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#2 少年の独白

 父は酪農家で、幼少の頃は牛の世話を手伝っていた。


 掃除に餌やり、搾乳と、機械化されている工程も多いが、それなりの肉体労働で、苦労自慢する気は無いけれど、ちょっとしたアルバイトよりは重労働だったと思う。

 それでも動物に触れるのは好きだったし、収入の多寡はともかくとして、父も誇りを持って仕事に打ち込んでいたし、非農家の出だったという母親も、文句を言いながらよく手伝っていたと思う。


 それでも、人の労力の及ばないところで命脈を絶たれるのが一次産業の恐ろしいところで、我が家に襲いかかったその悪魔の名は口蹄疫と言った。


 保健所の指示により牛は全頭殺処分とされ、獣医の指導を受けながら薬物を注射した後、埋設処分となった。


 プライドの高い父の心は、簡単に折れてしまった。


 補償金で食いつなぎながら再就職の口を探し始めたのも最初の一ヶ月だけで、あとは女に酒に溺れるだけだった。

 アルコール中毒で離婚が成立し、親権者の選択を迫られたぼくは父を選んだ。

 父はその後再婚したが、まるでぼくをいないものとして扱い、悲劇の主人公という役に耽溺し、あえなく生活保護に頼ることになった。


 クラスで口蹄疫を知っている奴は少なくても、生活保護を知らない奴はいない。


 支援施設との関わりを知られたぼくがいじめのターゲットになるのも必然ではあった。


 だから、持ち物を瑕つけられ、金銭を奪われ、殴る蹴るの暴行を受けても、我慢できなくはなかった。

 弱者が強者に搾取される道理はクラスの誰より理解しているし、多感な中学生のコミュニティの維持にスケープゴートが必要なのも分かる。

 命を奪われるまでされないのであれば、こんな辛苦は牛たちの受難に比べればぬるま湯同然だ。

 進級するまで、卒業するまでであれば、耐えられなくはない。


 少なくとも、害が及ぶのがぼく自身に留まるのであれば。


 他の学校や地域の事情は知らないので、それが珍しいことかどうかは分からなかったが、ぼくの学校には各クラスに飼育係なるものが存在していた。

 田舎には珍しくないと思うのだが、ウサギやモルモットなどの動物が学校で飼育されていて、その世話をする係が各クラスの持ち回り制で決められていたのだ。


 四月ではまだ家が酪農を営んでいたぼくが必然的にその係に選ばれていた。

 各クラスとの話し合いの結果、ぼくはアミという名前の白ウサギを世話することになった。


 いじめが常態化していたぼくの学校生活で、アミと過ごす時間だけが潤いだった。

 登校しない誘惑に常に駆られていた日常の中で、アミの世話をするという義務だけが、ぼくを学校につなぎ止めていたと言ってもいい。


 思えば、どこまでもぼくの認識が甘かった。


 酪農家に生まれ、動物は人間よりも大切にされるものという認識が当たり前で、一般家庭に育った子ども達はそう思っていないと思い至らなかった。

 何の意味も無くその命を奪うことをためらいすらしない、そういう人間がいることを知っておくべきだった。

 そしてそういう人間が冷徹非情な殺人鬼などではなく、すぐ隣で同じ授業を受けている子どもでもあり得ることを。


 だから、その日も朝早く登校して、冷たくなったアミを見つけても、何が起こったのか分からなかった。


 クラスメートの告げ口でその犯人に仕立て上げられたと知ったときも、アミの死を知ったとき以上のショックは無かった。

 ただ、面白半分にアミの命を奪った奴がいると考えると、今まで感じたこともない憤りが黒々と湧き起こり、心を真っ赤に塗りつぶした。

 聞き取りと称した担任の説教を夢うつつに聞き流し、気がつくと、何もいなくなった飼育小屋に来ていた。


 アミがいなくなり、寒々しい飼育小屋で膝を抱えるぼくに、悪魔が囁いた。

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