#374 極道転生19 奇妙な弟子
「ああ、すまん。世話になる。――明日13時に事務所だな、分かった。――今か? 香上の店だよ、久々に。お前も来るか? ――そうか、俺を雇うくらいだからな。――ああ、また明日」
出所後、新たに契約したばかりのスマートフォンの通話を切り、到着したばかりのクラブの看板を見上げる。五年前と少しも変わっていない、香上祥子の店だ。
扉をくぐればありふれたカウベルが鳴り、カウンターでグラスを磨いていた女主人、香上祥子が顔を上げる。
「いらっしゃい。いつものでいい?」
「おう」
五年ぶりの来店でもまったく変わらない対応が、激戦区で生き残り続ける名店の貫禄を見せつけている気がする。
祥子自身も五年前と変わらず若々しいばかりか、色気が増している気がした。
「何よ、じろじろ見て」
「いや、ちょっと老けたんじゃないか?」
残念なことに、あまのじゃくな自分の口も、昔のままだ。
「大きなお世話」
やはり昔と変わらず、いたずらっぽい笑みで軽口を返してくれるのがありがたい限りではあった。
言いながら、祥子は流れるような手つきでグラスに氷を割り入れ、酒に強くない竜次のために薄い水割りを作ってくれる。
できた水割りのグラスをこちらに滑らせてくれる間に、竜次は胸ポケットから出したタバコを咥え、祥子は手を休めることなくマッチを擦って火を点けてくれる――という、五年前から繰り返されて無駄に洗練されたコンビネーションだったのだが、竜次はタバコを引き、宙にあそんだ祥子のマッチが虚しく狭い範囲を照らした。
「吸わないの?」
「いや、出所してから吸ってなくてな。初めてのタイミングをいつにしようか悩み続けてる。ずっと、今吸ったらもったいない気がしてよ」
「いっそこのまま禁煙したら?」
楽しそうにからかいながら、祥子はマッチを振って火を消し、カウンターの灰皿に放り込んだ。
フラグが折れたと言うのか、何か決定的なタイミングを逃した気もするし、重大な分岐を直観だけで選んでしまった後悔のような、妙な焦燥が湧いた。
「……それも、ありかもな」
結局、竜次も火を点けないままタバコを灰皿に放り、水割りに口を付けた。別に酒に強くなったわけではないのに、もう少し強くてもいいなと思ってしまった。
「……そう、月那ちゃんね。確かもう十四歳だよ――十四!? うわー、私も年を取るわけだ」
背後のボックス席から、見覚えのあるホステスが二人の男を接待する声が聞こえる。
アケミ、という名前に覚えがあり、記憶をたぐると、確か高虎――かつての舎弟であり、今は羽嶋国王会の会長を継いだ羽嶋高虎の馴染みだった女だ。
「いやいや、アケミさん全然年取らないじゃないですか。でもそうか、もう中学生かー。ママに似て美人さんなんだろうね――ねえ、ママ?」
「さあね」
接待されている男たちには必要以上になれなれしい雰囲気があり、アケミの方にも強い拒絶の意思を感じられない。あの女とトラ、うまくいっていないのかとか、無駄な老婆心が湧く。
さておき、水を向けられた祥子は素知らぬ顔でグラスを磨いている。
この店に少し通えば分かることとして、祥子はママと呼ばれることを好まない。過去には、そう呼んでしまった若手組員が、あんたなんか産んだ覚えはないと一喝されたことがあった。
通ぶった口ぶりの割にそれを知らないと言うことはいわゆるニワカという輩だろうが、妙に月那に関心を示しているのが気になった。
「トラちゃん、忙しいみたいでね。近頃全然来てくれない」
「そうか」
こちらの逡巡を察したか、祥子が愚痴ってくれた。本当は、アケミこそそう言ってほしいものだが、いかんせん自分とは関係値がまったくない。
念のため観察すべく、グラスの位置を調整し、そのボックス席の面々が映り込むようにした。ヤクザ者らしいスーツ姿だが、見慣れない代紋バッジをしている。
その後も彼らはアケミ相手に際どいコミュニケーションを図り、当人達としてはさりげない風を装って、月那のことを聞き出そうとしていた。
そのまま水割りのグラスをぐずぐずともてあそんでいると、やがて例の二人組の男が退店するカウベルが聞こえた。
他に客はなく、席に残されたアケミも残った酒を飲んだり、タバコを吹かしたりしているようだったが、しばらくしておつかれさまでした、と無気力なあいさつを祥子に投げて帰っていった。
……その後、割とすぐに祥子が隣に座り、ためらいがちにこちらに寄り掛かってきてくれたことを、手放しで喜べないでいた。
「……旦那は?」
「離婚した。もう、三年くらい前」
「そうか」
「月那はもう店には来させてないんだけど、さっきみたいな連中もいてね。正直疲れる」
「見慣れない代紋だったな」
「山県組ね、今は国王会の傘下よ?」
祥子は、竜次が自分の組の事情に疎いことをたしなめるようなニュアンスで笑う。
「トラちゃん、会長を継いで烈士会を吸収してから、すごい勢いで組を拡大してるの。もう何だか、雲の上の人みたいな感じ」
「そうか、よかったよ」
言いながら、端数を切り上げた額面の札をカウンターに放り、竜次は立ち上がる。寄り掛かっていた祥子はバランスを崩しそうになり、不満げに竜次を見上げた。
「もっとゆっくりしていっていいのに」
「……さっきの連中、気になる」
「月那目当ての輩なんていちいち相手してらんないけど……あんたが言うなら、そうなのかもね」
緊張を顔に表して腰を浮かす祥子を、竜次は手で留める。
「ただの勘だ。どのみち連絡はする」
だからそれまで店にいろ、と言外に含ませ、けたたましくカウベルを鳴らしてしまったのは申し訳なかった。
勘が外れていなかったことは、すぐに分かった。五年前から、こうした嗅覚には自信があったのだ。
暴力の現場は、店からそう離れていない路地裏にあった。同じヤクザ者として、暴力が行使されがちな地勢には心当たりがあるということでもある。
まだ幸運なことに最悪の予想が外れたこととして、月那自身は暴力から免れていた。
先ほど店でみた連中が、改めて文字にするのも憚られるほど拙い罵り言葉とともに暴力を浴びせているのは月那ではなく、彼女をかばっていると思しき少年だった。
見覚えがある。聖城学園の施設で、一度見た。龍一朗に連れられて行ったとき、再会した桐島悠香にかまってくれていた少年だ。確か、古城優斗と言う名前で、旧友の立花みどりがやっているスケート教室の生徒だったか。
……その古城少年、何があったか、その時よりもやさぐれた目つきでヤクザ者たちに立ちはだかっている。
「何やってんだ、早く逃げろ」
「でも、助けを呼ばなきゃ」
昨今珍しい、甲斐甲斐しいやり取りだと、上から目線で批評する自分の根性に老いを感じる。
古城少年は、真面目な性格らしく喧嘩慣れしていないのだろう。体の使い方が粗雑ではあるものの、動きそのものには何と言うか、光るものがあった。対峙するヤクザ者二人の動きの起こり、腰の向きをよく見ていて、力では及ばないものの決して月那には二人を近づけさせないように立ち回っている。自分が殴られるのを厭わないため、あまり持続できない闘い方ではあるものの。
「! リューちゃん……」
とは言え、このまま傍観するのは趣味が悪い。わざと音を立てて現場に踏み込み、まず月那に自分の存在を気付かせた。
「怪我はなかったか……?」
記憶よりもずいぶん大人びたプロポーションになった月那の容態を確認するが、語尾が尻すぼみになったのは、近づいてみてその肌の色がずいぶん変わっていることに気付いたためだった。
「汚れた?」
「焼いてんの、それより古城が」
一種の男避けのために、親友の入れ知恵で日焼けサロンに通っているのだとは、後に聞いたことである。
一通り異常がないことを確認すると、スマートフォンを取り出しながら、古城少年の方を見る。
「俺だ、竜次だ。月那を見つけた、怪我は無さそうだ。すぐ連れて帰る――ああ、それじゃな」
暗記していた店の番号に掛けて通話を終えても、古城少年はまだ持ちこたえていた。
二人のヤクザ者のうち、近くにいた男の股をくぐり、意表を突かれた二人目に組みかかる。
「!? なめやがって――」
股をくぐられた男も、逆上して古城少年の方に向かい、月那に気を回す余裕がない。古城少年は、初めからそういう心理を逆手にとって、月那に注意が向かないように行動していたと思しい。龍一朗の好きなゲームで言えば、ヘイトを稼ぐのが巧いのだ。
とは言え、二人がかりでやられては遠からず限界が来るだろう。
「青臭いガキ相手に、体たらくだな。決め手に欠けるなら、その辺にあるもの何でも使えよ」
「!? あんたは――」
やはり、注意散漫な連中だ。他愛なくこちらに気を取られた二人に対して、狙い通り、古城少年は自分の存在よりも、発言内容に敏感に反応した。素早く周囲に目を走らせ、鉄パイプが路上に転がっているのに気付くと、二人がこちらに気を取られている間にそれを取り上げ、手近な方の男の股間を、容赦なく突いた。
「ぐおっ、このガキ――!!」
武器を得てから、古城少年の佇まいは別人のように変わった。後から聞いたところでは、当時は少しかじった程度だったと言っていたが、明らかに剣道経験者のように両手にしっくりと鉄パイプを収め、残る一人の胴を薙いだ。
「試合じゃねえぞ、起き上がれないように潰せ」
今度ははっきりと、少年に向かって言う。
剣道で言えば一本取れたところで緊張を解いてしまった少年が、再び奥歯を噛みしめて男に振り向く。まだ背を向けたままの男の首筋に、鉄パイプを強かに打ち付けた。なかなか、思い切りがいい。
「この――!」
股間を突かれた方が、懐に手を入れた。ドスを出す気だ。さすがに、汐の引き時か。
剣道の流儀で培った歩法で、素早くそいつの背後に忍び寄った。
「鹿島竜次って、知らねえか」
「!? あんた、伝説の――?!」
男の手から、ドスが鞘ごと落ちる。
伝説って何だ、人聞きが悪い――と、苦虫を噛みつぶしながら、慣れない紋所を振りかざす。権勢をかさにきるのは性に合わないが、穏便に済ませるに越したことはない。
「ニワカなら覚えとけ、あの店には、俺が出入りしてる」
「は、はい……!」
男が気絶したもう一人を助け起こし、よろよろと去って行くのを見届けて、月那に向き直ると。
「あの」
背中に、古城少年の声がかかった。
「あなたの組? に入るには、どうしたらいいですか」
想定以上に深く、長いため息が、自分の腹の底から漏れた。同じ文句を自分から聞かされた羽嶋会長も、こんな気分だったのだろうか。
「……二度とそんなふざけたことを頼まないと約束できれば、身の守り方くらいは教えてやる」
思えば、最初からこの譲渡を引き出すための、古城少年の策だったのかも知れない。




