第1章 12.エルコリッタ・フェルナス
『自身が実は獣人だった』と、チロに告白したエルコリッタ。
とはいえ今の彼女の姿は、どこからどう見ても人間の女性だ。
茶目っ気があるエルコリッタのこと…。
チロはまた彼女が冗談を言ってるものだと、一瞬そう思った。
だが、ふざけているようにはとても思えないエルコリッタの真摯な瞳を見て、考えを改め直す。
「ど、どういうことなの…? だってエルコさんはどこからどう見ても……」
「そりゃそうよね…、いきなりこんなこと言われたって訳わかんないわよね…。口で言うよりも見てもらった方が早いかな」
エルコリッタはそう言って自身の三つ編みを解くと、頭頂部左の髪を掻き分けた。
「えっ…?、な、なにこれ……」
チロが驚愕するのも無理はなかった。
エルコリッタの頭部には小さな穴が開いており、それを保護するためにメッシュ状の部品が埋め込まれていたのだ。
「これが私の本当の “耳” よ。頭の横に付いているのはただのダミーね。本物そっくりでビックリしたでしょ。あとこれも見て」
さらにエルコリッタは着用しているスカートと下着を下ろして、自身の臀部を晒す。
尾てい骨に当たる部分には、大きな痣とぷっくりとした瘤があった。
「これが私の尻尾の跡よ。流石に跡を残さずに切るのは無理だったみたい」
衝撃のあまりに言葉が出ないチロを横目に、エルコリッタは恰も他人事のように淡々と説明をしていく。
「これが私の秘密よ。ごめんね、今まで黙ってて…。もしかして幻滅しちゃったかな…?」
「そ、そんなことないよっ…。だって人間でも獣人でも、エルコさんはエルコさんだもんっ…。でも…どうして……」
「そうね、まずは肝心の経緯を話さなくちゃね。私も獣人奴隷の子として、主人の家で生まれたの。獣人と言ったらチロちゃんみたいに猫型やあと犬型の人がほとんどだけど、私の両親は珍しい馬型でね…。それで希少だってことで、あなたと同じく愛玩用奴隷として売りに出されちゃったの。まあ何たって、あの頃の私ときたらそれはもう超絶美少女でしたからぁ! あちこちの変態なオジサマたちから大人気で、そりゃあ高値が付いたものよ。もちろん今もなんだけどぉ…なーんてね、おほほほほ」
戯言を交えながら軽快に、エルコリッタは自身の過酷な幼少時代を語る。
ただチロには、それが彼女なりの強がりにしか見えず、同調して笑うことなど出来なかった。
「最初のうちはもうこれが自分の運命なんだって諦めてた。というか、あちらでは働かずして美味しいご飯が食べれるって聞いて少しワクワクもしてた。でも売られた先でどんな事をされるのかって、ちょっと小耳に挟んじゃってね…。それで一気に怖くなって脱走したの。私馬型だけあって子供ながら足は速いんだけど、ロクに屋敷から出たこともない子供がそう遠くに逃げ切れるわけもなくてね。すぐに追っ手に見つかってしまった…。でもその時だったの。何とか物陰に隠れて心臓バクバクで神様に祈ってる時に、一人の男の人が声を掛けて来たのよ。なんか白髭を生やした厳つそうなお爺さんだった。で、その人私にこう言ったの。『儂の言う事を聞くのなら助けてやる』ってね…。全くもって訳わかんない話なんだけど、その時の私はもうパニクってて連中からの折檻の方が怖かったから、その人に匿ってもらったの」
(そういえばわたしも…、あの時馬車がとまったから逃げ出せたんだった…。あれがなかったら今ごろは……)
エルコリッタの話に、他人事とは思えない妙なシンパシーを感じるチロ。
「それでそのお爺さんに付いて行くことになった。当時地理なんて全然わかんなかったけど、列車にまで乗ってすごく遠くまで連れて行かれた。で、その家は今のこの家みたいな感じで、山の中にポツンとあったの。ところが中に入るとビックリ!、刃物やら針みたいなものやら変な薬やら…一見拷問器具にしか見えないものが整然と置かれてて…。あの時はもう、本当に全身から血の気が失せたなぁ。そんな私にお爺さんが言った。『お前にはここで、儂の研究のための実験台になってもらう』って…。もう恐ろしくて恐ろしくておしっこちびっちゃった、はははは…」
失禁したのは本当のことだったのか、エルコリッタはチロから目を逸らして苦々しく笑う。
「それでね、その “実験台” というのが、獣人を人間にするっていう手術だったのよ。そのお爺さんは医学の研究者だったみたい。まあこうやって付いて来てしまった以上、今更私に拒否権なんてないんだけど、やっぱりすごく悩んだ。だって今思うと本当に恐ろしい話よ? もし失敗でもしたら……、死ぬだけならまだマシな方で、もしかしたら一生大きな障害を抱えて生きて行かなくちゃならないかもしれない…。でも、それでも、私やっぱり人間になりたくて…、というよりも虐げられるしかないこの運命を変えたくて、手術を承諾したの。まあ今こうやって元気に生きてるわけだから、結果としては大成功だったんだけどね」
「すごい…。でも痛くなかったの?」
「手術自体は麻酔をかけられてるから全く記憶がないわ。でもやっぱり手術後は痛かったわね…、タンスの角に小指ぶつけるぐらい…なーんちゃって、あはははは」
「もうっ、ちゃんとマジメにやってよぉ〜」
場の空気を少しでも和ますためのエルコリッタなりの配慮なのだが、少々悪ノリが過ぎたようだ。
「ごめんごめん…、そんな怒らないでよぅ…。そりゃあ術後は地獄の苦しみよ。でもお爺さんが親身に介護してくれたの。あと私にはあなたの言う『おくさま』みたいな人なんていなかったから、何も知らない私に読み書きとかを教えてくれたのもその人だったなぁ」
「へえ〜、すごくいい人だったんだね」
「そうねぇ…、確かに悪い人ではないんだろうけど、愛情的なものはあまり感じられなかったかな? 最後まで私のことを “実験台” としか思ってなかったみたいだし。色々世話してくれたのも術後の経過観察のためで、文字を教えてくれたのも獣人の知能をテストするためだったって。もちろん命の恩人には変わりないし、すごく感謝してるんだけどね」
「で、そのおじいさんとはそのあとどうなったの?」
「うん、そう…それは突然のことだった!、ジャカジャン!、チャラ〜ン……ごめんごめん、真面目にやるからぁ〜、そんな冷たい目で見ないでよぉ〜…。えっとね…、でも本当にその日は突然やって来たの。包帯も取れて何とか歩けるようになったある日の朝、目覚めたらお爺さんは忽然と姿を消してた…。机の上には置き手紙があって…、『これにて儂の実験は終わった。今までご苦労だった。この家と中の物はお前の好きにしたらいい。大した物はないが、僅かながらの金には変えられるだろう。それと、これもお前のものだ』…そう書いてあった…。で、手紙に同封されていたのは、 『エルコリッタ・フェルナス』の名の身分証明書…。こうして私は “エルコリッタ” として、新たに人間としての人生を歩むことになったの」
エルコリッタの壮絶な半生を固唾を飲んで聞いていたチロ。
(すごい…エルコさんにそんなことがあったなんて……。でもそれって…、そのおじいさんに会えればわたしも……)
チロを打ち震わせたその衝撃は、一方で彼女に一つの希望の光を啓示した。
「ねえっ、そのおじいさんって今どこにいるの?」
「わかんないわよ、そんなこと…。あの人自分の素性を一切語らなかったし、てか名前すら知らないし…」
「そうなんだ…。でもなんか手がかりみたいなものってないの?」
「ええ…、『手がかり』って言われても…。ああでも、たまにお酒飲んで鼻歌歌ってたっけ? もちろんその時はわからなかったけど、たぶんあれは南方大陸のエスカレーラ地方の民謡よ。すごく特徴的なメロディだからはっきり覚えてる。もしかしたらそっちの方出身なのかもね」
「そっかぁ…」
一応の情報が得られて、チロは些か手応えがありげに言葉を吐く。
「ねえ、チロちゃん…、あなたもしかして私みたいになりたいの?」
「え……う、うん…」
エルコリッタに図星を突かれるチロ。
あまりにもわかりやすい彼女の様だが、当の本人は完全に無自覚だったようだ。
「私が言うのもなんだけど、やめた方がいいと思うわよ? 仮にあのお爺さんに会えて手術してもらえることになったとしても、私みたいに成功する保証なんてどこにもない。それと、これが一番大事なことだけど、いくら見た目が人間になれたところで、私たちは本当の人間にはなれないの。体の構造も精神面も人間とは大きな違いがある…。人間に交じって生活したところで、常に周囲からおかしいと思われないか、怯えながら生きて行かなくちゃならない…。私がこういう仕事をしているのも、人間との接触を最低限にするためでもあるの。それに…、あなたが慕う “おくさま” が伝えたかったことは、きっとそういうことじゃないと私は思うな」
「ううぅ…」
セリーナのことを持ち出されると、どうしてもチロの決心も揺らぐが……
「まあとはいえ、絶対に反対もしないわ。まだまだあなたは若いんだし、色々経験して学んで自分の本当に進みたい道を選びなさい。それがあなたらしく生きるってことよ」
迷えるチロにエルコリッタが贈った言葉…。
それは奇しくもセリーナが彼女に贈ったものと同じ内容だった。




