#130 ゲームオーバー
その場の誰も、彼女の初動から、ジークを吹き飛ばすまで、一部始終を視認できなかったに違いない。
リュートの傍に控えていた、ウサギ耳の獣人。彼女が、ジークに反応し、槍を振るってその攻撃を阻んだのだった。
旋風と感じたのは、その彼女の槍の、ただの一振りだった。その圧だけで吹き飛ばされ、ジークは文字通りしりもちをつく。これだけきれいにしりもちをついた人を、現実で初めて見た気がする。
「引っ込んでいろ!」
その体たらくに舌打ちしたキキョウが一喝し、鋭く斬り込むが、やはり槍が巻き起こす旋風に押し返され、触れることさえ叶わない。
もはや戦うしかない。
何とか援護しようと私たち後衛も構えるが、そこにもう一人の、小さな女の子が弾丸のように飛び込んできた。そう認識する間もなく、その小さな体が光に包まれ、巨大な正体を現す。
「!? ――……そんな……」
ネリスが思わず絶望の声を漏らすのも、無理はなかった。
燃え盛る炎を鏡に映したような深い紅のウロコに全身を覆われ、むしろ先の蒼龍よりも逞しい後肢と尾を床に打ち付けて、こちらを睥睨し、咆吼する。
大きく発達した頭部は獣脚類の恐竜を彷彿とさせるが、前肢から発達した膜翼は、紅の先に藍色から翡翠色までの鮮やかなグラデーションを持ち、神話上の存在のような神々しさも放っていた。
蒼龍と比較するなら、赤龍と呼ぶべきだろうか。あれだけ死力を尽くして、なお敗北を喫した蒼龍に勝るとも劣らない威容を持ったドラゴンが、まだ魔将軍の前に控えていた。
ウサギ耳の獣人は、槍を持たない左手を、赤龍の後肢に添える。確かな信頼の温もりを感じさせる仕草だった。
これだけの敵を相手取って戦うモチベーションは、私を含めて誰にも残っていなかった。そしてこの瞬間に、彼の緊張の糸も切れたのだった。
「あーあ」
尻もちをついたところからそのまま四肢を投げ出し、ジークは仰向けに倒れ込む。遊び飽きた子どものような、その場の緊迫感に似つかわしくない仕草だった。
「ゲームオーバーかよ。途中までは面白かったけどクソゲーだな、レベル差ありすぎだろ」
ピュセル将軍が、信じられない者を見たという風に瞠目する。
そっぽを向いたままだったリュートの顔に一瞬ものすごい密度の憤怒が走り、しかし彼は目を固く閉じて奥歯に怒りをかみ殺していた。
高良清吾という男の異常さに、底知れない認識の浅さに、ようやく思い至ったのだ。
ジークは至極のうてんきな様子で半身を起こし、周囲の面々を見回す。見ているくせに、自分がどう思われているか、気にも留めない。
「誰でもいいからさ、さっさとトドメを刺してくれよ。ってか、どっからやり直しになるんだ? こっから歩いて帰んのだりーんだけど」
彼は、この世界のことをまるっきりゲームだと認識していたのだ。
自分がその主人公で、出会う人々はすべてNPC、死んでも何らかの手段で生き返ることができるし、自分が死ねばどこかからやり直せると。
それらしいUIウィンドウが目に映るから、そう思うのも無理はないかも知れないが、それにしてものどかすぎる。
「やり直せると、思うのか」
その声は確かに男性の、元の風間君の声だった。そう錯覚するほどに、低く押し殺した声が、ピュセル将軍の口から漏れた。




