家庭
私は、片親だった。
いわゆる、母子家庭というやつだ。
でも。
なんというか。
母の影には、いつもひっそりと男性の姿があった。
それが、私にはどうしても嫌だった。
・・・母は、私が小さい頃から
口癖のように、こう言っていた。
「アラブの石油王の子供でも産めば
一生遊んで暮らせるかねえ?」
いま考えてみれば、なかなか不適切な発言ではあるものの。
私は子供の頃から、そういった発言をよく聞いていた。
男性の子供を産むことが。
いや、正確にいえば"ヒモ"になることが
どれだけ素晴らしいか、ということを。
冗談めいていながらも、洗脳のように聞かされ続けていた。
それで。
結構、行事の送り迎えなんかの時に
母と一緒に『知らない男性』が来ることがあった。
・・・私は、いつも、なにも突っ込まなかった。
私の脳内は、いまここにある現実よりも
さらに未来を見ていたからだ。
「どうか、弟か妹が出来ませんように。」
私は、小さい頃から真面目にこうやって考えていた。
母から『アラブの石油王の子供を産む話』を
聞かされ続けていた私にとって。
『男性の子供を産んでヒモになる』という
シナリオは、ひどく現実的に思えたからだ。
そして。
母は、男性と、旅行に行くこともあった。
けど、私は絶対に、旅行に一緒には行かなかった。
私は、知らない男性と一緒に
旅行なんて、行きたくなかった。
でも、母には、交通手段とか、送り迎えとか。
そういう話で、男性が必要という話をされてしまうのだ。
けれど。
そんなこと、どうでもいいと、いつも思っていた。
交通手段がないなら、電車を乗り継げばいいじゃないか
歩いてでもいいと、私は、いつも思っていた。
でも、私にはわかっていた。
交通手段というのは『口実』に過ぎないということが。
だから、黙っていた。
そして、そういう話を聞かされたあと
私はいつも、こう言った。
「旅行は行かない。つかれるだけだ。」
そう言って、私は
『旅行が嫌い』ということにしていた。
だから、母と私の旅行の思い出は
数えるほどしかない。
母にとっては、知らない男性との
旅行の思い出の方が、よっぽど多いだろう。
母と男性が旅行に出かけている間。
私は、一人で夜を過ごしていた。
私がいなくても、男性と一緒に平然と旅行に出かける。
そんな母に対して、複雑な心情になりながら。
「いまごろ、母と男性は、何をしているのだろうか。」
そう考えているうちに『気持ち悪い妄想』までしてしまって
気付けば、嫌悪感で、いっぱいになっていた。
・・・結局。
私が大人になるまでの間で
母は妊娠することはなかった。
弟も、妹も産まれなかった。
またも、私の取り越し苦労だったのだ。
そうだ。
母と男性の関係は、本当に、送り迎えだけだった。
・・・とまで、素直に考えられるほど
私はまっすぐじゃないのだが。
でも、欲をいえば。
・・・男性の側も、遠慮してほしかった。
いや、高望みすぎであることは、わかっているし。
母が、利用しようとしていただけだ。
向こうも、こっちの事情なんて
知らなかったかもしれない。
それくらいは、想像できる。
けど。
だめなのだ。
どうしても。
なんというか。
何を考えて、母と一緒にいたのか。
私の送り迎えに現れたのか。
いま、その関係がどうなっているのか。
それが、いまになっても
一向にわからなくて、恐怖でしかないのだ。
だから。
ひがみや、言い訳。
あるいは、ねじ曲がった
とらえ方なのかもしれないけれど。
私は、結婚とか、出産とか。
そういう『家庭』をつくることに
正直言って、嫌悪感がある。
孫を楽しみにしている母には、申し訳ないけれど。
なんというか、それにまったく、幸せなイメージが
浮かばないのだ。
もっといえば。
『家庭』というものに対して
どう接すればいいのだろうか?
それが、ちっともわからないのだ。
妄想力が足りないだけかもしれないが
まったく、家庭のイメージが浮かばないのである。
仮に、夫がいたとして
夫は、何をするのだろうか?
妻は、何をするのだろうか?
仮に、子供がいたとして
夫は、何をするのだろうか?
妻は、何をするのだろうか?
理想的な家庭像は、いくらでも
想像することはできるものの。
あくまで、想像の中でしかない。
悲しきかな。
私にとっては、知らない男性と
こそこそしながら、子供を放っておくこと。
あるいは、アラブの石油王のヒモになること。
それくらいしか、リアリティを持って
妄想することができないのだ。
だから、やっぱり、恐怖でしかないのだ。