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第2章 1.フェルリダの入国税

 リビアを出港してから10日後…


「あれがフェルリダ…」


 甲板に出ていたチロの数キロ先には、広大な大陸が広がっていた。


「なんだかここ数日で、すごくあったかくなってきた…。エルコさんが持ってた本に『大陸が違うと気温も違う』って書いてあったけど、ほんとなんだ…。本当に遠くまで来たんだなぁ…」


 大洋を挟んでライオスやリベアがある北大陸とは対極の、南大陸に位置する港湾都市フェルリダ。

 太陽も月もあるこの世界は、言ってしまえば並行世界の地球のようなものだ。

 故に、緯度の違いによって大陸間で季節の逆転現象も見られる。

 北大陸のリベアを発った時はすでに晩秋だったが、今この南大陸は初夏を迎えていた。



 こうして、ついに船は港に入港する。

 リベアと同規模程度に栄えるここフェルリダは、南大陸最大の港湾都市であり、またラムーサ国の首都でもある。

 赤道に近く、気温もさることながら非常に多湿な気候。

 そうなると自ずと文化や生活様式にも変化が生じ、すでに空気からしてオリエンタルな異国情緒が漂う。

 人種も北大陸の白色系とは異なり、褐色系の人々が大半だ。

 たまに白色系も見ることは見るが、彼らのほとんどは北大陸から仕事等でやって来た人たちである。

 さて、下船したチロはそのまま流されるようにして入国審査を受ける。


(ううう…、あついよぉ〜……。あと体も頭もかゆい…。いい加減に洗いたいよぉ…)


 リベアからここまで10日間の船旅。

 船内には共用シャワーが備わっていたが、獣人であるチロは人前で裸になるわけにはいかない。

 人目を忍んで体を拭くことぐらいしか出来ず、身体の汚れは溜まるに溜まっていた。

 入国審査は、薄い壁で仕切られた半個室で審査官と一対一で行われる。

 チロを担当した審査官は、制服をだらしなく着こなした不精ったらしい男だった。


「ふーん、あなたが『オリビア・レンブラン』さんねぇ…。えらい名前負けしてますねぇ」


 チロの容姿を見るなり、小馬鹿にするように言葉を吐く審査官の男。

 ただ当のチロも、それは自分自身が一番良くわかっていることなので特に不快感は覚えなかった。


「で、当国への渡航目的は初等学校の交換留学生として…、間違いないですか?」


「は、はい…」


 なんやかんやで審査は順調に進んで行く。

 事務的な質問が一つ終わる度に、心の中で安堵の一息吐くチロ。

 ところが…


「むむっ?、これはっ…」


 突然、審査官の男は仰々しく声を高まらせた。


「ふーむ、用意していただいた書類に不備がありますねぇ。これではあなたを入国させることは出来ません」


「えっ…?」


「ほうら見てください。ここの文字の綴り、間違っているでしょう?」


 男が不備を指摘したのは、リベアの領事館で発行してもらった査証上の文字のスペルについてだった。

 といってもそれは、例えば “n” が “h” に見えるような…、そんな取るに足らないものである。


「そ、そんなっ…。だってこれは領事館でもらったものでっ……」


 言いがかりに等しい指摘に、咄嗟に抗議の声を上げるチロだったが……


「そうは言っても規則は規則ですからねぇ。ダメなものはダメです」


 審査官の男は聞く耳を持とうとはしなかった。

 さて、このやり取りだけを見れば、この審査官がただ頑迷固陋(がんめいころう)なだけに映るだろう。

 しかしこの後、彼の口から出た言葉で状況は一変する。


「とはいえ、こんな些細なことで入国出来ないというのは流石に忍びないですからねぇ。ここは私の一存で見逃してやってもいいですよ。その代わり、それ相応の()()()は必要ですけどね…」


 男は(いや)らしく表情を緩めると、あからさまに見せ付けるようにして指で輪を作った。

 そう、実はこの審査官…、公然と賄賂を要求しているのだ。

 仕事等でここフェルリダを行き来する人々の間では、“フェルリダの入国税” はとても有名な話であった。


「ええ……、お、お金なんてないですっ…」


 戸惑いつつも、要求をきっぱり断るチロ。

 実際、エルコリッタにもらったお金は、その大部分が船代に消えていた。

 あと多少は残ってはいるものの、それは当面の間の生活費であり、こんなとこでドブに捨てるわけにはいかない。

 だがそれに対し、審査官の男は執拗にこう詰め寄る。


「持ってないわけはないでしょっ? 『レンブラン』…、確かリベア一の名家ですよねぇ? それに交換留学生だったら、出発前に親御さんとかからたんまり金貰ってるでしょ? その内のちょっとでいいんですよ、ちょっとでっ」


 チロが色々と便宜を受けられるために、リディアが良かれと思って授けたレンブラン姓。

 あろうことか、ここフェルリダではそれが裏目に出てしまった。


(ううう…ど、どうしよう……。こんなとこで大事なお金を…。でも、少しぐらいなら渡さなきゃダメなのかな…)


 我利我利亡者な男の圧に、思わず屈しそうになるチロ。

 ところが、その時だった。


「貴様、何をやっている?」


 チロの背後から突如聞こえた、凄んだ野太い声…。

 審査官の男は、視線の先に立つ人物を見て途端に顔を真っ青にさせる。

 恐る恐るチロが振り返ると、そこにいたのは屈強な体格をしたスキンヘッドの中年の男だった。

 同じく審査官の制服を着用している。


「ぶ、部長……、え、ええとその…これは……」


「我々が長年蔓延った腐敗撲滅のために尽力しているというのに、貴様という奴は…。しかもこんなにも小さな子供に(たか)るなど、恥を知れっ、恥を。今度という今度はわかっているだろうな?」


「ひっ…ひいいぃ……、つ、つい出来心だったんですぅ…、お許しをぉ……」


「黙れっ、今回の事案は詳細に上に報告して厳正に処分するからな。それまで裏で雑用でもしてろ」


 部下の不正を厳しく断罪した上長の男は、当の本人をその場から退出させた。


「そういうわけだ。私の部下がとんだ迷惑をかけて申し訳なかった。どうか気を悪くしないでいただきた……」


 さらにチロに対して真摯に謝罪する彼だったが、言葉途中で何かに気付き彼女の顔を見つめる。


(ええ……今度はなんなの……)


 強面に凝視されて、居た堪れずに視線を逸らすチロだが…


「君、悪いが私に付いて来てもらおうか」


「えっ…?」


 一難去ってまた一難…、なんとチロは上長の男に連行されてしまった。


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