#102 アオイの恋情
皆が寝静まった頃を見計らって、音を立てないように気を遣いながら、起き上がる。
あの後は、遊び疲れた子どもたちと一緒にこの家に戻り、大勢で食卓を囲んだ。ドリーの姿がなくなっていることについては不自然に濁しながらの団らんではあったが、子どもたちはリュートによく懐き、まるで新たな保護者が彼だと言うことを本能的に悟っているようにも見えた。
雑魚寝になった乱雑な床で、この世界でリュートという名を得た親友は、二人の従者に添われ、安らかな寝息を立てている。
他の者を起こさないように気をつけながら傍に腰を下ろした。
――そのポーチの中よ。あの人の、匂いがする。
匂いという抽象的かつ感傷的な表現は、あるいは男のままだったら理解できなかったかもしれない。
あるいは女になったからだけでなく、元の世界にいたときよりも強化された感覚が理解させるのかもしれないが、リュートの「匂い」と言われれば、はっきりと記憶しており、理解でき、何なら、白状すれば特別な感情を呼び起こされる感覚だ。もちろん物理的な嗅覚だけでなく、近づいたときの汗の湿っぽさ、その奥にある熱さ、温もりも含めて。
この世界に来た当初から感じていたのは、窮屈さだった。
これまでの男の姿よりも小さい女の姿は、今までの感覚だと一歩踏み出すだけで違和感がつきまとった。男の一歩は大きすぎたのだ。自然と歩幅だけでなく、立ち居振る舞いすべてがこぢんまりとする。戦いの中でさえ、小さく動く方が結果的に速かった。
小さい振る舞いを身に付けることは自然と、時流に逆行するようではあるが、女性的に美しい所作を身に付ける結果にもなったと思う。必然的に、女性らしい思考も身についていった。つまり、性的嗜好も含めてである。
廃城に身を寄せる民を救うために潜ったこのダンジョンで、図らずも再会した古城は、元の世界にいたときよりも一回り大きく、逞しく見えた。もちろん古城が大きくなったのではなく、自分が小さくなったのだが。この世界での初対面ではお互い警戒して斬り結ぶことになったが、その感触の力強さも強く印象に残った。
決定的に響いたのは、ガーディアンと呼ばれていた機械人形との戦いの最中だった。敵の攻撃を避ける過程でリュートに助けられたとき、見ようによっては押し倒される形になった。自分が男のままだったらあり得ない感情だっただろうが、濃い汗の匂いと抱きしめる力の強さに、胸の奥が甘くうずいた。このままこの強さと優しさに身を委ねてしまうことが何よりの幸福ではないかと思ってしまった。
要するに、サウジーネの言う匂いをリュートのものに置き換えれば自分にも理解できる感覚と言うことで、それが分かってしまうほどには女になってしまったという話だ。そして、その幸福かも知れない未来も、手放さなければならないことも。
――それよ、指輪をつけた手で触れるの。
サウジーネの導きのままに探り出したのは、カラスのそれよりも艶めいて見える、鳥の羽根だった。
言われるまま、ウィンドウを開き、キーアイテムから〝封印の指輪〟を取り出す。リュートには話していなかった秘密の一つだ。左手薬指にはめ、その手で羽根に触れると、悪寒に似た不快感が背筋を走る。それだけで、何かが「入ってきた」ことが分かる。