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【魔王デーヴァプッタ編更新中】マスターリング ~復讐の操獣士~  作者: 高村孔
第三章 誰がISSを墜としたか

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#375 蟹

 地鳴りや嵐、そのような自然現象にすら聞こえる。暴力という一点では明らかに人間より上位の存在がひしめくその場所は、彼ら魔物が生を謳歌するけたたましい音声が、荒れ狂う自然の猛威のように響いていた。

 つまり、身体的には圧倒的に劣る小さい人間の本能的な恐怖心を最大限にあおるものだ。失明というハンデを負ったぼくにはなおのことである。ついでに言えば、ネリスのおかげでいくらか回復した魔力も、戦いや調教を行うには足りず、以前のように勝手に魔力が回復するような気配もなかった。


 足の裏から伝わる感触や、枝々が互いを激しく打ち付け合う音から、林の中であることだけはなんとなく分かった。

 遠くに聞こえる巨大生物の足音や、重い余韻をたなびかせる咆吼が、どうか自分とは無関係なほど遠い出来事であってほしいと祈る。祈るくらいしか、できることがない。多少聴覚が敏感になったくらいで、暗闇の中を走って逃げられるなどという芸当ができるわけでもない。かつ、身近にも脅威が潜んでいた場合、そのように大きな物音を立てること事態が、致命的な事態のトリガーになりかねない。

 そういう言い訳を胸中に重ね、かつ、もうここまでの境遇に堕ちたからにはどうなってもいいという自暴自棄が、安全かも分からないこの場所に体を縫い付ける。一方で、わずかばかりに残った生存本能と冷静な部分が、なるべく物音を立てないように、より安全な場所を探すべきだと告げる。そして、失明という絶望的な事実がその困難さを認識させる。そのようにぐちゃぐちゃとした思考の結果、地面の質感すら丹念に確かめるような慎重さで這い、どうやらそれなりに大きいらしい木の根元に身を寄せた。


 それで安心できたわけではないが、ひとまず現状で物理的にできることは尽くしたと思った瞬間、けたたましい叫び声が敏感になった聴覚を貫いた。

 距離的に、そんなに離れてはいない。強者か弱者か、捕食する側かされる側かで言えばいずれも後者、そのまま尻すぼみに断末魔となったその声に血を塗り込めるように、湿っぽい音と、硬質なもの――というか、間違いなく骨を噛み砕く音が連なる。

 ひたすら息を押し殺しているこちらの姿が、その捕食者に見えていないことを祈るしかない。背を這う冷や汗一筋がやたらと冷たく感じられる長い知覚時間の後、重い足音が遠ざかる方向に聞こえ始めた。

 しかし、胸をなで下ろしている暇はなかった。


「――ぐっ!? ……あぁ――っ!!」


 下から突き上げられる強い衝撃と音、三半規管の激しい振盪の、いずれが先だったかまるで思い出せないほど目まぐるしい知覚の最中、ずっと重い痛みが左足首を芯まで浸していた。

 おそらく、挟まれている。それも恐ろしいほどの怪力で、重い痛覚の奧に金属の質感がある。引きずり出されるのはもはや遠く感じられる前世界の記憶、香上月那の実家の工場で見た旋盤などの重厚な機械群だった。あの無慈悲で鈍重な機械に挟まれでもしたらタダじゃすまないだろうなと空想した、そのタダですんでいない状況に、今まさに置かれているに等しい。なお悪いことに、機械とは違ってこの相手は明確な意思を持ってぼくを害そうとしている。

 左足首を掴んだ正体不明のその敵は、そのまま逆さに吊り上げられたと思われるぼくの体をさらに振り回し、地面に叩きつけた。


「――ぐっ! ごぶ、かふ……」


 堕ちた先が柔らかい砂地だったことも、まったく救いにならなかった。おそらく、先ほどまで足首を挟んでいた腕のような物が二本。今度はそれらが、仰向けになったぼくの胸部に容赦なく突き込まれる。このまま皮膚を剥ぎ、骨を外し、中身をむさぼるためにそうしていると言わんばかりに。

 麻痺して逆に感じられなくなってきた痛みよりも、そのおぞましい想像に気が遠くなり、意識が薄れていくように感じられた。

 彼岸窟。総長はこのダンジョンをそう言っていた。砂地に混じる潮の匂いが金臭い自分の血の臭いの奧に感じられる。海岸なのだろう。その地勢に併せて、あの世に一番近いところという意味では、相応しい命名なのか。

 無抵抗の身に間断なく振り下ろされる暴力は前世界でのいじめを想起されたが、この痛み、恐怖に比べてその記憶はずいぶん生ぬるい。


 ――今度こそ、死ぬのか。


 いじめ抜かれ、復讐を誓って異世界まで転移した。そいつは恋人になるはずだった人を殺し、まだ生きている。対してぼくは失明までして、挙げ句この様だ。

 せっかくチート能力を授かったのなら、もっと好きに生きていればよかった。憤怒に任せて奴を断罪しておけばよかった。そう言えば、どうしてそうしなかったのか。総長も、そんなことを聞いてきた気がする。

 呼吸が浅く、短くなっている。油断すると意識の焦点がぼやけ、眠気の奧へと誘われるような感覚がする。しかし、その眠りの先に目覚めはない。


「……いや、だ……」


 こういう時はあれだ、走馬灯とかいうヤツが流れてくるものじゃないのか。これまでの人生のハイライトのような。いじめられてばかりのろくでもない人生だったけれど、恋の夢を見られて、最後はそれなりにチヤホヤされて悪くなかった的な。ぼくの場合はシンシアの幻でも現れて、優しく、それこそ彼岸の向こうへと誘ってくれるような流れはないのか。ないということは、今はその時ではないということか。


「死にたく、ない……」


 右手が、握り締められる。それが、自分の意思によるものという気がしない。第一、ここからどうやって助かろうというのか。


「まだ、死ねない……!」


 それでも、弱気な思考とは真逆の強さで、喉は声を絞り出している。

 そうしたぼくの心情とは無関係に、敵の攻撃は続き、冷たく硬い巨大なハサミがぼくの胴を掴み、高く持ち上げる。……ハサミ、そう、ハサミだ。


「お前、(かに)か」


 人を持ち上げられるほど巨大で、殻も金属質という異形ではあるが、その造作は蟹に違いない。正体が分かってしまえば、その敵は自分を殺すに相応しくない、ひどくつまらないものに感じられた。


 ――つまらない。


 ……そうだ、あの時。最初は、まだ勇者パーティと旅をしていた頃、まだオルトゥスとぼくが名付ける前のはげ山で、まだぼくがディアネイラと名付ける前の蒼龍と対峙した時。紙人形のように散らされるジークフリートたちを尻目に龍に立ち向かった。その時、ぼくをいじめ抜いたジークが倒れ伏しているのを見て、ひどくつまらないものに、復讐になど値しないものに感じた。

 二度目は、ディアネイラとともに、勇者パーティーを迎え撃った時。ぼくとディアネイラのチェーンスキルの前に他愛なく倒れていったジークフリートは、やはりしがない、無価値なものに見えた。

 三度目は、その後、玉座の間で魔将軍ピュセルと同化したアオイとともに奴を断罪した時。怒りよりも、知らぬ間にシンシアが喪われていた悲しみが勝った。ひれ伏して許しを請う姿を見て、胸がすくというよりも、その矮小さにただ虚しくなった。目の前で殺されていれば、まだちゃんと憤ることができたのかもしれない。シンシア自身によって蘇生の可能性が示されなければ、まだ鬱々とわだかまる感情を持て余していたかもしれない。

 なぜ復讐を果たさなかったか、総長はそう聞いた。果たせなかったのでもない、人道的精神から逡巡したわけでもない。果たす価値がないと思ったんだ。あんな無価値なもののために人生を賭けて転移してきたことが、ばかばかしくなったんだ。


「お前なんかのために、死ねるか」


 あいつなんかのために、生きていけるか。……もっと大切なもののためになら、まだ生きていけるか。

 気付くと熱さを増していく感情の分だけ力がこもったか、腰に組み付いたハサミを両腕で抱えたぼくの体は、持ち上げられた高さから徐々に降りていっていた。蟹の当惑する気配が伝わってくる。


「お前がぼくを食べるんじゃない――」


 こういうとき、ひどく冷静になる自分を自覚する。巨大な蟹の姿のまま、このように重い金属の外骨格を備えたらどうなるか。普通なら自重で潰れているだろうから、モンスターとして別の原理で生命活動を保っているのだろうが、関節部が弱くなることは期待していいはず。


「ぼくが、そうする側だ。お前が蟹なら――」


 地に、足が付いた。そのまま足の裏で砂地を握り込むように踏み締め、重く沈んだ腰の奥から力を振り絞って、両腕でハサミを持ち上げながら全身を上に反らせる。


「――ぼくの、大好物なんだよ!」


 振り返ってみれば少しも決まっていない台詞を吐きながら思いっ切りスイングすれば、果たして期待通りに、耳障りな音を立てながらハサミの先で蟹の腕の関節は千切れた。そしてその勢いのまま、擦り切れるような悲鳴を空中に残しながら、巨蟹は宙を舞うのだった。

久しぶりの投稿となりました。


ブックマークしていただいている皆様においては継続を危ぶまれたかもしれませんが、

必ず完結させる所存ですので、気長にお付き合いいただければと思います。


まだの方はぜひブックマークを、★★★★★評価、感想などお寄せください!

今後とも応援よろしくお願いします!

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