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【史上最大のしっぽ取り開始】マスターリング ~復讐の操獣士~  作者: 高村孔
第二章 聖剣の簒奪者

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#291 ムラクモ・ラプソディNo.14 源平共闘

 撃たれたのは自分ではないか、というのは当然ながら錯覚で、実際には狙い過たず、ぼくの指示した第三の目が的確に射貫かれたのだった。

 日本一有名な弓の名手に射貫かれたその目は、ここに至って判明したことだが、赤いガラス質の覆いがかかっており、その下にある本当の目を眩ましている。そういう形で、調教の術が施されているのだった。

 精神への作用に干渉され、黒龍が身をよじって悲鳴を上げる。


「お見事です!」


 その首尾を見届け、眼下の那須与一に呼び掛けると、弓を持った手を上げて応じてくれた。

 そのとき、海上を見下ろして、気付いてしまった。

 太陽を背にしている位置関係上、黒龍の巨大な影が海面に落ちている。それは分かるのだが、それ以上に大きな影が、その上に乗っているのだ。

 それは不吉な形の羽を持った蝶のようで、黒龍から怨念のアニマを吸収して膨れ上がった黒い翼だと気付くのにしばらくかかった。今や、黒龍そのものの大きさに勝るとも劣らず、影だけ見れば、相応の怪物が黒龍に食いついているように見えるのだった。


 ――いや。


 目を射貫かれ、動きの鈍った黒龍の上で、龍の角の付け根にかぶりついた姿勢から立ち上がると、赤黒い血がぼくの口から滴った。


 ――ぼくはもう、掛け値なしに怪物なのか。


 改めて見下ろしてみれば、黒龍とぼくを遠巻きに見る源氏、平氏の武者たちは完全に腰が退け、目に畏れを顕している。偶然目の合った武士がびくりと身を震わし、さっと目を逸らした。

 少し前までは、ぼくがあちら側の人間だった。経済が破綻した家で暮らし、毎日学校でいじめられ、同級生の足に蹴転がされる底辺の弱者だった。

 ほんの少しの偶然と幸運に恵まれただけで強者の側に立った。弱者のために尽くすと息巻いても、もう本当の意味で彼らの気持ちを理解することは難しくなっている。何ならこうして、彼らに倒されても文句の言えない立場になってしまったのだ。


 ぼくの吸収が解け、わずかでも力を取り戻したか、身じろぎするように竜の首が動き、一つの舟を見る。

 その舟は簡素な造りながら、貴人を迎えるための屋形が設えられ、戦いの背景を理解していれば中に誰がいるかはすぐに分かるという、そういう舟だった。

 そして、これはぼくだけかも知れないが、短い付き合いではあるがすっかり馴染んで判別できるようになった清浄なアニマの塊が、金色の光に見えている。

 その、龍の視線に気付いた平家の武士たちが、にわかにざわつき始める。

 ――あの舟に、おわすのか。

 ――帝が。

 ――まだ幼いのに。


 先だって、平氏は三種の神器のうち八尺瓊勾玉と、天叢雲剣――正確にはその形代――を持ち出し、幼い皇子を安徳天皇として擁立した。

 史実では、安徳帝は祖母である二位尼と、二つの神器とともに入水したことになっている。

 というか、これからその光景を見なければならないのか。

 そんな物思いの意識の外から、妙に軽い、金属質の音が聞こえた気がした。

 音がする方を見下ろせば、黒龍の鱗に当たり、あえなく弾かれたと思しい、一本の矢が落ちていくのが見えた。

 矢が放たれた方は、と視線でたどると、ぼろぼろに引き裂かれた鎧を着た満身創痍の武士、平家の者だと分かる勇士が、震える手で弓を構えているのだった。


「帝を、お守りせよ!」


 どれだけの勇気を振り絞って、その一言を発したか。

 それに呼応して、そこかしこに傷つき、倒れ伏していた平家の武士たちが雄叫びを上げ、それぞれの傷をかばいながら舟の上で起き上がり、弓を取り、持っていない者は槍や刀を手に舟を寄せ始める。

 やがて、嵐のような矢が黒龍目がけて放たれ始めた。

 そのうち一本が狙いを外したか、あるいは狙い通りなのか、ぼくへと迫ってくる。

 ひどくゆっくりと近づいてくるように見えた矢を、避けるべきではないのではないかと、思ってしまった。ぼくという怪物も、ここで倒されるべきではないかと。

 しかし、その逡巡の間に立ち上がった障壁が、矢の衝突を阻んだ。

 魔術の出所を探ると、義経がスキルを行使した手を突き出したまま、ぼくを見ている。何事か、問うている。

 ぼくは、半ば自暴自棄になりつつ、頷いた。


「指をくわえてみているか、源氏のつわものどもよ! 帝をお守りするが武士の本分、平家に遅れをとるな、東国武者の誇りを見せよ!!」


 義経の呼び掛けに応じ、源氏武者たちも平氏に負けない雄叫びを上げ、攻撃に加わる。

 矢の嵐が密度を増し、不要になった武具などを満載して火を付けられた舟がぶつけられ、あるいは剛の者が無謀にも、刀や槍を手に直に黒龍に迫る。というか、そのうち一人はどう見ても武蔵坊弁慶だ。


「こんなことが、あるのか……」


 武士は天皇を守る者。その本分に立ち返った源氏、平氏の両者が、黒龍を共通の敵として、図らずも共闘する。

 これまで、なるべく本来の歴史の流れに沿うようにと行動してきたつもりだった。けれども、その通りに進めるのが正解だとしたら、ぼくは何のために過去に渡っているのか。

 父に似たスサノオ、あいつに似たヤマトタケル、ぼくに鍛えられたと主張する義経。もはや大きく逸脱しつつある歴史の中で、それでも果たすべき目的があるはず。

 義経による障壁に守られつつ、源平両氏からの矢を黒龍とともに浴びながら、ぼくは安徳天皇のいるはずの舟を見る。そこに宿る金色の光は、五十鈴――天叢雲剣・形代が発しているはずだ。


 ――名前を取り戻した彼女を、マルスガルドに連れていく。


 それが、今回ぼくが果たすべきことのはずだ。

 そのために歴史上あり得なかった源平共闘が実現したのなら、ぼくは敵役を引き受けてもいいじゃないか。


「悪いな。もう少し、茶番に付き合ってくれ」


 傷ついた黒龍に呼び掛けながら、ぼくは大きくなった黒い翼を閉じる。

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