#364 封印術士ネリスの献身2
この世界では聞き慣れない機械音で、意識を取り戻した。
記憶を掘り起こして、その音に一番似ていると感じたのは、一眼レフカメラがオートフォーカスでピントを合わせるときの駆動音だ。
機械の顔が、じっとこちらを覗き込んでいた。顔というのはもちろん比喩で、カメラや各種センサを搭載している部位。細長いパイプを組み合わせた首の先についていて、胴は子犬ほどの大きさか、ソーラーパネルと思しき板を載せた、やせっぽちなものだ。そのまま動物にたとえれば足は六本あり、それぞれの先にタイヤが付いている。酷く単純な造形ではあった。
慌てて上体を起こし、周囲を確認する。見渡す限り、赤土の砂漠。ここマルスガルド世界で最もありふれた風景だ。
騎兵隊の支給品であるライダースーツに破れやほつれがないこと、体にも外傷がないことを確かめながら砂を払いつつ、立ち上がる。
こちらをカメラで追っているその機械は見上げる位置になった私――ネリスの顔をしばらく眺め、やがて別のものに興味を移したかのように、違う方向を向いて走行し始めた。と言っても、せいぜい大人が歩く程度の速さだ。
「ローバー……?」
自走式の火星探査車、そのように見える。
地球世界でもたびたびニュースなどで取り上げられていて、天文好きのセシリアこと高峰遥がよくはしゃいで話題にしていた。何でも、私たちがいた現代でさえ、稼働中の探査機から送られてくる火星のライブ画像を動画配信サイトで流していたとか。
もし、このローバーがその時代のものだとしたら、このマルスガルド世界では相当に古いものになるのではないか。あるいは、今も健在の地球文明側から、なお送り込まれている現役の探査車であるなどということが、あり得るだろうか。
ローバーが私の次に〝興味〟を示したのは、私が乗っていたものに違いない魔導騎だった。ただし、その姿はいかにもオートバイ然とした騎兵隊の装備から大きく様変わりし、流線的なボディラインが美しい近未来的なホバークラフトといった形になっている。横倒しになってはいたが、損傷はなく、起こすだけで問題なく走れるだろう。
――あはは、ごめん。ちょ~っと飛ばし過ぎちゃったね。
可愛らしくもなまめかしい声が脳裡に響き、背に負った封印の杖をじろりと睨んでしまう。いちいち取り合っていては体力がもたない手合いなので、ため息一つですませることにする。
「――それにしても……」
ローバーはまた進路を変え、何やら遠くの方をじっと見つめている風だ。どこか愛嬌のあるこの子の素性も気になるところだが。
「大事になりそうだなあ……」
どうしてこうなったか、一日の始まりから振り返る――。
「これ、君が持っていてくれ」
ルーラ領主館の執務室。
リュート一行が連合国へと発って間もなく、いつものパトロールに出ようとする私に、ダイアナ将軍が何やら投げて寄越した。
「これは……」
「〝シンシアの店〟の鍵だ。留守中頼むとリュートに丸投げされたから、君に預ける。適当に営業しても構わないというから、当面は警邏の任を店番に代えてもいい」
「え、その……」
シンシアこと藤村美園がリュートの想い人だったことは、今ではこの辺の女性なら皆知っていることだ。シンシアが営んでいたその店は、一国の主となった彼がなおも度々通い、大事にしている。隊の用品を仕入れによく通っているので、よく知っている。
その二人の大事な場所を、自分なんかが預かっていいものだろうか。
「気後れするのは分かるが、他ならぬリュートからのご指名でね。店のものの価値をきちんと分かってくれる君なら、大事にしてくれるだろうと。もちろん鍵を預かってくれるだけでもいいし、何ならいっそ彼を追いかけて連合に行ってくれるのも手だぞ」
「それはさすがに……」
「……ふむ、思いつきで言ってみたが、それが最善な気もするな。手をこまねいているとトンビに油揚げをさらわれるし」
「経験者が言うと重みが違いますねえ」
リュートがフィオナ姫と婚約したことを揶揄してだろう、横から副官のパウラが茶々を入れれば、
「ははは、そうだろう、はは、は……」
自分で言い出して自分で落ち込み、頭を撫でられて慰められている第一王女であった。
この気安い関係値が羨ましい。仕方のないことだが、新入りの自分と先輩達との間には、まだ距離がある。
「思うとおりにされるといいですよ。あなたほどの実力者なら、どう働いてくれても王国のためになりますから」
ダイアナの頭を撫でながら、つくづく気遣いの人だと思う。
「……ありがとうございます!」
最近ようやく様になってきた王国式の敬礼をして、とりあえずシンシアの店に向かうことにした。
「もしもし、そこのママ?」
目抜き通りを外れ、店に近い茂みから突き出した尻に、そんな声を掛けられた。
そう、お尻である。頭隠して尻隠さずの、お尻である。エナメル質というか、こちらの世界ではあまり見ない黒い光沢のある生地に包まれた、尻である。
あまりに不審な様子に、私はここまで徐行運転してきた魔導騎を降りた。周囲に人気がないとは分かっていても、教え込まれた安全確認手順を体が勝手にやってしまう。元の世界に戻っても、すんなり二輪免許を取れる自信がある。慣熟訓練のためということで、魔導騎に乗ってパトロールするよう指示されていたのだった。
さておき、聞き捨てならない呼び方をされた。
「ママ?」
「うん。だってパパのこと好きでしょ? だったらママって呼んでいいよね」
誰だパパって、と胸中でツッコむ。尻だけで多分にいかがわしい雰囲気を漂わせている分、普通に血が繋がった父親以外の関係を想起させられてしまう。
加えて、こんなヘンテコな存在に慕われる人に心当たりがないでもないのだ。まさか、そんな世間は狭くないだろうとは思うのだけれども。こういう娘好きそうだな、と想像の中で冤罪を着せてしまう。
「あはは、聖女ママと似たようなこと考えてるでしょ。天丼ってヤツ?」
「……何かお困り?」
思考が読めるのかよとか、聖女ママって何処のセシリアさんなのとか、無限に脱線してしまいそうなので、強引に話を進める線でいかせてもらう。
「そうそう、見ての通り気まずい相手から隠れてるんだけど、黒髪で、教会の人っぽい格好の女を見なかった? 格好の割にくたびれた人妻っぽくて冒涜的な美人ですごい性格悪い」
「……たぶん、見てないかな」
おそらく当人なりに多くの特徴を伝えて分かりやすく説明しようとしてくれているのだろうが、抽象的なイメージばかり積み上がって親切とは言えない説明になっていた。それでも無駄に解像度が高いのは何故なんだろう。
……それより、本当に頭隠して尻隠さずだったのか。
「そっか、よかった」
ぷは、と尻の主は顔を出す。銀髪に深紅の瞳、紙一重で病的に見えそうな白い肌をしていた。光沢のある黒い生地の服は露出度が高く、その露出の仕方も非常に危うい感じだった。
「私はネリス、あなたは?」
このままママ呼びは落ち着かなかったので、名乗りついでに聞いてみただけなのだが、何故か劇的なリアクションが返ってきた。
よくぞ聞いてくれました、とばかりにキラリと目を輝かせ、色素の薄い頬をたやすく紅潮させて嬉しそうだ。
「ノアだよ、ノア! いいでしょ、パパに名付けてもらったんだよ!」
……もうこの無邪気さで、不審ではあれど悪い人手はないのだな、と思わされてしまった。




