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第1章 5.旅立ちの日

 それから一週間後。

 ガルヴィン邸本館の裏口に、一台の馬車が横付けされていた。

 待つこと数十分、使用人の男数人に連れられて裏口から出て来たのはチロだった。

 ついに今日、 “影” が言っていた富豪の元へと売られて行くのだ。

 これまで着たことなどない可憐なドレスを身に纏った彼女。

 だが、その手は木製の手枷で拘束されている。


「おらっ、さっさと歩けっ」


 男たちは粗暴にチロを急かせるが、彼女とて決して抵抗してその場に踏み止まっているわけではない。

 今や完全に表情に精彩を失ってしまったチロは、ゆっくりながらも自らの足で馬車へと向かっていた。


(もう…どうなったっていい……)


 周囲に目を遣らず、ずっと俯いたままで馬車の荷台に乗り込んだチロ。

 こうして10年間の思い出を振り返ることすらなく、彼女は生まれ故郷でもあるこの屋敷から旅立って行った。




 さて、チロが乗せられているこの馬車の荷台…、それは頑丈な造りで出来た無機質なコンテナだった。

 そのため椅子はもちろんのこと窓すらもなく、内部は吊るされた裸電球が放つ鈍い光だけが全てだ。

 薄暗く何もない閉鎖空間の中で、チロはあたかも自分の身を守るようして小さく身を屈めていた。

 時間の経過もわからず、時折不意にやって来る大きな揺れと突き上げに体がビクッとする。

 屋敷を出る前は絶念の境地だったが、やはりここに来て不安が一気に押し寄せて来る。

 そんな時だった。


(あっ…なんか話してる……)


 進行方向側の壁に耳を立てると、馬車を走らす二人の男たちの会話の様子が聞こえた。


「それにしても旦那様も随分なお人好しだよなぁ。自分を襲った獣人のガキをそのまま生かしておくなんてな」


「まったくだ。あの方ほどの力があれば、獣人の一人や二人、何とでも揉み消せるだろうにな。でもよぉ、あのガキにとっちゃあ、むしろあそこで旦那様に殺された方がマシだったかもしれないぜ」


「ああ、何でも今からあのガキが売られるのは、とんでもない変態ジジイのとこらしいな。獣人のガキを常に鎖で繋いで性奴隷にするんだってさ。しかも真性のサディスト。今頃股間をビンビンにさせてこいつの到着をお待ちだろうよ」


「ははははっ。ならちゃんと約束の時間通りにお待ちかねの商品をお届けしないとな」


 ここまで一週間の間、自身が売られる先の情報がチロに伝えられることはなかった。

 ただガルヴィンに撃たれた傷は適切に治療され、さらには痩せこけた体を健康体に戻すために、量質ともに十分な食事が与えられた。

 これまでとは大違いの扱いを受けたこの一週間…。

 チロは男たちの会話を聞いて、ようやくその意味を理解させられた。


「いっ、いやぁっ…!、助けてぇっ…!」


 恐怖で錯乱したチロは、手枷が嵌められた不自由な両手で壁をどんどん叩きながら泣き叫ぶ。


「おい、あのガキなんか暴れてないか? しかも今頃になって『助けて〜』とか言ってるぞ」


「今さら暴れたとこでどうにもならんがな。ただうるせえなぁ…、猿轡でも咬ませとけば良かったか? 屋敷出る時はえらい大人しくしてやがったから、手枷だけで十分だと思ったんだがな。まあ、この先の森を抜ければ目的地はもうすぐそこだ。あと30分ぐらい我慢するか…」


 チロの必死の訴えも、男たちの心には微塵も届くことはなかった。




 無情にもチロを乗せた馬車はゆっくりと、ただ着実に目的地へと進んで行く。

 いつしかチロの声は枯れ、体力も尽き、気力も尽き、涙も尽きた。


(舌って…ほんとにかんだら死ねるのかなぁ……)


 ついには自死という選択肢がチロの脳裏を過ぎり始める。

 そんな幼い少女の悲愴な覚悟など知ってか知らずか、男たちは談笑を交わしながらのんびりと馬車を走らす。

 ところが、その時…


「んっ?、何だあれ…」


「あれ自動車じゃないか? 街中じゃよく見るが、こんな田舎道では珍しいな。見たところ貨物輸送車でもなさそうだし…」

 

 馬車の進行を妨げるようにして、街道のど真ん中で一台の自動車が立ち往生していた。

 運転していたのは、至って特徴が無い老人の男。


「なあっ、爺さん。俺ら急いでんだ。早いとこ道開けてくれないかっ?」


「いやぁ…、そうは言っても車が突然動かなくなっちまって…。まったく、安易に流行り物に手を出すもんじゃあないねぇ…。やっぱり馬車がいいよぉ。鞭で叩くだけで言うこと聞いてくれるからねぇ」


「いや、そんな話はどうでも良いから、さっさとあれをどうにかしてくれっ」


「そう言われても私だけでは……。申し訳ない、兄さん方、あの車を動かすのをちょっと手伝ってはもらえないだろうか?」


「はぁっ?、何言ってんだ、このジジイっ!」


 老人の勝手気儘過ぎる提案に、思わず声を荒げる男の一人だが…


「チッ、しょうがねえなぁ…。ただしあれをあそこの脇のスペースまで動かすだけだぞ? それ以上は面倒見切れないからな?」


「おいっ…、お前まで何言ってんだっ?」


「だってしょうがねえだろ…。ここ通れなかったら大きく迂回するしかない。そしたら約束の時間に数時間は遅れちまう…。上客の機嫌損ねたら、俺らが旦那様から大目玉食らうぞ?」


「ううう…、背に腹は代えられんか…」


「兄さん方、お仕事中だって言うのに本当にすまないねぇ…」


 そんなこんなで、とんだ成り行きで男たちは老人の車撤去の手伝いを始める。

 ところで、一方のチロ。

 馬車が停まり、もう着いてしまったのかと、自死をもっと早く決断しなかった自身を恨む。

 しかし、しばらく経ってもコンテナは開けられず、それどころか遠くで複数人の言い争うような声が聞こえる。


(なにがおきてるの……)


 外の状況がわからないだけに、余計に不安が募るチロだったが、その時…


 ガコンッ


 突如後方の扉側から発生した、何か固定物が外れたような無骨な物音。

 その刹那、なんと扉がゆっくりと開き、眩しい光が一気にチロの元に雪崩れ込んで来た。

 その開き方は、明らかに人力ではなく扉の慣性によるもの。

 チロは勇気を振り絞って、そっと馬車の外に出てみた。

 するとあろうことか、男たちが全く見ず知らずの老人と一緒に、汗だくになって自動車を押しているではないか。


「え…なにこれ……」


 困惑のあまりに、思わず本音が口から漏れてしまったチロ。

 だが、それと同時に彼女が決めた選択肢はもう一つしかなかった。

 今この場所は、深い森を縫うようにして走る街道。

 逃げるには右も左も分からない森の中に飛び込むしかなく、決して好条件とは言えないだろう。

 それでも今のチロにとって、眼前の光景の先には違う未来が見えたのかもしれない。


(やるしかないっ…)


 チロは手枷を嵌められたままの状態で、森の中へ一目散に逃げ込む。


「……!?、おっ、おいっ、ガキが逃げたぞっ…! 何でだっ、ちゃんと施錠したはずなのにっ…!」


「くそぉっ、おいっ、ジジイっ! 元はと言えばお前のせいだぞっ、どうしてくれ……あれっ、あのジジイどこ行ったっ…!?」


 チロに逃げられ、さらには責任転嫁をしようとした老人も忽然と姿を消し、男たちはその場で無様に取り乱す。




 さてそんな中…


(ようやく()()()()()()()…。この先どう成長してくれるのか見物だな。まあここで野垂れ死にでもしようものなら、所詮はその程度だったと言う話だが…)


 事の一部始終を注視していたのは、鬱蒼とした森の木々の合間に埋没した謎の人影だった。


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