#13 少年の旅立ち
街に戻る道すがら、オアシスに立ち寄った。
小さな泉を中心に灌木が生い茂るささやかな生態系は当然人を中心とするものではなく、ぼくが来たときも先客がいた。
ファイアリザード。赤い鱗に覆われた爬虫類型の、いわゆるモンスター、魔物である。
泉に荒々しい波紋を散らしながら水を飲んでいた。
爬虫類型とはいえ馬ほどの体高があり、さながら小型獣脚類の恐竜といった出で立ちである。
実際、そのような生態なのだろうと伺えた。
ファイアリザードはリュートの気配を敏感に察知し、こちらを見てくる。
黄色い目の中で細長い瞳が印象的だ。
特に身構えることなく、ファイアリザードから適度な距離を取って、泉の水をすくって飲む。
ファイアリザードは見慣れない個体に警戒を強めるが、じっとこちらを見つめ、ぼくが他の人間と違い危害を加えてこないこと、また、逃げもせず平然としている様子に次第に興味を持ったのだろうか、少しずつ近づいてくる。
気付かないふりをしながら顔を洗っていると、冷たい感触が、頬に当たった。
振り向くと、すぐ目の前に、ファイアリザードの顔があった。想像以上に、距離を詰められるのが早かった。
目をしばたたかせ、首を傾げながらこちらをのぞき込んでくる仕草は、思いの外愛らしい。
噛みつかれないように位置取りに気をつけながら首に手を伸ばすと、大人しく触らせてくれる。未知の世界の未知の生物に素手で触れるのは感染症のリスクがあるかとも思ったが、今さらな気がした。少なくとも教会へ行けば、いくらかの寄進と引き換えに病気を癒やしてくれる。
人間に撫でられるのは初めてなのだろう、目を細めて喜ぶ様子は爬虫類とは思えないほど表情豊かだ。
ゲーム感覚ではモンスターは倒して当然の存在だが、この世界ではどうか。
人間にとっては害獣であるらしく、討伐の対象のようだが、このように交流することもできる。
しかし清吾のパーティでは、あそこまでの道すがら、遭遇したモンスターとは単純に戦闘し、無碍に殺していた。
……あの中の誰かが、アミを殺した。命をもてあそぶことを何とも思わない人間を許してはならない。
誰も手出しできなかったドラゴンを調教できたことで、ある意味溜飲が下がったのは確かだった。
しかし、まだ足りない。命を弄んだ罪の重さを思い知らせるまで、行動を止めるわけにはいかない。
さておき、単純な獣脚類なら、それほどの知能があるとは思えないが、どうか。
しばらく気持ちよさそうに撫でさせてくれたファイアリザードは、不意にしゃがみ込み、何事か目で訴えてきた。
「乗っていいのか?」
瞬きし、頷いたように見えた。
恐る恐るその背にまたがると、かたく、しかし温かい感触が伝わってきた。
ドラゴンよりは甲高い、しかし勇ましい一声とともに、ファイアリザードは走り出す。
どこまで理解できているのか、しかしその方角は確かにルーラの街を目指している。
ちょうど、乗馬に近い感覚だった。自分の身長一つ分ほど視線が高くなる。
見渡す限りの荒野でも、見える範囲が広くなると、透明な空気の質感を美しいと思えた。
悪くない、悪くない気分だ。
誰にも対処できなかったドラゴンを御すことができたのは、痛快だった。
今さらながら、その実感が湧いてきた。
この力があれば、立ち回り次第で元の世界よりも上手くやっていける。その確信が湧いてきた。
正直、昨夜の一件で清吾達に対する燃えるような復讐心は、やや落ち着いた気もする。
アミのことさえなければ、自分一人の気持ちだけで済むなら、もう赦してしまっていたかも知れない。
今は措こう。
この世界で、ぼくは生きていく。
復讐を果たすにしろ、それ以外の道を見つけるにしろ、前より上手くやっていける。
この世界で、ぼくは生きていくんだ。
――こうして、その少年は自らの意思で、まったく知らない世界へと足を踏み入れた。
その旅は彼個人の復讐という目的をはるかに越え、やがてこの世界そのものの命運をも大きく変えていくのだが、彼自身を含め、まだ、知る者はいない。




