#43 姫将軍ダイアナ
雲一つない空の下、なだらかな山の麓で、百人の部隊がたった一体の魔物に対峙していた。
そう聞けば誰もが、たった一体に百人は多すぎると思うだろう。しかし、実際にその威容を見れば、百人でも足りないと思うだろう。
しかし、かと言っていたずらに数を増やしても個々の立ち回りを制限されるばかりだ。
最前線に並び、盾と全身鎧に身を包んだ二十人の重装歩兵に守られながら、ダイアナは歯がみする。
つまるところ、個々の力量が振るわなければ、何人が束になってかかってもこの龍には敵わないだろう。
したがって、寡勢であっても並外れた力量を備えたエトランジェのパーティはこの敵に対しては最適解だったのだが、それでも討伐には至らなかった。
百人の部隊と自分の力量でどうにかできるとは思っていないが、務めは果たさなければならない。
「王命でもなければ、誰がいたずらに兵を危険にさらすものか」
「は?」
傍らに控える、副官のパウラが、大きな瞳をしばたたかせる。
貴族出身の生え抜きだが、童顔とは裏腹に年齢不相応に擦れた切れ者だ。短く切りそろえた艶のある金髪はよく手入れされた大型犬を思わせる。
「いや、聞き流せ」
「え、ええ。しかし、動きませんね」
「思った通りだな。あれはここを守っているだけだ」
実際、あの龍の目撃証言、遭遇報告はこのはげ山の麓に限られる。
龍の生態など知られていることは限られているから断言はできないが、少なくともあの固体は無分別に人を襲うことはしないのではないか。
そのようにあたりをつけ、まだ攻撃しないよう命じたのだが、果たしてその通りだったようだ。
正直、このまま撤退するのが最善に思える。
「献策いたします」
「一応聞く」
「逃げませんか?」
「ふ、相手も考えていることを言っていては献策とは呼べんぞ? 答え合わせぐらいは聞くが」
「一度敗れたとは言え、一日で常人の十年分強くなるのがエトランジェです。聖剣の勇者もいるなら遠からず勝てるでしょう。我々の相手は手を出さなければ何もしない一体の大物ではありません、弱くとも無限に湧いて民を脅かす百の小物たちです」
「しかし、その小物を何百狩っても礼一つ言われないが、大物一体野放しにしていれば罵られるのが我々の仕事だ。王命とあれば、少しは傷つけるか傷つくかしなければ納得されまいよ」
「罵ってくるのが王様ってのは辛いですね」
「父上は戦場を離れすぎたな。……お前が先に逃げると行ってくれたのは、正直気休めにはなった」
「は?」
「さあ、一仕事くらいはするぞ、盾構え!」
最前列に陣取る重装歩兵たちが重い金属音を重ね、盾の壁をつくる。
「弓引け、詠唱始め!」
弓兵と宮廷魔術師らに命じながら、装飾過多な大剣を掲げる。武器としての実用性よりも王家の権威を象徴する役割が大きく、実際には今のように指揮旗や軍配のように機能するものだ。
その剣による指示はロイヤルソードと呼ばれ、不従順は軍刑に処せられる。ダイアナはその重みを持った剣を高く振り上げ、勢いよく振り下ろす。
無数の矢と魔術の火炎弾がドラゴン目がけて放たれる。
しかし、そのいずれも硬い鱗に弾かれて落ち、ドラゴンは身じろぎ一つしない。予想できた結果だった。
「騎兵隊、行くぞ!」
言いながら、軍靴のかかとについた拍車を、自らがまたがる魔導騎の腹に叩きつける。魔導機関が起動し、機械の塊の内部から淡い桃色の光が発した。
エトランジェ――異世界人が見れば、誰もがそれをオートバイと呼ぶだろう。
駆動機関を備えた二輪車という外観のそれには、物理的な車輪がついておらず、地面から浮いている。
代わりに、オートバイよりも甲高い音を響かせながら魔導騎が発光すると、同じ色の光の車輪が現れた。
赤土の砂漠という過酷な環境下、騎馬を継続的に運用することが難しい中で、王国にたった五騎しかないその機械の馬は、第一王女ダイアナの指揮する騎兵隊とともに密かな躍進を始めていた。
ダイアナも含め五人すべてが女性で構成されており、王国の旧態依然とした男系社会では風当たりも強いが、確実な戦果を上げている。
「続け!」
重装兵たちの盾の陰から騎兵隊が飛び出し、瞬く間に龍を囲んで走り出す。矢と火炎弾が間断なく放たれる中、五騎の騎兵が戦場を駆け巡る。
魔導騎隊は龍の巨躯を囲む円を描いて疾駆する。
見慣れぬ速度で動き回る魔導騎に、龍は戸惑っているように見えた。どれだけ生きてきたかは知らないが、その経験・知識にない挙動であるらしい。まずは見込んだとおりだった。
首尾を確かめつつ、ダイアナは腰から銃を引き抜く。火薬が一般的でないこの世界にあって、この魔導銃も小型の魔導機関を備えた、この世界の科学の賜物だ。
同じく魔導銃を装備した他の四騎が、先に射撃を開始する。魔術師隊の火炎弾よりも高密度のアニマの塊が攻撃の嵐に加わるが、やはりドラゴンの硬い鱗には傷一つつかない。
「やはり効かんか」




