#373 光、失われて
密かな期待を裏切られた事実として、どうやらステータスウィンドウやら、周囲の人物の名前や種族、レベルが見える小ウィンドウなども、光学的な原理で見えていたものらしい。
思い返せば、オリヴィアが鑑定結果を見返しているときなど、仲間がそうしたUIを見ていると思しきときには、その眼の表面に反転したウィンドウの像が映り込んでいるのが見えていた。
つまり、魔法なりスキルなりで脳に直接情報信号を送り、脳内で処理させて映像化していたようなものではなかったらしい。
おかげでこうして、おそらくは夜の往来を歩いていても、周囲の人物の情報が得られず、何度もぶつかって罵られるという苦難を味わっていた。と言っても、もはやそれらの罵声にいちいち傷つくこともなく、どうせなら車にでも轢かれればいいというくらいには、自暴自棄になっていた。
「おい、お前――」
しかし、いっそ轢いてくれとばかり車道と思しき方へと歩いてみれば、多くは車の方で止まってくれた。この街ではこうして堂々と歩くのが正解なのだと、失明する前に気付きたかった。
「おい、待てよ……――」
街の喧騒がやけに大きく頭に響く。そもそも魔力が枯渇した状況は変わっておらず、病み上がりで体力も乏しい。しかしどうせならこのまま歩き続け、体力も命も尽きればいいと、そこまで追い詰められた気分になっていた。
だから、どうやら聞き覚えのある少女の声がずっと追ってきていたことも、胡乱な輩が絡んできているだけだと片付け、取り合う余裕もなかったという言い訳にはなる。
――時間をさかのぼり、今朝のこと。
どうやら失明したらしいと気づき、ぼうぜんとベッドから動けないでいるぼくのために、ネリスは粥を作り、食べさせてくれた。こうして甲斐甲斐しく世話を焼いてくれる人がいるだけ、少なくとも元の地球世界での暮らしより恵まれているのだが、無論このとき感謝できるだけの余裕はない。
その後、外から誰かが入ってくるような物音は、コナラが帰ってきていたのか。
すぐ戻るから、と言い残したネリスが帰ってきたコナラと思しき人と二言、三言交わすと、その人はまた慌ただしい物音を立てて出ていった。
しばらくして、ネリスがこちらに戻ってくる足音、温かい感触が手に触れて、その温もりにすがるように手を動かすと、ネリスはその手を両手で包み込んでくれた。
「お医者さん、呼んでもらったから」
「……すまない」
自分で驚くほど弱々しい、かすれた声が出た。
「勝手に飛び出して、敵に襲われて、迷惑かけて……ざまあない」
「……襲われたって、覚えてるの?」
「委員長――シンシアの姿をしていた。当人のはずはないって、分かっていたんだけど。……辛かったら立ち向かわなくていいって、怖かったら逃げればいいって。本当に死んだか疑わしいってアオイも言ってたけど、ぼくもそう信じたかったというか……未練があったんだな。二人で錬金工房をやって、静かに暮らしていこうって……煩悩に訴えるだけじゃない、あれが悪魔の誘惑ってやつか」
中途半端に開いた蛇口からだらしなく水がこぼれていくように、ぼくの弱音は止まらなかった。
「私がやっつけてあげたから、大丈夫。錆雨のタンハーって、名乗ってた。正しくは、それが飛ばしてた幻影だったみたい。……ふふ、あれ効いたよ、ソーニャの追い打ち攻撃」
「……そうか。強いな、お前」
……このときは思い出せるだけの余裕がなくて、ソーニャ云々のくだりを聞き流してしまったのは申し訳なかった。
「大丈夫。私がついてるからね」
しっかりと手を握って言うネリスのことを頼もしいとしか思えず、その妙に前のめりな態度に思いを致せなかったのも、失明のショックのせいではあったのだが。
その後、医者を連れてきたコナラとは、結局話すことができなかった。すぐに慌ただしく出ていったらしいが、彼女の方でも、ぼくと顔を合わせるのが気詰まりだったのかも知れない。
地球文明の名残を見せるこの街らしく、ぼくが記憶しているところの現代医学の知識を持っていると思しきその医者は女性で、低く、落ち着いた声をしていた。なにぶん姿が見えないので、声の印象で人物を覚えることになる。
「――結論から言うと、眼に物理的な異常はなさそうだね。詳しい検査ができていないから断言はできないけど、神経系にもおそらく問題はない。というより、明らかにそれより目立つ問題があってね。……ほら、黒目に光がなく、中ががらんどうみたいに見えるだろう?」
と、後半はネリスに向けての説明らしい。
「水晶体の中にブラックホールのような穴ができていて、それが光を網膜に当たる前に吸収してしまっているらしい。これを取り除かない限り、視力は戻らない」
「つまり、医学的な失明ではなくて、呪いというか、魔術的なものですか?」
ネリスが聞いているのは、つまり何者か――可能性が一番高い人物としては、タンハーによる呪術なのではないかということだ。ぼくも、この時点ではそう思っていた。
「呪いか。難しいね、魔術の類なら、術式とか、人為的な痕跡があるはずだ。術そのものがもっているアニマなり、術者がもっていたアニマの名残なり、検出されるはずだが、その気配がない。この〝穴〟……アニマがない。あまりに自然に、ここにある」
それがどれだけ異常なことか、この世界での魔術やアニマへの理解が乏しいぼくたちには、この医者がどうしてこれだけ当惑しているか、いまいち得心がいかないが。
「つまり、何者かの仕業ではないと?」
「文字通りブラックホールのような特異点が二つ生じて、その場所がたまたま君の両眼の中だった――そういう馬鹿げた説明が、一番無理のない理屈の通し方になってしまう。この場合、固定座標に留まらず、追随して君の眼の中に留まっている説明もつかないがね」
「……ずっと、このままですか?」
ぼくの代わりに、ネリスが話を聞いてくれているのが、つくづく有り難かった。自分ひとりでは、尋ねる勇気を持てなかった。
「自然災害のようなものだ。医者にも魔術師にも、対処のしようがない。これらの穴が、ひとりでに消えてくれるのを待つしかないが、期待しないで暮らしていける算段を整えるしかないよ」
それはつまり、盲者として生きていく覚悟をしろ、ということだった。
……残酷な事実を突きつけられたショックで動けないでいるぼくの代わりに、ネリスが医者を送り出し、その後も、文字通り手取り足取り、ぼくの世話を焼いてくれた。……さすがにトイレの中にまでついてこようとするのは押しとどめたが。
「迷惑ばかり掛けて、すまない」
疲れてベッドに横になると、すぐ側に温かい気配が起こり、当然のようにネリスが添い寝してきたらしかった。
「いいの……私ね、不謹慎だけど、嬉しいんだ。好きな人の世話を焼くのが、好きみたい」
頭全体が優しい温もりに包まれ、どういう体勢か分からないが抱擁を受けていると知る。
大事なこととして、ネリスがぼくに思慕を打ち明けてくれたのはこれが初めてなのだが、あまりに自然で当人すら気付いた様子がない。
「ずっと、側にいるね。今日みたいに、身の回りのことは全部やってあげる。歩くのが怖ければ、ずっと手を引いてあげる。私がいれば、あなたが困ることはない、そういう存在でいさせてほしい。悪魔の誘惑じゃ、ないよ?」
「……それより、はるかに甘美だ」
「本当よ。ずっと、側にいる。私が、そうしたいの」
……それから、ネリスはぼくの頭を胸に抱いたまま、どこか陶然とした様子で楽しそうにあれこれ話し始めた。
そうやって尽くすことが彼女にとっての恋愛なら、それで彼女が幸せなら。
魔力枯渇と失明に弱った心が、低きに流されそうになり、シンシアの寂しそうな笑顔が浮かぶ。その顔を汚した悪魔もいた。
もし、これから先、立ち直ってシンシアの蘇生に成功したとしても、もうその笑顔を見ることはできない。
ぐちゃぐちゃに壊れた感情が、機能を失った眼から涙だけを絞り出そうとする。
これ以上の醜態を見られたくなくて、ネリスの胸に顔を押し当てた。ネリスが熱いため息を漏らし、ぼくの頭を撫でた。
そして、どれくらいの時間が経ったか。
やはり終日の介抱で疲れたのだろう、ぼくの隣でネリスは静かに寝息を立てていた。
「…………」
ずっと、側にいる。
それが彼女にとっても幸せだと言っても、ぼくにとってそれは重い十字架だった。
他に無数の可能性がある彼女の一生を、ただぼくの世話だけに縛り続けるなんて、恐ろしい選択はできなかった。結局は、彼女の覚悟の深さに気後れし、逃げを打っているだけだったとしても。
ぼくは衣擦れを立てないように慎重にネリスの側を脱し、見えない空間を手探りでどうにか把握しながら、物音を立てないように宿舎を出た。
気温とあちこちから聞こえる歓楽の声で、どうやら今が夜らしいと知れる。
どこというあてもなく、ただ歩き出した。
誰にぶつかって迷惑になろうとも構わない。むしろ喧嘩になって痛めつけてもらえた方が、色々と早く終わりにできるかも知れない――。
……後から聞いた話では、どうやらアスタマルの中でも有名な歓楽街の大通りを歩いていたらしい。この国では異人種である人間が、明らかに訳ありの風体をして歩いているのは目立ったらしく、逆に誰から声を掛けられることもなく真っ直ぐ歩くことができていた。むしろ騒動を望んでいた甘えからすれば、もくろみが外れたことになったが。
――だから、その人に正面からぶつかってしまったのは、逆に注意を払わなくなっていた代償ということにはなる。
「たった一度の挫折でそのざまか。案外、打たれ弱かったな」
低い、いわゆるドスの利いた声。しかし不思議と温かさがある、懐かしい響きだった。見えなくても分かる、剣呑ながら大らかさをもった気配にノスタルジーをかき立てられ、見えない目でつい見上げてしまう。
「リューちゃん……?」
「今は鹿島竜次じゃねえ。総長と呼べ」
地球世界でぼくに喧嘩の仕方を教えてくれた師匠、鹿島竜次の転生――王立魔術学院総長ドラコ・ハーヴィとの、それが出会いだった。
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