#315 恥じらいのノア
気がついたときには、はげ山の城、自室でベッドに仰向けになっていった。
浴場でアオイに後ろから密着され、口づけし、その後は互いに気まずさがまさって、無言で風呂を出、背中を向け合って脱衣所で身支度をし。
城に戻るか、と聞いたのは二人の特技である瞬移を使うためだが、アオイはしおらしくうなずくと、ぼくの服の端を小さくつまんだ。
着いた先はぼくの自室の前だったが、アオイは何を思ったか、部屋の扉とぼくを交互に見て、じゃあ、と一言だけ残して去って行った。
それからベッドに倒れるまで、どこか夢見心地で、頭にもやがかかったようだった。
浴場で得た熱が冷めてくるにつれ、ようやく働き始めた頭で、アオイとのことを思い返してみる。
初めて意識して交流したのは、この世界に転移してくる前日、学校の体育館での会話だ。奴が交通事故に遭って、この世界に転生したのが、その日の帰り道のこと。その翌日、ぼくも他のクラスメートと一緒に転移してきた。
まだ、二ヶ月もたっていない。なのに、もう元の世界で奴がどんな顔だったか、はっきりと思い出せなくなっていた。
万が一、転移組が元の世界へ帰れることになったとしても、いつだったか当人が言っていたように、死んだアオイが戻ることはできないだろう。
奴の事情とは別にして、そうなったときに、ぼくも帰るつもりはない。薄情かもしれないが、すでにこちらで結んだ絆、築かれてしまった立場の方が圧倒的に大きい。
必然的に、アオイとは長い付き合いになるだろう。それこそいつか、奴が男だったことすら、時間の彼方に置き去りに忘れてしまうかもしれない。
その方がいいのか、とまだ唇に残る感触の名残を惜しんでいたとき、その気配に気づいた。
ぼんやり物思いにふけっていたから、あるいはしばらく前からいたかもしれない。
「入れよ。遠慮なんて、らしくない」
「えへへ」
声が返ってきたのは、窓の外。窓と言っても修繕中のこと、壁に開けられた穴に木の板をかぶせ、開け放すためにつっかえ棒を添えてあるだけだが。
果たして、その窓を開けて遠慮がちに顔を覗かせたのは、銀髪紅瞳の吸血鬼、ノアだった。
つい先日、ニコラウス変死事件に絡んで居合わせて以来で、五十鈴の記憶を巡る中で黒龍としての彼女と出会ったのは、彼女視点ではまた違う時間の流れでのことだろう。
ぼくの理解が正しければ、何者かに調教の術を施されて神話時代まで飛ばされたところ、歴代の英傑とともにぼくと戦わされ、術を解かれて龍から吸血鬼少女の姿にされた――というのは、今の彼女にとって過去のことで、当然ながら、ぼくの認識ではシンシアの店での初対面の前から、ぼくとノアは出会っていたことになる。
この世界では彼女以外に見ない、エナメル質の扇情的な服を相変わらず着ているが、彼女らしい気安さでひょいっと部屋に飛び込んできたものの、何やら様子がおかしい。内股で落ち着かない様子で、妙に恥じらっているというか。
「どうした?」
「うん? いや、えへへ、今さらなんだけど、この服、ちょっと露出が過ぎるかなって」
「……ほんと今さらだな」
「いや、違うの、今まで気にしてなかったんだけど、こうやってうきうきパパに会ってみたら、急に恥ずかしくなっちゃって。……その、隣、いい??」
可愛いかよ。
「おいで」
「やったっ」
まるっきり子供じみた喜び方で、ノアはベッドに飛び乗り、勢いのままぼくに覆い被さってくる。
ぼくの首に腕を回して犬のように腰を振るという、相変わらず無自覚の媚態を振りまきながら、小さい頭をぼくの胸にうずめた。
「えへへ、パパの臭いだー」
「そう言えば、尻尾はどうした?」
ぼくの周りで最近頻発するフレーズを、また思わぬ相手に放つことになった。言いながら、その尻尾の素性に思い至る節はあった。思い返してみるに、ニコラウス変死事件の折にはもうなかった気もするが、そのときは気にしている余裕がなかった。
「信頼できる人に預けてあるよ。パパも知ってる人」
「そうか」
元々謎の多いノアのこと、深く追求してもしかたがない。そういうこともあったくらいに、記憶に留めておくことにしよう。
「そうだなー、あの人だったら、ママになってもらってもいいなー。あの大きいおっぱいに甘えたい」
「――そうか」
急に解像度が上がり、候補の顔が浮上した。あの尻尾が自在の九尾の一本だったのはもう確定として、それを受け止めるだけの魔力を持ち、胸が大きいとなると、確かに信頼できる相手か。
「……この首にカプってしたときね、色々思い出したんだ。ずうっと昔、私たち会ってたんだね。私をこの体にしてくれた、本当のパパだった」
ノアは、彼女が犬歯を立てたぼくの首筋をやさしく撫でる。彼女の能力によるものか、そこにもう噛み痕はない。
「……うん」
「あのときの私は赤ん坊みたいなもので、うっすらとしか覚えてないの。でも、パパが名前をくれるって言ってくれたのは、無意識にすり込まれてたんだと思う。だから、名前をもらいに、会いに行ったんだった」
今にして思えば、そこがシンシアの店だったのも、そこにジャネットが来たのも、何かの巡り合わせだっただろうか。
「ハナちゃんと、結婚するんでしょ? あの子が最初のママかー、うれしいな」
「最初のって」
ノアがぼくの最新事情を常に把握しているカラクリはもはやツッコまないとして、当然のように吐き出されるパワーワードは看過できなかった。
「ねえ、このまま泊まってもいい? 誰にも見られないうちに出て行くから。久しぶりに、パパと寝たい」
何だろうか、見た目はジャネットと同年代、つまりぼくよりやや年長に見えるのだが、この容姿でパパ呼ばわりの上寝たいなど、一定の事案を想起させる言動である。
とは言え、時空を遡る形で後出しジャンケンのようではあるにせよ、浅からぬ因縁を確かめられた彼女を無下にできない程度には、情がわいていた。それを父性と呼べるかは別として。
「もっと寄れよ、風邪を引く」
「うんっ」
吸血鬼が風邪を引くかはさておき、当人が気にしていた扇情的な着衣を隠すようにして、粗末な毛布に二人でくるまった。




