第1章 9.灯台下暗し
ある日のこと…
エルコリッタは出版社への連絡のために街へ行き、チロはいつものように一人お留守番だ。
大方やるべき家事も終えた彼女は、エルコリッタが帰って来るまで読書に耽る。
(本を読むって本当におもしろい! あの家じゃあ、せっかくおくさまが字を教えてくれたのに、自由に読むことができなかったもん…)
すっかり読書に魅力にハマったチロ。
この家で唯一の娯楽ではあるが、一方で今の彼女にとって最高の娯楽でもあった。
「さてと、今日はなにを読もう…。ここにあるの全部読んじゃったなぁ…。エルコさん新しい物語本買ってくれないかなぁ……あれ?、なんだろあの箱…」
チロが見付けたのは、エルコリッタの机の下に置かれた黒い箱。
机下の陰に上手い具合に溶け込んでおり、彼女の目に留まったのは本当に偶然だった。
「あれ…、こんなの昨日までなかったはず…。あ、そういえば今日の朝、エルコさんここでバタバタしながら探し物してたっけ? もう、ちゃんとお片付けぐらいしてよぉ…」
愚痴をこぼしながらも箱を片付けようとするチロだったが…
「あれ、なんかすごく重い…。なにが入ってるんだろう……あっ、これって……」
箱の中に入っていたのは、10冊以上はある小説本の数々だった。
そして表紙上に見えた作者の名前は…
「『エルコリッタ』……ええっ?、これエルコさんの……」
そのまま自身の名を作者名にしていたエルコリッタ。
(すっごく気になる…。エルコさんは『大人向けで難しいから子どもは読めない』って言ってたけど…、別に読んじゃだめってわけじゃないもんね…)
エルコリッタの忠告を都合良く解釈して、チロは一番上の本を手に取った。
「『月夜の野獣はか弱き子羊を貪る』かぁ…。一体どんなお話だろ…」
そのいかにもなタイトルの本をチロは読み始める。
それから数時間後…
「う…うううう……、すっごくいいお話だった…。最後は王子様と女の子がいっしょになれるって思ってたのに、まさかあんなことになるなんて……」
読了して、感慨と感涙が止まらない様子のチロ。
その内容は、月を見ると野獣化してしまう王子と薄幸な少女との、至って健全な悲哀の物語だった。
「でもエルコさん、なんでこれを『大人しか読めない』って言ったんだろ? 子どものわたしでもこんなにもおもしろかったのに…。まあいいや、次は何読もうかなぁ〜」
こうしてチロが手に取った次なる作品のタイトルは、『ガチムチ野郎の蕩けた秘密の関係』だった。
さてその日の夜のこと。
「ねえエルコさん、なんで今まで自分の本のこと、わたしにだまってたの?」
ちょっと拗ねた様子でエルコリッタを問い質すチロ。
(え…、何のこと……あっ、そういえば今日の朝、持ってく資料がなかなか見つかんなくて、机の周り漁ってたっけ…。し、しまったぁっ…、まさかあの箱片付けるの忘れてたぁっ…!?)
今朝の自身の行動を振り返って、エルコリッタは途端に顔色を青褪めさせる。
「え、ええと……、まさかチロちゃん…箱に入ってた本の中見ちゃったのかなぁ…?」
「うん、もちろん見たよ? すっごくおもしろかった!」
(ええ…、自分で書いといてあれだけど、あんな超絶ハードコアな男色物を面白いって…。この子将来有望過ぎる……じゃなかったっ。ど、どうしようっ…、私のせいで純粋無垢なチロちゃんがぁっ……)
必死に平静を取り繕いながらも、冷や汗ダラダラのエルコリッタ。
ところが…
「だってあの月の王子様と女の子のお話、すごく感動して泣いちゃったし。あと『やろうの…なんとか』っていう話も、主人公がとっても強いのに甘いもの大好きで、食べるたびに顔がとろけるとこがおもしろくて笑っちゃったもん。『がちむち』…?っていうのが意味がわからなかったけど…」
「へ…、それって……」
(あっ、そっかぁ…、私ったら普通の作品にもアレなタイトル付ける癖があるから…。あっちの作品と混じってたのか…)
ちなみにチロは時間の都合で上記の2冊までしか読んでいないが、その下にあった3冊目のタイトルは『ド淫乱男根パラダイス』。
流石にこれ以上単語のクロスプレーが続くはずもなく、これは完全にアウトな作品だった。
「ねぇー、どうしてないしょにしてたのー?」
「ご、ごめんねぇ…。ええっと、そのぉ…何と言いますか……ほ、ほらっ、やっぱ身近な人に見られると恥ずかしいというか…そういうやつよ……あは…あははは……」
「まあそういう気持ちはわかるけど…。てか、エルコさん汗でびしょびしょだよ?」
「だ、大丈夫よ…。何だかちょっと、今夜は蒸し暑いわねぇ…おほほほ……」
「ど、どうしたの、いきなり変な笑い方して…。あとそんなにあつくないよ?」
……………………
(ふぅ…危なかったぁ…。生きた心地がしなかったわ…。これからはチロちゃんに任せっぱなしにしないで、片付けだけはちゃんと自分でやろっと…。てか、あれ…?、もしかして私の普通の作品が売れないのって、こんなタイトルばっか付けてるからなのでは?)
やはり、自分のことは自分が一番見えないというのは真理なのだろう。
こんな単純な真実に、経歴10年目にしてようやく気付いたエルコリッタであった。