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第1章 6.森の中にて 

 チロが森の中に逃げ込んで数分後…


「と、とにかくジジイのことはどうでも良いっ。あのガキを追っかけるぞっ!」


 男たちも森の中に突入し、先を行くチロを追う。

 通常ならば、数分もの時間差があれば、俊足のチロが逃げ切るには十分だろう。

 ましてや獣人として動物的直感にも優れ、このような森の中では彼女の方に利がある。

 だが、今のチロは手枷のせいで両手の自由が利かず、さらにガルヴィンに撃たれた太腿の傷もまだ痛む。

 執拗な男たちの追跡を撒くまでには至っていなかった。

 とはいえ一方の男たちも、生い茂る木々や不安定な足場に悪戦苦闘しているようで、チロとの距離を縮めることが出来ずにいた。


「チッ、あのガキ、なんてすばしっこいんだっ…。仕方がねぇ、こうなりゃあ……」


 男の一人は苛立ちながらそう言うと、なんと懐から拳銃を取り出した。


「お、おいっ…、まさか殺すんじゃないだろうなっ…?」


「馬鹿言え、そんなわけないだろ。ちょっと1発痛い目を見せてやるだけだ。どうせこれから変態ジジイに痛ぶられて傷だらけになるんだ…。今さら傷が一つ増えたところで大したことないだろ」


 パンッ!


 男は銃を構えると躊躇なく発砲。


「うっ…!?」


 その弾は、まさに照準通りにチロの片腕を掠った。


「はぁ……はぁ……はぁ……」


 傷口を押さえることすら出来ず、血を垂れ流して激痛に耐えながらも、チロの脚は決して止まらなかった。

 そんな藁をも縋る思いの彼女が行き着いたのは…


「……ッ!?」


 およそ10メートル下に激流河川が流れる断崖絶壁だった。


「このガキゃあ、手こずらせやがって…。もう逃げられんぞっ」


「大人しくするんだったら殴らないでおいてやるよ。さぁ来いっ」


 男たちはじわりじわりとチロとの距離を詰めて行く。

 チロは(ほて)った顔を強張らせながら、自身の背後にちらりと目を遣った。

 すぐ真下を流れる激流は、あたかも彼女のこれからの波乱に満ちた混沌の人生を示唆するようだった。

 チロは意を決してごくりと唾を飲み込むと、歯を強く噛み締めて口角を吊り上げる。

 そして…


「……ッツ!?」


 男たちに背を向けたチロは、自ら崖下の激流へと飛び込んだ!


「お、おいっ……、マジかよ、あのガキ……」


 幼き少女が見せたこの悲壮な矜持に、流石の男たちも衝撃のあまりに茫然自失となる。


「しかしこれからどうする………って、おい、聞いてるのか?」


「あ、ああ…。こうなっちまったら、もうどうしようもない…。行くぞ」


「あ、おいっ、待てよっ…」


 チロが飛び込んだ先を神妙な面持ちで見つめていたのは、銃を撃った男の方…。

 取り返しが付かない所業の末に、彼は彼で切に思うところがあったようだ。




 それから三日後…、チロの姿は森のさらなる深部の何処(いずこ)にあった。

 激流に飛び込んだ彼女はそのまま気を失うが、運良く流れに乗って溺死する前に川岸に漂着した。

 目覚めたチロは、姿を隠すために当てもなく森の中を歩き続ける。

 なおも手枷は嵌められた状態…、しかも靴は流されている内に失くしてしまった。

 一応、獣人の足裏の皮膚は人間のものよりも厚めに出来てはいる。

 それでも、森中を移動するのに裸足はあまりにも無防備である。

 すぐにチロの足裏はボロボロになり、いつしか激痛で歩くのも困難になってしまった。

 そして両手の自由が利かないので、食料を採取するのも儘ならない。

 仕方なく、手を伸ばして何とか採れる木の実を口にするが、それらの大半は食用に向いていなかった。

 食中毒にもなり、何も口にしていないにもかかわらず嘔吐と下痢が止まらない。

 また腕の皮膚が手枷と擦れて傷となり、そこにも痛みが走る。

 こうして今…、チロは人っ子一人いない深い森の中で生死の境を彷徨っていた。

 だが、今彼女の脳裏に過っている情景は、母リオラやセリーナとの温かな思い出ではない。


(なんで…どうしてこんな目にあわなくちゃいけないの……。わたしが…獣人だから……? 獣人なのが……そんなに悪いことなの……? どうして…人間はわたしたちをこんなにも苦しめるの……?)


 生死の狭間の極限状態の中で、チロの心に点いた細やかな炎は人間への憎悪だった。



 

 さてそれからどれだけの時間が経っただろうか…


「………ぶ?、しっかり…て?」


 気を失っていたチロの耳に、自身を呼び覚ます声が断片的に届いた。

 てっきり彼女は、ついに天に召されたのだと思い込む。

 しかし重い瞼をそっと開けると、そこは変わらずの鬱蒼とした森の中だった。

 ただ一つ違っていたもの、それは…


「よかったぁっ、気が付いたのね。大丈夫?、すごく怪我してるけど…、起こしてもいい?」


 なんとチロの前に現れたのは、見た目は20代前半と思しき一人の女性だった。

 眼鏡をかけた温容かつ知的な顔立ちで、赤橙色の髪を三つ編みで二つ結びにしている。

 半袖のブラウスにハーフパンツという軽装で、まるで家の近所を散歩でもしているかのようだ。

 女性は倒れたままのチロを介抱しようと、彼女を抱き起こそうとして手を伸ばすが……


「痛っ…!?」


 残る力を振り絞ったチロは、あろうことが女性の片腕に噛み付いた。

 人間のものよりも先鋭で硬質な歯が、女性の柔らかな肌を貫通する。


(きっとこの人も……わたしのことだまそうとしてるんだ……)


 完全に人間不信に陥ってしまったチロ…。

 自身を助けようとしたこの女性にすら、敵意剥き出しの眼光を浴びせて威嚇する。

 ところが…


「可哀想に…、きっと怖く辛い思いをして来たのね……。でももう大丈夫…。怖くない…怖くないからね……」


 女性は悲しげに微笑むと、噛まれた傷に構うことなくチロを優しく抱き締めた。


(あ…このあたたかい感じ……。お母さんやおくさまといっしょの……)


 チロから放たれていた野生動物さながらの刺々しさは、見る見るうちに抜けていく。

 女性から与えられた温もりによって、チロはようやく自身の大切なものを取り戻すことが出来たのだった。


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