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オオカミ様のいうとおり【改訂版】  作者: よしてる
第一部 ワケあり少年、婿に出される
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〈王の審判〉 逃避行




   * * *



ハッと、ヨシュアは目を覚ました。

そうしてまず、自分が眠っていた事実に驚いた。

薄暗さに目を凝らして見れば、すやすやとソファで眠るティアラが確認できる。

女の子と同室で寝入るだなんて、ヨシュアにとっては驚天動地の衝撃だ。

激しく動揺する出来事だが、今はそんな場合ではない。

目が覚めたのは、はっきりした殺気を感じたせいなのだから。


気になるのは、誰を狙っているかだ。

リチャルドの夜這い失敗を聞いているなら、普通は、この部屋にティアラがいると考えるはずだ。

あの二人が仕掛けたのではない可能性も否定できないが、相手が誰であれ、ヨシュアの本能はピリピリと身の危険を訴えていた。

すぐにも逃げ出す必要がある。

しかし、誰が狙いなのかよりも重大な問題がヨシュアにはあった。

ぐっすり夢の中にいるティアラの存在だ。

狙いがヨシュアだけだとしても、放置しておくわけにはいかない。

要するに、さっさと起こせばいいだけなのだが、それが何よりの難問だった。


声をかけるにしても、敵に勘付かれるのはまずい。

かと言って、ヨシュアが直に触れて揺すり起こすのは以ての外だ。

毛布を剥がすという手も思いついたものの、自分がされたくないので即座に却下した。


見えない敵に神経を研ぎ澄ましつつ、脇差しを手にソファの回りを情けなくうろうろするしかないヨシュアである。

それも、起きろ起きろと効果のない念を本気の本気で送りつけながら。

ところが、それが通じたように、ティアラは唐突に目を見開いた。


「……起きたのか?」


「六人です」


主語も述語もなく告げると、ティアラは、すっと身を起こした。

ヨシュアは問い返さずに、左手に下げた刃物を意識する。


「お前も狙いの内なのか」


「たぶん」


その予想していた答えに、ヨシュアは緊張を高める。

自分の身を守るために戦ったことは何度もあったが、戦力外の誰かを守りながらとなれば経験はほぼない。

ファウストは騒ぎにしたくないのだろうけど、人の目につく場所に出るしか確実に助かる方法が思いつけない状況だ。

ゾクっと悪寒が走ると、暗がりから黒ずくめの侵入者が姿を現した。

目に見えても静かな気配に、手慣れていると感じる。


「邪魔になるなよ」


ティアラに遠慮なく警告したものの、返事はなかった。

代わりに、手を掴まれて隣の部屋に連れ込まれる。

色んな意味でぶっ飛んだ行動だ。

初めて入るティアラの部屋は、リチャルドに引っ掻き回された毛布と全開にされたクローゼットが目についた。


「どこに逃げるつもりだ」


「秘密の通路」


「あいつらだって使ってただろ」


「それとは違うから、構えて」


「人数が多すぎる、俺一人じゃ無理だ」


「宣告する時間が欲しいだけ」


ふざけていないのはわかるが、ティアラが何をしたいのか、さっぱり不明だ。

すぐに侵入者が部屋を移って来る。

確実に狙うためか、大差を確信しているからか、勢いでかかってこないのがせめてもの救いだ。


「ここから先、私達を追ってくるのなら、命がないものと覚悟してください」


ティアラにしては低い声で宣告をした。


「随分と嘗められたものだ」


侵入者の一人が布面越しに笑う。

硬くなったティアラは、わずかに苦い感情を混ぜていた。

横目で成り行きを見守っていたヨシュアは、これは時間稼ぎかはったりで、危険に追い込まれただけだと焦りが増した。


壁際にティアラを下げると、返事をした侵入者だけが迫ってきた。

残りは動かず、近付いてくる男がリーダー格だというのは肌で感じている。

そうして、二人の真正面で細身の刃をゆっくりと振り上げて見せた。

ヨシュアの手は震えている。

男の目が三日月に笑った。

勝負は一瞬で決まるだろう。


男はためらいなく、脳天に真っ直ぐ刃を降り下ろした。

おかげで、ヨシュアは軌道を読みやすかった。

右手で脇差しを抜いて、綺麗に半円を描いて振り払う。

その流れを殺さずに左手の鞘で脇腹と胸に衝撃を与える。

これで、少しは呼吸を乱せたはずだ。

相手が油断していたから上手くいったが、後はもう逃げるしかない。

そう覚悟した時だ。

ヨシュアの考えが伝わったかのようにティアラが動いた。

鞘を握る左手首を掴んで、隠し扉から秘密の通路に逃げ出した。


わずかに逃げる隙があったが、追手はすぐに続いてくる。

全身がチリチリする。

ヨシュアにできるのは、ただひたすらに走ることだけだ。


緊迫して進む暗がりの路は月明かりさえ入らず、あちこちに不気味な気配が漂っていた。

頼りになるのは、手を引くひ弱なティアラだけ。

ヨシュアは必然と繋がれた先を意識するしかなく、必死に動員する理性とは裏腹に、腹の底からぞわぞわしたものが込み上げてくる。


「我慢して。手を離したら、あなたも殺される」


ティアラの警告を証明するように、後ろから濁った悲鳴が聞こえてきた。


「お前の護衛なのか」


「そう、私を守ってくれる存在。彼らの領域に入ったら、巫女以外は全て敵。カミと面識のないヨシュアは、私が何を言っても裁かれてしまうから絶対に離れないで」


「神?」


「彼らの頭目なの」


そういう名前らしい。

ヨシュアは神様なのかと過ぎった自分に苦笑した。


それからしばらくは、二人とも無言で走り続ける。

すでに侵入者達の悲鳴は遠く、とっくに聞こえなくなっていた。

距離が開いたせいか、全員やられたからなのかは判断できない。

それも少し経つと、ティアラは足を緩め、やがては止まった。

ヨシュアは息を整えるので精一杯になっているが、ティアラは軽い深呼吸で済んでいた。


「意外と体力あるんだな」


「慣れてるから」


簡単に返したティアラは、体を入れ替えてヨシュアを壁にもたれさせた。

暗くてわからないが、どうやら行き止まりに辿り着いたらしい。

ようやく呼吸が落ち着いてくると、掴まれてる左手から水の流れを嗅ぎ取った。

他にも違う種類の匂いを拾ったが、それが何かまでは思いつかない。


「外に通じてるのか?」


「ダメ!」


ただ聞いただけなのに、ティアラは恐い声を出した。


「この先は特別な場所だから、巫女以外が入ってはいけないの」


「……行かないよ」


と、ヨシュアは答えておいた。

どうやら、この国には何かが隠されているらしい。

少なくとも、この城とティアラには間違いなく秘密がある。

けれど、ヨシュアは関わるつもりもなかったので追求しなかった。


「これからどうするんだ」


代わりに、現実的な質問をした。


「終わったら戻るだけ。でも、まだ合図がきてないから」


真っ暗な闇の中、表情どころか自分の輪郭さえ見えない。

それでも、繋がっているティアラの手にわずかな力が入っているのが伝わってきた。

おそらく、侵入者は全滅だろう。

ティアラが最初に宣告をした時、苦しそうに見えたのは、自分が追いつめられたからではなく、侵入者の身を案じたからなのかもしれない。


長い沈黙が続いた。

未だに少しも目が慣れず、何も映らない。

現実だと実感させるのは、手首を掴むティアラの手の感覚だけだ。

侵入者からの危機は脱したが、ヨシュアには別の危機が迫っていた。


「ヨシュア?」


ティアラが心配になるほど体が冷たくなり、確かな震えが混じる。


「まだか」


「わからない。連絡を待つしかないから」


ヨシュアは唇を噛んだ。

最悪の状況だけは避けなければならない。


「少し、俺の話を聞いてくれるか」


できることなら黙っておきたかった。

ファウストが、わざわざあんな話を可愛い妹に伝えているとも思えない。

きっかけは政略で、実態は仮面夫婦だとしても、結婚するなら知っておいてもらう必要がある内容だ。

何より、現状で黙っていれば、今にも黒い発作を起こしそうで恐かった。


「俺が女嫌いの理由だ。面白くないだろうけど、聞いてほしい」


ヨシュアは結構な努力をして平静を装った。


「わかった。聞かせて」


不思議とティアラから戸惑いは感じられなかった。

ヨシュアは何も見えていなかったけど、目を瞑って語り始めた。


「きっかけは、今から八年前。兄の十八歳の誕生日だ。シンドリーではこの年齢が成人の境目で、王族に比べたらスメラギ家なんてなんの権限もないに等しいけど、シンドリー内ではそれなりの発言力を持ってる家系なんだ。手広く商売をしてるもんだから、利権目当てに寄ってくる人間は多い。だから、兄を祝いにきた人のほとんどは、それぞれに何かしらの思惑を抱えていた」


「うん、それで」


大人しく聞いているティアラに面白がる様子はなく、穏やかな声音で先を促された。


「大半の興味は兄の行く末だった。嫌味なほど優秀だから、特定の相手がいない兄の自称伴侶候補が山と来ていた。そんなギラついた会場の中、壇上で挨拶をするついでに、兄はしれっと婚約者を紹介したんだ。直前まで両親も知らなかったし、俺に至っては会場で知ったくらい唐突だった」


「え、婚約ってそういうものなの?」


「だよな。驚くだろ、普通。それまで噂はいくらでもあったけど、実際に付き合ってる人はいなかったはずなんだ。誰もが意表をつかれてた。それも、俺達みたいに保護者が決めたわけじゃなく、自分で見つけてたんだからな。相手は文句のつけようがないお嬢様で、密かに五年も付き合ってたって言うんだから呆れるよ」


「すごい人だね」


「ああ。そういう人なんだよ、俺の兄は。……ただ、おかげで、しわ寄せの全てが俺に回ってくるなんて、誰にも予想できなかった」


「しわ寄せ?」


「俺は夜這いに遭ったんだ」


「よ、ばい?」


こんなところで、聞きたくもない単語が顔を出した。


「当時九歳だった俺は、終わりまで起きていられず、一人部屋で寝ていた。家族は遅くまで来客の対応をしていたし、使用人達は泊まり客や兄の婚約者の警護を気にかけていた。そんな中、俺がふと夜中に目を覚ましてみたら、きわどい下着を身につけた十数人の女達に囲まれていた。笑えるだろ」


実際、ヨシュアは鼻で笑って話したが、ティアラは笑うどころか絶句した。


「あの時の俺には何が起きているか理解できなくて、恐怖心だけが鮮明に刻まれた。どうかなる前に悲鳴を上げたから具体的な被害があったわけじゃないけど、それ以来、俺は女の人を見ると強張るようになった。成人の男を相手にしようとしていた女達が、持て余した色気をやけっぱちで全開にして向かってきたんだ。精神的衝撃は相当に強烈だった」


「……」


ティアラには返す言葉がなかった。


「最悪だったのは、助けにきてくれた母親も拒む対象に入ったことだ。晴れの舞台で着飾っていたのが影響したのかもしれない。どういう状況だったのかを理解してからは、何もされなければ誰とでも話せるようになったし、母親も大丈夫だったけど、その頃には向こう側に溝ができていた」


「そう」


なんとかティアラが絞り出せたのは、たったのこれだけだった。


「それで終わってたら、ここまでの女嫌いにならなかったんだろうけどな」


「まだあるの?」


これ以上の続きがあることに驚いた。


「ここからが本番だ」


ヨシュアは自ら語っておきながら、この散々な人生を半笑いしたくなった。


「それから三年後、なかなか子どもを授からないシンドリー王の後継者争いが水面下で動き始めた。いくらスメラギ家が静観を決めていても、商会の強力な伝手を持っている限り、巻き込まれる事態は避けられなかった。それでも、父や兄は優秀すぎて隙がないし、商会の美容部門を取り仕切る母には各地の大物支持者がついているから簡単には手を出せない。そんなわけで、スメラギ家唯一の弱点として標的にされたのが、極々凡庸な俺だ。お得なことに、女っていう弱味まで装備されている。見逃す手はないだろう?」


語ってみて、改めて自分でもどうかと思う災難っぷりだ。


「その後、王子が産まれるまでの三年間、思春期ど真ん中をハニートラップ込みの数々の恐喝・誘拐・暗殺を一心に受けて育った。その時の後遺症で、人の気配に敏感になりすぎて夜中に目を覚まさない日はないし、どう攻撃したら相手に強い衝撃を与えられるのか身をもって学んだ。それに……女を再起不能にしたこともある」


ここまでくると、ヨシュアは静かに目を開いた。

やはり、何も見えない暗闇のままだったけど。


「暗殺者だった。ハニートラップも仕掛けられた。殺気か、いやらし気配か……ろくに覚えてないけど、完全に混乱したらしい。気付けば、めためたな姿が転がっていた。感触が手に残っていたから自覚はできても、制御は無理だから黒い発作って呼んでる。この前のはただの発作で、大したことじゃない」


あれだけ震えて叫んでいた状態を、大したことじゃないとヨシュアは言い切った。


「だから、俺と二人きりになる事態に陥ったら気をつけてほしい。今はなんとか抑えていられるけど、発作が出ればどうなるかは保証できない」


ヨシュアが伝えたいのはこれだった。

自分に危害を加えにきた相手でも情を見せたティアラを傷つけたくはなかったから。


「ああ、そうだ。あの時の礼を言っておこうと思ってたんだ」


余計な恐怖心を連鎖反応で思い出すのは避けたくて、ヨシュアは強引に話題を変えた。


「あの時って?」


「発作の時だよ。勝手に部屋に入ってくるのはやめてほしいけど、護衛官を引き離してくれただろう。助かった」


「見えてたの?」


「全部じゃないけどな。ただの発作でも簡単に制御はできないし、叫ぶ自分を止められない。あの引き離した後、何か言ってくれてただろ。聞き取れなくても、心配してるのは伝わってきたから。ああ、そう言えば、あの時ずれた眼鏡の隙間から目が見えたんだっけ」


「もしかして、それで瞳が綺麗だって言ってくれたの?」


「それしか知らなかっただけだよ」


ヨシュアは事実を告げたまでだが、ティアラの方は、出鱈目ではなかったのだと受け止めた。

そうして、自分もまた、抱えている秘密を打ち明けたいと思った。

けれど、口を開く前にカミから全て終わったと合図があった。

ティアラは黙ってヨシュアの手を引いた。


「終わったのか?」


「うん」


ヨシュアは合図に何も気付かなかった。

この真っ暗な路を迷いもせずに歩ける少女は何者だろう。

ヨシュアは初めて興味に近いものを持ったが、探らない方が身のためだとも考える。

暗闇の中で一瞬、ティアラの目が獣のように光って見えた気がした。


戻る経路には誰の気配もなく、二人は無事に荒らされたままのティアラの部屋に辿り着いた。

こうして、長い長い一日は終わりを告げようとしていたが、ヨシュアには別の問題がすぐ側まで迫っているのだった。

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