#175 二人の共鳴
最初は互いに近況を確かめ合うような音を交わして、私たちの演奏は始まった。
ある意味で、最初に合わせたときよりも、ずいぶんぎこちない音の対話だったと思う。
それでも、最初のフレーズが終わるころには、父のオーディオルームで交わしていた演奏の、二人のクセのようなものが脳裡に蘇り、自然と弦を繰る指は滑らかに回り始めた。
それに答えるように、リュートの笛の音も水を得た魚のように空間を泳ぎ出す。
二つの楽器が放つ音波は互いに絡まり合い、あるところで高め合い、あるところで打ち消し合い、共鳴してより豊かな響きを生み出す。
ああ、これがアニマなんだ。
物理学的には波動として説明される共鳴が、今は温かな光のようなものとして、確かに捉えられるのだった。
この世界にあまねく満ちている命の源であり、私たちエトランジェの中ではリュートが突出して感知し、操るのに長けているもの。
これまではゲームでコマンドを選択するようにスキルを使ってきたけれど、この感覚を研ぎ澄ませれば、また違った世界が見えるのかも知れない。きっとそれは、今リュートが見ている世界に近いはず。
他のみんなにはどう見えているのだろう、私には、リュートと私を中心に光のドームが広がり、私たちの楽器から出る音が心臓の鼓動のように発し、光に揺らぎを生んでいた。
今なら、伝わる、伝えられるはず。ハープの弦に、思いを乗せる。
――ねえ、聞こえる?
――ああ。
やっぱり、答えてくれた。胸を締め付けられるような、寂しい悦びに満たされる。
――ずっと、言えないでいたことがあるの。一緒に見てくれる?
そう、伝えられるのは音だけではないはず。光だって――。
「今は、やめときな」
二人でこっそり音楽を楽しんでいた頃から、時は流れ、お互いの家の事情から疎遠になっていた中学二年生の頃、この世界に放り込まれるしばらく前だ。
そのとき私は学校の下駄箱の前で、数時間考えてまとめた文面を込めた封筒を手にして下駄箱の前に立ち尽くしていた。
今にして思えば、桐島さんはいつからそこにいたのだろうか。気怠げに下駄箱にもたれ、無遠慮な声を投げてきたタイミングは、私の行動を予見して、先回りしていたように感じた。
もっとも、そのときは私の行動を咎められているとしか感じられず、普段から攻撃的な彼女の態度にただ反発してしまったのだ。自分の行動の悪質さを棚に上げて。
「分かってる。ウソ告って言うんだよね、こういうの。でも、嘘じゃないから。本当の気持ち、伝えたいから」
勘のいい彼女のはず、それで分かってくれるものと思っていた。
その陰湿な悪戯を思いついたのは誰だったか、もう思い出せない。高良清吾君を中心とした古城君いじめの一環で、女子がラブレターを下駄箱に入れた風を装って、待ち合わせ場所に現れた古城君をみんなで笑おうということになったのだった。
思い出すだけでも忌々しい、けれども、その中に自分も属していて、否定できなかった悔恨が滲む、ただ苦い思い出だ。
くじ引きの結果、私がラブレターを出すことになった。
こんな形で彼へのいじめに加担したくなかった一方、これはチャンスではないかと思う閃きがあった。
つまり、手紙で伝える待ち合わせ場所にちゃんと現れて、本当に告白してしまえばいいのではないか。
もちろん、そんなことをすれば結果はどうあれ高良君たちからの風当たりは強くなるだろうし、そもそも告白がうまくいくかも分からない。けれど、せめてこれまでいじめを止められず、傍観してしまっていたことを謝るくらいはできるのではないか。
このときはそれが冴えた閃きに思えてしまって、私はその役を引き受けてしまったのだった。
「……どっちでもさ、うまくいかないよ。それでもいいの?」
またしても、含みのある言い方だった。
ここでも、当時の私は単純に反発してしまう。桐島さんは女子の間でも特に古城君への当たりが強く、あなたに言われたくないと強く思ってしまった。
「……いい。もう、見て見ぬ振りしてるだけは嫌だから」
これまで気弱な態度ばかり見せていた私が強く反発したのが意外だったか、桐島さんは片眉を跳ね上げながら不快そうな表情を作る。
「自己満足、しょうもな」
興味が失せたとばかり、桐島さんは上履きを靴に履き替え、ひらひらと手を振って校舎を出て行った。
私は彼女の態度に半ば心を折られそうになりながらも、意を決して古城君の下駄箱を開け、手紙を中に入れた――。
――次の日ね、おばあちゃんが倒れたの。お父さんは出張で、私しかいなくて。救急車を呼んで、意識が戻るまで付き添って。幸い大事には至らなかったけど、大好きな人があんなことになって動転しちゃって。学校に連絡しなくちゃって気付いたときには、手紙に書いた待ち合わせ時間を過ぎてた。
――…………。
――ずっと謝れなくてごめんね。今さらになっちゃったけど、私の気持ちは、ずっと変わってない。……好き。大好きよ、優斗君。
最後の一音が長い余韻を引き、私たちの演奏は終わった。
王様が率先して打ち鳴らした両手から万雷の拍手が始まり、目を輝かせた魔族や獣人の子どもたちが詰め寄ってきて、もみくちゃにされた。
リュートときちんと言葉を交わしたかったが、彼の元にも大勢の女性が称賛に詰め寄り、互いに言葉を交わすどころではなくなった。
なし崩しに無礼講の宴会騒ぎになり、私も大勢の人に話しかけられたり、しきりに勧められるお酒を断ったり、忙しくなってしまった。
だから、その場からリュートの姿が消えていることに気付いたのは、しばらく後のことだった。




