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第1章 10.タイムオーバー 

 エルコリッタとの二人きりの楽しい日々は徒然と過ぎて行く。

 こんな平穏な日常が永遠に続けば…。

 そう心から願う一方で、チロには裏腹の感情が芽生え始めていた。

 それは言うなれば、将来への漠然とした不安と渇望。


(このままずっとエルコさんといっしょにいたいけど…、そういうわけにもいかない。いつかはわたしもここを出ていかないと…。それにせっかく自由になれたんだもん…、もっと広い世界を見てみたい。おくさまも『色んなことを経験して色んなことを学びなさい』って言ってたし…)


 ここで多くの本に触れて様々な見識を深めたチロ。

 そして、大洋を隔てて南にある大陸では、獣人たちが自由に生きる街が存在することも知った。


(わたしたち獣人が自由にくらせる世界かぁ…。一体どんなとこなんだろ…。この国もそうだったら、おくさまだって今ごろは……)


 チロの外の世界への憧れは募る一方だった。

 とはいえ、外の世界は彼女にとって危険と隣り合わせでもある。

 なにしろ、チロは獣人奴隷として前主人のガルヴィンから売り飛ばされた身だ。

 彼女の獣人戸籍上の現在の所有者は、加虐嗜好を持つとされる富豪の男。

 もし街で捕まったりでもしたら、逃亡奴隷としてその男の元へ連れて行かれてしまう。


(ううう…、でもやっぱり街はこわいなぁ…。そうだ、エルコさんにお願いして、今度いっしょに街に連れてってもらおうかな…。おくさまとお出かけした時みたいに変装して、今度こそちゃんとおとなしくしてればきっと大丈夫…)


 そんなことをふと考えていた、ある日の昼下がり。

 エルコリッタは仕事で街に出ており、チロは今日も一人お留守番だ。

 するとその時だった。


 チリーンッ


 玄関外の呼び鈴が突如鳴った。


(あれ?、エルコさん、もう帰って来た…?、どうしたんだろ…)


 そう訝しげに思いながらも、いつものようにエルコリッタを出迎えようとするチロ。

 ところが…


「おかえりなさー……ッツ!?」


 チロの小さな体を覆い尽くす大きな影…。

 なんと、目の前に立っていたのは長身の男だった。

 男は鋭い目で、まるで物を観察するようにチロを見下ろしている。


(な…なんでっ……。ど、どうしてここにエルコさん以外の人が……)


 言うまでもなく、今のチロは猫耳と尻尾が露わになった状態。

 彼女は衝撃と恐怖で声すらも出せない。

 男は抑揚の無い冷淡な声でこう言った。


「住民調査で役所の依頼を受けて訪問したのだが、何故ここに獣人がいる? ここの住人は一人暮らしのはずだが…。まさか逃亡奴隷か?」


「……ッ?」


 『逃亡奴隷』…、その悍ましい単語のみが、チロの脳裏にへどろのようにして纏わり付く。


「あ…あああ……」


 最早、絶望のあまりに思考すら儘ならない状態のチロ。

 男に命乞いをするように、真っ青な顔で涙目を浮かべるが……


「まだこんなにも幼い子供か…。おそらくは、ただならぬ事情があってここにいるのだろう。生憎、私は役所から来た身でな。逃亡奴隷の捜索は警察の仕事だ。それに私個人として、獣人に対してそこまでの差別意識は持っていない。ここは何も見なかったことにしておいてやろう」


 なんと意外にも、男はチロを見逃してくれると言う。


「あ…ありがとうございます……」


 とりあえず首の皮一枚繋がったチロからは、自然と感謝の言葉が溢れる。

 だが、男は顔色一つ変えずにさらに言葉を続けた。


「ただ勘違いはするな。所詮、人間と獣人とは相容れない存在同士だ。獣人が人間と共存するなど夢物語に過ぎん。お前も自分の大切な存在を不幸にしたくないのなら、己の身の振り方をよく考えることだな」


 男はそう仄めかしげに言い放つと、役所の印が入った書類を置いて帰って行った。




 それから…、チロは塞ぎ込んだまま食卓にうつ伏せていた。

 いつもは感情表現豊かな尻尾の先も、項垂れたようにしてペタンと床に着いている。

 一番の懸念は、やはりあの男の存在だ。

 この場は見逃してくれたものの、エルコリッタ以外の人間に見つかってしまったのは紛れも無い事実。

 また、男のあの冷たい威圧的な佇まいも、一見しただけで信用を得させるには流石に無理がある。

 もしかしたら仲間を連れて、後で自分を捕らえにやって来るかもしれない…。

 そんな結末を想像するだけで身の毛がよだつ。

 ただその一方で、チロの脳裏には男が放った言葉が刻まれたように離れなかった。


『己の身の振り方をよく考えることだな』


 男が突き付けたその問いは、先にチロが悩んでいた自身の将来とも重なった。

 それはあたかも、いくらでも先延ばし出来るはずだった問題に、突如として時間切れが訪れたような…、そんな感覚。


(一体どうしたらいいの…わたし……)


 考えれば考えるだけ辛くなるので、彼女は現実から目を背けるようにして、顔をさらに深く机に埋めた。




 そうこうして…


「たっだいまぁ〜……あれ?、チロちゃーん?」


 外出中に起きた事態など知る由もなく、エルコリッタは安穏と帰宅した。

 だが、いつもは玄関ドアを開いたらそこにあるはずのチロの出迎えがない。

 一抹の不安を抱きながら彼女が家に入ると、チロはなおも食卓にうつ伏せになっていた。


「ど、どしたの、チロちゃん…? あ、もしかしてなんか怒ってる…? 私またなんかやっちゃった? ごめんねぇ、ケーキ買って来たから機嫌直してよぉ〜…」

 思い当たる節がいくつかあるのか…、自身にまた粗相があったのではないかと勝手に思い込むエルコリッタ。

 そんな変わらぬいつも通りの彼女が、今のチロには妙に懐かしく、そして愛おしく感じられた。


「エルコさん……うっ…ううう…うわあああんっ…!」


「……ッ!?、チロちゃんっ…?」


 鬱屈と葛藤を全て放り出すようにして、チロはエルコリッタの胸に飛び込んで号泣する。

 エルコリッタが買って来てくれたケーキが入った箱は、無情にもボテっと床に落っこちてしまった。


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