#168 停戦会談3
……まずこちらをピュセルの後継者、すなわち敵方総大将と認めず、その討伐を果たしたエトランジェとして話すことで、あわよくば停戦交渉自体をうやむやにする算段か。
気が弱い者なら強い反論に出られず、また褒賞につられて肯定の返事をしてしまうところだろう。
――乗っちゃダメだよ。
――分かってる。
隣の席に控えるオリヴィアと念話する。
「でしたら、あなた方が魔族と呼ぶ難民や、獣人たちの分も人頭税を課し、納めねばなりません。戸籍を整え、そのようにはからいますが、よろしいですね」
ニコラウスが机を叩き、怒りを露わにする。
「そやつらは人ではない、認められるわけがなかろう! だいたい税を課すのなら、納められぬ難民の分は貴様が賄うことになるのだ、何の得がある!」
まさか本当に、こちらの意図を分かっていないのだろうか。人頭税を納めれば、名目上は人と同じ市民権を得られる。魔族や獣人に人権を認めるかどうかを意識させるだけの牽制なのだが。
罵声を浴び、入口に控えていたナイーマとヒバが拳を握り締めるところに手を差し伸ばし、落ち着かせる。
「その者らは奴隷とすればよかろう」
感情の乗らない声で、王が言う。
「奴隷、ですか」
自分で思ったより、低い声が漏れた。
「さよう。魔族や亜人だけではない、身をやつした人間にも奴隷はいる。徴税を含め、領地運営に人が要るのならば官吏を送る。他にも困ることがあれば、いつでも申し出ればよい」
ニコラウスの言い分を否定もせず、それで解決とばかり王は口を止める。
分かってはいる。この世界と元の世界とでは、まるきり倫理観が違う。
身分制であり、奴隷がいるのも当たり前で、その常識に根ざした倫理観が国を支配している。彼らは彼らなりの正しさを言っているだけだ。
……だから、何だ。
ぼくには、ぼくの正しさがある。積み重ねられた歴史が教えてくれた規範がある。
少なくとも今、ぼくの元に集った人々は、その規範に従って守られなければならない。
激情を抑える意図もこめて、目をつむり、何度も繰り返し読んで覚えた文を思い出す。
「……すべての人間は、生れながらにして自由であり、かつ、尊厳と権利とについて平等である。人間は、理性と良心とを授けられており、互いに同胞の精神をもって行動しなければならない……」
「? 何を……」
彼には意味の分からない呪文にでも聞こえたか、ニコラウスが眉をひそめている。
ウィリアム王は、やや弛緩していた意識を引き締め、鋭い眼光をこちらに向ける。
「……すべて人は、人種、皮膚の色、性、言語、宗教、政治上その他の意見、国民的若しくは社会的出身、財産、門地その他の地位又はこれに類するいかなる事由による差別をも受けることなく、この宣言に掲げるすべての権利と自由とを享有することができる。さらに、個人の属する国又は地域が独立国であると、信託統治地域であると、非自治地域であると、又は他のなんらかの主権制限の下にあるとを問わず、その国又は地域の政治上、管轄上又は国際上の地位に基づくいかなる差別もしてはならない」
「何を、訳の分からぬことを……」
苛立ちに顔を歪めるニコラウスに対し、ウィリアム王は後方の速記係を振り向く。
「控えておるな? 一言一句漏らすな」
「……すべて人は、生命、自由及び身体の安全に対する権利を有する。何人も、奴隷にされ、又は苦役に服することはない――」
所詮は借り物の言葉だ。けれども、目の前の男を一時的にでも超克するには、二十世紀までの時間が紡いだなけなしの誠意が必要だ。
澄んでもおらず、濁ってもいない、磨き抜かれた象牙のような王の目を真っ直ぐに見る。
「――奴隷制度及び奴隷売買は、いかなる形においても禁止する」
出典:世界人権宣言テキスト
https://www.unic.or.jp/activities/humanrights/document/bill_of_rights/universal_declaration/




