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第1章 3.セリーナ亡き世界で…

 その二日後、セリーナの葬儀が盛大に行われた。

 奴隷であるチロは当然参列を許されるはずもなく、最後の別れの言葉をかけることすらも叶わなかった。

 こうして葬儀から早数日…。

 たった一人の女性がいなくなっただけで、獣人たちの労働環境は大きく変わってしまった。

 主に力仕事を担っていた男性は皆工場の方に移動させられ、残った女性たちだけでそれらを賄わなくてはならなくなった。

 獣人奴隷を管理する使用人たちの態度も、日に日に粗暴になっていく。

 食事の内容も明らかに劣化し、たまにあった菓子などの嗜好品の支給も行われなくなる。

 セリーナの生前とは打って変わり、獣人たちはすっかり生気を失ってしまっていた。

 その中で、一際不遇な扱いを受けていたのがチロだった。

 ある日の夕食時のこと…


「おらっ、獣人共っ、エサの時間だ」


 使用人にそう蔑まれながらも、表情無くただ黙って配給の列に並ぶ獣人たち。

 しばらくしてチロの番になったのだが…


「え…これだけ…?」


 自身の器に盛られた食事量を見て、思わず口に出してしまうチロ。

 他の獣人たちと比べて、その量は三分の一もなかった。


「ああっ、文句あんのかクソガキ。てめえはガキでまともに働いてねえんだから、こんだけありゃあ十分だろ。後が詰まってんだ、さっさとあっち行けっ」


「はい…」


 弱々しく返事を返したチロは、とぼとぼと自身の席へと向かう。

 だがそこでも…


(あれ…わたしのイスは……)


 いつもはそこにあった、チロ専用の子供用椅子がなくなっていた。


「あのぅ…、ここにあったわたしのイス知りませんか…?」


 恐る恐る使用人の男に椅子の所在を尋ねたチロだったが…


「ああっ、椅子?、ああ、あの粗大ゴミか。置いといても邪魔だから、今日の昼他のゴミと一緒に燃やしてやったぜ」


「そんなっ…、だってあれわたしのっ……」


「うっせえなぁ。メシぐらい椅子無くても食えるだろうが」


 使用人はぞんざいにチロを遇らうと、手を軽く振りながら床を指差した。

 男が意味していることが理解出来ず、困惑のままその場で固まるチロ。


「はぁっ、俺が言ってることわかんねえのか? これだから獣人は馬鹿で困るぜ。地べたで食えってことだよ」


「えっ…?」


「ほら、どうした?、メシいらねえのか? 早くしねえとメシの時間終わっちまうぞ」


 嗜虐的な笑いを浮かべながら、使用人の男はチロに迫る。


「……………」


 チロは俯いて表情を見せぬまま、その場に跪いて食事を始めた。

 惨めで悔しくて悲しくて…、いつしか涙がポロポロと零れ落ちる。

 それでもチロはここで生き抜くために、スプーンを口に運ぶ手を止めなかった。

 そんな不条理で涙ぐましい少女の姿を横にしながら、他の獣人たちは最早見向きもせずに黙々と食事を続けるだけだった。

 それからもチロの受難は続く。

 食事量が足りないために意識が散漫になり、仕事でミスをすることが多くなった。

 その度に罰として暴力を振るわれ、痣の数が日に日に増えていく。

 ついには、仲間であるはずの獣人たちからも嫌がらせを受ける事態にまでなっていた。

 これまで仲が良かった者も、全く(もっ)て見て見ぬ振りだ。


『チロを虐めれば優遇してもらえる』


 そんな根拠のない噂が獣人たちの間で広まったからなのだが、その背景にはセリーナに贔屓にされていたチロへの妬みがついに露呈したということもある。




 そんなある日の深夜のこと。

 チロはなんと一人宿舎を抜け出していた。

 獣人奴隷の宿舎は、夜は脱走防止のために外側から鍵が掛けられる。

 だが彼女は、(あらかじ)め宿舎の便所の小窓の螺子を緩めて、簡単に取り外しが出来るようにしていたのだ。

 獣人の爪は人間のものよりも硬く、使い様によっては工具代わりにもなる。

 またチロのような猫型だとその身体は大変しなやかで、子供であれば小さな窓枠でも潜り抜けることが出来る。

 監視の目が外れる僅かな時間を使って数日かけて準備をした、子供ながらにして手の込んだ大計画。

 そこまでやるからには、ついに脱走でもするのかと思いきや…


(おくさまがくれてたあのクッキーあるかなぁ…。牛乳も飲みたいなぁ…)


 ただ単に、空腹に耐えかねて食糧庫に忍び込もうとしていただけだった。

 今のチロの身形は寝巻きのシュミーズのみで、しかも裸足のまま。

 確かにこれでは、仮に脱走に成功したところで捕まるのは時間の問題だろう。

 こんな情けない姿を、天国の母リオラやセリーナが見たら何と思われるか…。

 そんな良心の呵責も無いわけではないが、チロはとにかく食に飢えていた。

 今言葉を口に出そうものなら、食べ物の名しか出て来ないかもしれない。




 さて、持ち前の動物的直感にも助けられたチロは上手いこと人目を掻い潜り、屋敷の端にある食糧庫に近付いていた。

 ところがその時…


(あれ、こんな時間に…)


 チロの目に飛び込んで来たのは、深夜にもかかわらず燦々と灯りが灯る部屋だった。

 場所はガルヴィンが公私で使用する本館1階のとある一室。


(なんだろ…、お仕事してるのかなぁ…?)


 ふと軽く疑問を抱いたチロだが、この状況を瑣事として放っておくわけにもいかなかった。

 何故ならば、この部屋が面している眼前の脇道が食糧庫への最短ルートだからだ。

 他のルートもあるにはあるが、そのためにはこの広い本館を大きく迂回しなくてはならず、(かえ)って人目につくリスクが高くなる。

 チロは建物の外壁に寄り添うようにして身を屈めると、四つん這いでゆっくりと歩みを進めた。

 まさにそのシルエットは猫そのものだ。

 そして例の部屋の窓の真下まで差し掛かると、一層慎重に息を殺して進む。

 ところでこの本館、チロたちが暮らす宿舎とは名ばかりのボロ小屋とは打って変わって、細部に至るまで重厚に造られていた。

 窓ガラスも他の建物のものよりも分厚く、大変遮音性に優れている。

 そのため、窓とカーテンが閉められた状態では、外側から中の様子を窺い知ることは難しい。

 とはいえ、あくまでそれは普通の人間の話…。

 チロの耳には断片的ではあるが、中で為されている会話の内容が届いていた。


(なんか『よくやってくれた』とか言ってる…。やっぱりお仕事なのかなぁ…。それになんかすごく偉そうなしゃべり方してる…。もしかしたらあの人がだんな様なのかな…?)


 屋敷で働く使用人の中でも最下層であるチロたち獣人奴隷。

 彼女らと積極的に交流していたセリーナが特別だっただけで、基本的にこの家の主人と直接関わる機会はない。

 チロもガルヴィンの顔を数回程度見たことはあるが、流石に声だけで判別することは不可能である。

 ともあれ、ピンと耳先を壁の向こうに向けつつも、全方向に視線を巡らせて難所を乗り越えるチロ。

 それは時間にして1分も経っていない。

 だがこの僅か “1分” が、チロのその後の運命を決めてしまうことになるとは、全く人生とは数奇なものだ。


『セリーナの奴め。調子に乗ってこの俺を甘く見るからだ。あの世で自分の行いを精々後悔するんだな、ふははははっ』


「……ッツ!?」


 皮肉にも、この言葉だけが一文一句鮮明にチロの耳に飛び込んで来た。



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