、きっとクラスの温度は少しは冷める。


 でも、私たちはどちらもそうしなかった。結局、私はただ面倒なだけで、蓮太はただ天然なだけなんだけど。



 校門を出て左に折れると、住宅街までは広い歩道の並木通りになっている。


 緑が薄い桜の木は、雨の少ない今年の梅雨のせいで少しばかり元気が無い。いつもより人数が多めの下校生徒が、それと似た様子で俯き気味に歩いている。


「今日の三村の授業、最後はおもしろかったな」

「蓮太、あてられても答えれてたね」

「うん。……じゃなくて」

「何」

「『君たちのPresent Timeはこれからいくらでもやってくるぅ!』ってやつ」

「……うん?」

「アイは何も思わなかった?」


 遅れるでも早足でもなく私の横をピッタリ並歩しながら、蓮太は私の顔を見る。

 私は目線だけ蓮太を見上げ、首を傾げながら答えた。


「何も思わない。普通の事かなって」


 蓮太は小さく息を吐いて、ふぅん、と足元に溢した。


「じゃあさ、梶原の日本史が長引いた時、今日『伝説のあんぱん』は食べられると思った?」


「思わなかったけど。……お礼を言ってほしいってこと?」


「違うよ。アイにとっての『Present Time』になったかなって」


「それ、この場合、誤用なんじゃない? 三村先生理論だと、『贈り物』って意味じゃん」


「いや、あの時に食べられなかったあんぱんを、二人で一緒に食べれた、っていうこと」


「……今それ話すのは、もう『Once Upon a Time』だよ」


 少し肩の角度を下げた蓮太が、変な表情で私を見つめる。あれ、何か間違ったのかな、私。お昼のあんぱんの件から、何かいつもと比べて少しおかしい一日。疑問が生じたら、すぐに検しょ…


「今日のあんぱん代、奢る」


 あ。そうだ。

 あんぱんの代金、蓮太に払ってないや。


「いいよ蓮太、私が払う」

「奢るって」

「いいから」


 押し問答。

 でも少し蓮太は楽しそう。

 なぜなのか。疑問。疑問が生じたら、す…


「じゃあ久しぶりに、家で晩御飯食ってけよ。おじさん今日は帰る日じゃないんだろ?」


 そんな事も把握しているのか。

 蓮太はスマートフォンを見ながら、「母さんに頼んでおく」と勝手に話を進めていく。


「いいって。当日だとおばさんに悪い」

「大丈夫だって。アイに会いたがってるよ」

「でも。テスト期間だもん。家にいたい。勉強する」

「勉強も一緒にやればいい。これでも俺は学年上位だぜ? っていうか、アイって家で勉強してんの? いつも赤点ギリギリの成績なのに」

「関係ある?それ」


 私だって、勉強くらいしてる。

 落第や留年をしない程度には。


 テスト後、いつも廊下に貼り出される点数上位者にいつも名前のある蓮太は、本当に立派だとは思う。


 けれど、それにどれほどの価値があるのか。

 果たして物凄い時間と量の勉強をしたとして、それに見合うものが定期テストの末にあるのだろうか。

 昔から、私には分からなかった。

 そんな検証結果の無いことに力を注ぐ気は、さらさら無い。それだけの事。


「とにかく来いよ。メシの時間くらいはいいだろ? みんな待ってるからさ」


 住宅街の入り口から四軒目と五軒目の間で、私たちはそれぞれに分かれた。


 私は、少し進んで五軒目。

 蓮太は、少し戻って四軒目の家に。




 




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