〈神の采配〉 勢いと不穏
* * *
ヨシュアに手を引かれながら駆けているティアラは、いつかと逆だと思っていた。
体が熱いのは走っているからだけではない。
簡単には治まりそうにない熱に泣きたくなってくる。
主導権を握るヨシュアは、オーヴェ軍でごった返す城門内の広場を逸れて、自分が乗ってきた馬を預けている厩を目指した。
この厩は客人専用なので喧騒の外にあるものの、繊細で敏感な馬達は、そわそわと落ち着きがない。
「待って、ヨシュア」
探していた馬を見つけて鞍の準備を始めるヨシュアに、ティアラは困りきって呼びかけた。
「なんだ?」
ヨシュアは、いつものように振り向きもしないで聞き返してくる。
ティアラは地団駄を踏みたくなった。
自分を見てくれないヨシュアと、見てもらえるような何かを持っていない自分に。
ティアラには、ヨシュアが何を考えて出かけようとしてるかなんて、理解できていない。
ただ、自分を必要としてくれているなら、カミの助けがいるのだろうとわかるだけ。
それだけで充分だった。
なのに、肝心な時に限って、ティアラはカミと連絡がつかない。
いつもなら、呼びかければすぐに応えてくれるし、何をしてるだろうと考えるだけでも気持ちが通じて、一人で寂しい時には、そっと寄り添ってくれる気配が伝わってくるのに。
「ヨシュア、聞いて。カミと連絡が取れたら、必ずヨシュアの助けになるように頼むから。どこにいたって、夢で繋がったことのあるヨシュアなら大丈夫」
きっと、ティアラなしでも、カミはヨシュアを助けるだろう。
それくらい気に入っているのは、見てればわかる。
どんな時だろうと置いてきぼりにされるつもりはなかったけれど、それはカミの加護が必ず役に立つはずだからだ。
そうでなければ、世間知らずのティアラなんて、足手まといにしかならない。
「だから、私は置いていって」
自分で口にしながら、それが持って生まれた星回りなのだろうと諦めに似た気持ちでいっぱいになっていた。
* * *
ヨシュアは作業の手を止め、ティアラを振り返った。
あのティアラが、自分を置いていくよう進言してきたからだ。
なぜ、と思う。
確かに、カミの協力が必要だと思ったけど、それだけの意味で必要としたわけではなかった。
なんとか間に合ったとしても、ウェイデルンセンで何者でもないヨシュアが一人で引き止めに行ったところで、相手にされないで終わってしまうだろう。
だから、王妹で、山守の巫女でもあるティアラの同行が重要だった。
しかし、今、そういった現実的な問題とは別のところで、なぜ、とヨシュアは疑問に思っている。
昨夜、ヨシュアはファウストにティアラを置いていけと言われた。
その時はなんの疑問も持たずに納得したものの、冷静になってみれば、ティアラはヨシュアの所有物ではないので、ずいぶんおかしな表現だった。
それに、目の前にいるティアラだって、てんでおかしい。
二人きりなのにしおらしくて、どこか我慢して見える。
そんなの、全然、ティアラらしくない。
こんな状態で、どうして残していけると思うのか理解不能だ。
ヨシュアは思わず、自分が別れを決断したのも忘れて説教したくなった。
「前にも遠慮するなって言ったよな。ティアラが本当にしたいことはなんなのか、俺にくらい言ってみろ」
怒ったように問われたティアラは、ぐうっと息を詰まらせた。
どう考えてもティアラは置いてくべきで、邪魔な存在になるくらいなら、大人しく心配している方が断然ましだ。
だけど、本当はどこまでも一緒に駆けていって、何が起きているのか自分の目で確かめたかった。
そんな埒もない矛盾をぐるぐると考えていたら、益々、混乱の深みに嵌まっていくだけだった。
「時間がないんだから、難しく考えるなよ」
思考が迷子になっているティアラに、待っていられないヨシュアは放り投げるみたいに言い捨てて、馬に向き直っていた。
その後ろ姿が、今にも一人でどこかに行ってしまいそうで、焦るティアラは頭が真っ白になってしまう。
だから、次の瞬間、思っていたのとは丸っきり違う言葉を口にしてしまっていた。
「私、ヨシュアと結婚したい!」
言った本人もぎょっとしていたけど、言われたヨシュアは、それ以上に目を丸くして振り返った。
しかし、遠慮するなと言ったのはヨシュアであり、ティアラはティアラで、興味を引くのに成功した発言を簡単には引っ込めたくなくて口を閉じる。
何より、出てきた言葉は、ちゃんと望んでいる気持ちだと思えたから。
突然の発言に仰天しているヨシュアの方は、このお姫様は、本当にそこらの女の子とは違うのだと思い知らされる気分だった。
好きな時に好きな場所へ行きたいだとか、もっと色々挑戦してみたいだとか、そんな心向きを訴えられるのだろうと想像していた。
もしくは、婚約者役として頼りにならないだのと文句をつけられるか。
なのに、飛び出してきた言葉は、言うに事欠いて、結婚したい、だ。
それも、相手は優しくないと言い切ってくれた自分。
言ったティアラは、自身でも驚いたような表情をしたくせに、口を引き結んで撤回する気はないと無言の主張をしてくる。
何を考えているのか、さっぱり理解できない。
けれど、ティアラらしいムキっぽさであり、素直に遠慮をしなかった結果だろうと思えた。
だったら、ヨシュアはひとまず、それを受け入れなければならなかった。
「わかった」
と、返事をする。
さすがに、それだけでは物足りなさを感じて、もう一言付け加えてみる。
「考えておく」
考えておく?
ヨシュアは自分の発言に首を傾げた。
しかし、いかんせん、今は時間がない。
間に合わなかったら、オアシス加盟国の勢力図がまるっきり変わってしまうかもしれない緊急事態だ。
これ以上は少しも時間を無駄にしたくなかったので、先に馬に跨がってから後ろにティアラを引き上げる。
後のことは、全部が終わってからでもいいはずだ。
そうして、ヨシュアは、まともに考えていたら混乱しそうな案件を頭の隅に追いやり、足で馬に鞭を入れた。
* * *
ファウストとヘルマン、そして二人のウェイデルンセン護衛官は、アスラが選んだ精鋭の小隊に従ってシュメール城へと馬で駆けていた。
「ここからは細道に入りますので、お気をつけください」
忠告してきたのは小隊を率いる、ファウストとそう年齢が違わない青年だ。
体つきも細身で頼り甲斐のある風貌とは言い難いが、落ち着きのある態度と安定した馬術の腕前により、まとめ役に向いているのだろうと推察できる。
「ずいぶんと遠回りではないのか」
「はい、おっしゃる通りです。大通りは見物人達で混乱している可能性が高いので、あえて、こういった道を選んでいます」
「わかった。但し、多少飛ばしてくれて構わないから、早く戻りたい」
ティアラ達が気になるで、それだけは言っておいた。
「待て!」
急いた気持ちを王の顔で押さえているファウストの出鼻をくじくように、突如、前方から小隊長の青年の了承をかき消す厳しい声が飛んできた。
同時に現れたのは、いかにも武人らしい、厳つい風体の男が率いる一団だった。
「そちらは、ウェイデルンセン王国のファウスト王だとお見受けいたしましたので、失礼ながら声をかけさせていただきました。申し訳ありませんが、少々お時間をいただけませんか」
ファウストは、不穏な空気を見ぬ振りをして聞き入れてやった。
見た目に反して丁寧な物言いをする武官の用件は、ウェイデルンセンの王ではなく、先頭を行く小隊長に向けられていたからだ。
「貴様は、こんなところで何をしている」
どうやら、騒動のせいで命令系統が混乱しているらしい。
「アスラ神様の命により、ウェイデルンセン王を護衛しています」
「見ない顔だな」
「はい。最近、引き立てていただきましたので」
ここに来て、ファウストは疑念を挟んだ。
この隊はアスラが直接指示していたのを見ている。
あれだけ周りに兵士がいながら、わざわざ新顔を率いる隊をつけたのは深い意味があるのだろうかと考えれば、訳ありと見るべき人物かもしれなかった。
「誰に引き立ててもらった。その者と自らの名を示せ」
「サイラス神官の推薦により小隊長となりました、ガーネットと申します」
小隊長は、やましいことは何もないとばかりに、さらりと答えた。
「登録名で答えよ」
これには少々の躊躇いを見せたガーネットだったが、隊長格の男が折れそうにないと見ると姿勢を正して名乗りを上げる。
「ガーネット・デュークと申します」
「ふむ、聞き覚えはあるな。しかし、小隊だけか。手を貸そうか」
「いえ、王命を受けたのは我が隊ですし、大人数で目立つと時間がかかりますので」
「わかった。では、しっかりと努めよ」
「はっ」
話がまとまり、ガーネット小隊長が先を促すために振り返ったところで、ファウストは後に続く気がなくなっていた。
「ヘルマン、来い。取り返しのつかない事態になるかもしれん」
ファウストは返事を待つのも惜しんで、避けてきた大通りに向かって馬を走らせる。
それでも、察しのいいヘルマンと忠実な護衛官らは、無駄に問い返すことなく後を追いかけた。
「ガーネット、これはどういうことだ?」
問いかけてくる上官を無視して舌打ちしたデュークもまた、余計な事情は一切説明せずに後を追いかけ、馬を走らせていた。




