〈神の采配〉 パレードの始まり
皇帝神在位十周年記念パレード、当日。
昨夜のぼんやりとした天気とは打って変わって、雲ひとつない晴天だった。
夜の間に申し訳程度に降った雪は、まだ凍えきった大地にうっすら名残りがあり、警備の任に向かう支度を整えている男達は昼間の内に溶けて泥々になるだろう足元の心配をして辟易していた。
「どうして、ウェイデルンセンの王様を誘ったんだろうな」
中の若い一人が、さくさくと霜を踏み潰しながらこぼす。
「不満なのか?」
同僚が聞き返せば、そういうわけじゃないけど、と尻すぼみに返した。
「俺は、ファウスト王でよかったと思うぞ。チェルソやボリバルのお偉方を見たけど、アスラ神様の隣に遜色なく肩を並べそうなのは、あの方くらいだったろ」
チェルソにしても、ボリバルにしても年齢がだいぶ離れていて、体型的にも痩せすぎか肥満という極端さで、アスラが見栄えするだけに、隣に並ぶなら、それなりに相応しい相手を願うのは国民の素直な感情だった。
「だったら、レスターさんの方がお似合いなのに」
「なんだ、お前。実はそれが言いたかっただけだな。まあ、確かに、皇帝神が黒い装いだから、真っ赤なドレスとか着たレスターさんが並んでたらカッコいいよな」
レスターは公正中立なオアシスの代表なので、まずありえない想定なのだが、考えるだけならいくらでもありだった。
「お前らな。いくら末端の軍人だからって、頭を使わなすぎだろう」
苦笑しながら注意してきたのは、二人の上司にあたる中年に入りかけの男だ。
五人構成の小隊の隊長であり、歳もそう離れていないことから、上司というよりは面倒見のよい先輩という感じの気さくな人柄だ。
「チェルソもボリバルも情勢が落ち着かないと聞くからな。ウェイデルンセンとの結び付きを示して、改めて静観する構えを表明しているんだ」
「「なるほど」」
さすがは隊長と感心した目で見てくる二人の部下を、小隊長の男は、やれやれと困りながらも笑うしかない。
「いや、悪いが、そんなに小難しい理由でもないぞ」
真っ向否定してくる声に三人が振り向くと、揃いの軍服が集う中に簡素で緩い服装の男が立っている。
こんな時に不審な輩だと警戒しながら訝しむ部下二人に反して、上官である小隊長は慌てて姿勢を正した。
「アスラ神様!」
その呼び名に、周囲で同じように雑談をしながら集まっていた若い兵士達がざわめく。
おかげで、いつまでも支度の間にやってこない主を探し回っていた女中達にも発見されたようだ。
しかし、アスラだけは悠然とした態度で持論を続ける。
「単純に、友人に参加してほしいと思っただけだ。いや、今はまだ友人未満の関係であるから、このパレードで親しくなれないかと期待しての下心ありきだな。皆、くれぐれもファウスト王に落胆されぬよう、素晴らしい勇姿を見せてくれ。頼んだぞ」
辛うじて数人がまばらに応じたものの、大半が呆けたまま女中に急き立てられてシュメール城へ戻っていく皇帝神を見送っていた。
アスラが口にしたのが真の胸中かは不明ながらも、お祭り気分で浮き足だっていた年若い末端の兵達の士気が上がったのは間違いなかった。
* * *
昨夜よりもいくぶん飾り気を増やして着飾ったファウスト王は、時間だと迎えにやって来た神官のサイラスに微笑みながら立ち上がった。
そして、妹姫のティアラと抱擁を交わし、その婚約者であるヨシュアには肩を叩いて親愛の情を示して、しばしの別れの挨拶にした。
そんな愛情溢れる一幕を目の前に、進んで迎えにきたサイラスは、牧歌的な印象のウェイデルンセンらしい光景だと考えながら眺めていた。
我が君である自国の主は皇帝神という現人神であり、ある日突然、天から遣わされる存在とされているので、家族という概念は存在しないとされている。
仕える神官も、それに倣ってなのか、独身という制約が付いてくる。
もっとも、どちらも本当にそれを貫いているわけではなく、神官などは上役になるほど施しという形で別宅に愛人を囲っている者が増えるという、矛盾した俗っぽい暗黙の了解がまかり通っている。
その点、国家丸ごと家族だと公言しているウェイデルンセン王国では、王族だろうと素直に情を示すのが当たり前の日常なのだろう。
アスラ以外の相手には血を通わせないと言われているサイラスであっても、どことなくほっこりと見守っていたくなる光景だったのだが、内実、三者が三様に後ろめたい状態だったのは当人達にしかわからない実情だった。
そして、サイラスの内心もまた、ウェイデルンセンの三人にはわからないことだった。
* * *
笑顔で兄王を見送ったティアラは、自分が酷く嘘つきになったような気がしていた。
本当は、笑っていられる気分じゃなかったから。
これまでだって外交の使者として、姫巫女として、面白くなくても愛想を振りまくくらいは何度もしてきた。
それを憂鬱に思うことなんて、一度もなかったのに。
そう考えてから、ちらりとヨシュアの整った横顔を見つめ、そうではないと自らを訂正をする。
正しくは、自分でもわからない、いい気分じゃないのだけは確か、という謎な感情でいっぱいなのだ。
そのせいなのか、これまで一度だって躊躇ったことのない、ヨシュアに呼びかけるというだけの行為が困難になってしまっている。
一方、そんな風に見つめられていたヨシュアは、珍しく話かけてこないティアラに、昨夜の決断を気付かれたのではないかと心配になっていた。
昨夜、ヨシュアは馬の用意の他にもう一つ、ファウストにお願いをしていた。
ティアラには自分が実家に着く頃まで黙っていてほしい、と。
伏せ目がちなティアラの横顔を眺め、これから先、ヨシュアが何かしてやれる機会がない代わりに、せめて残された時間だけは、しっかり付き合ってやりたいと考えていた。
この後はどうする、と声をかけようとして、その隙間に廊下の端にいるはずの護衛の男が困惑した様子で来客を告げに来たので、ヨシュアは慎重に言い返した。
「ファウスト王から、誰も通すなと厳命されているはずですが」
「はい、承知しています。ですが、見知った顔でしたので、一応、報告だけでもするべきかと思いまして」
不審に思いながらもヨシュアが廊下の先に目をやると、何やら手を振っている人物がいる。
「どうして……」
信じられない気分で呆然としながらも、すぐに追い返してもらうべきだと判断したヨシュアだったが、それよりもティアラが駆け出す方が早かった。
「レイネ!」
アスラ王とは違う意味で驚異を感じたヨシュアは、堅く目を閉じ、心を静めてから後を追った。
* * *
「どうしてここに!?」
ティアラに飛びつかれて熱烈に歓迎されたレイネは、驚きながらも笑顔で答えた。
「いきなりごめんね。本当は、滞在先のお屋敷を訪ねる予定にしてたんだけど、早耳で、お城に泊まったって聞いたから。私、もうすぐシンドリーに戻る予定で、その前に一度、オーヴェのお城を見てみたかったから、ついでにね」
とても気楽に、ついでと表現できる行動じゃないのだが、生まれた時から城住まいのティアラなので、その辺りは気にしなかった。
「どうやって、ここまで入ってきたの?」
「ちょっと、友人に無理言って」
振り返るレイネの視線の先には、令嬢らしき女の子が、そわそわと落ち着きなさげに身を小さくしている。
レイネの服装が地味なので、彼女の使用人とでも偽って入ってきたのかもしれない。
「あんまり待たせると悪いから、すぐ帰らないと。また手紙書くね」
軽い立ち話をして、後は遅れて合流してくる、ため息でもついていそうな足取りの従兄に、しっかりやりなさいと活を入れて当分の別れの挨拶にしてやろうとレイネは考えていた。
けれど、合流がなされる前にティアラがぎゅっと手を掴んでくる。
「お願い、レイネ」
「?」
しかし、ティアラのお願い内容を聞く前にヨシュアがやってきたので、話は一旦棚上げとなった。
「レイネは神出鬼没だな」
腕を組み、眉間にしわを寄せ、いかにも迷惑そうなヨシュアが、そこに立っている。
けれど、物心ついた頃から、ごく最近まで、ずっと恋をしていたレイネが騙されるわけがなかった。
「ヨシュア、どうかしたの?」
訝しむレイネに見つめられ、ヨシュアは、そうなるだろうなと色々諦めた。
ファウストやヘルマンならまだしも、天敵であり、いくら邪険に扱っても、お節介でめげずに忠告してくるような物好きの従妹は、数少ない誤魔化しが利かない一人だった。
「レイネには関係ない案件だから気にするな」
ヨシュアは、おもいっきり外面で一蹴した。
そんなやり取りを見ているティアラは、不安げにレイネの裾を掴んでいる。
本当に、余計なお世話ばかりしてくれる従妹だ。
「騒ぎにならない内に帰れよ。お喋りがしたかったら、別の機会にしてくれ」
もういいだろうと追い返すヨシュアだったが、ティアラの方がレイネを離さなかった。
「レイネ、一緒にいて」
「おい、ティアラ」
ヨシュアが冷静に説得を試みるも、ティアラは妙に頑固だった。
「そうね。せっかくお姫様が誘ってくれてるんだもの、お断りしては失礼よね」
困った風情だったレイネも、最終的にはお嬢様ぶって了承すると、びくびくしている可哀想な令嬢の友人に一人で帰ってもらった。
「さあ、これで帰る手段がなくなったわ。ここで追い返したら、私は不審人物ですぐ捕まるわよ。そうなったら、即、ヨシュアの名前を出すけれど、それでも宜しくて?」
どこにいても、いつだって、レイネはレイネだ。
「わかった。好きにしろ。但し、部屋から出るなよ」
「ヨシュアはどうするの?」
「自分の部屋にいる」
「ちょっと、客人を放っておくつもり?」
「何が客人だ。ティアラが引き止めたんだから、俺は知らない」
そう言って、ぞんざいに片手を振ったヨシュアは部屋に引っ込んでしまった。
「まったく、なんなのよ」
一見、いつものらしい態度だったが、レイネには、一挙手一投足にわざとらしい嘘くささがまとわりついて見えていた。
* * *
さっさと部屋に引っ込んだヨシュアは、閉めた扉にずるずるともたれてしゃがみ込んだ。
「今は、一人になりたくなかったのに」
何も知らないティアラと一緒なら、いつも通りの自分でいられて、ティアラを守ることだけに専念していれば、余計な深みに嵌まる隙なんてできないで済むはずだったのに。
「なんで来るんだよ」
言葉にして恨んでみるものの、本当にはレイネを責めているわけではなかった。
ただ、そうしていないと真っ黒に染まってしまいそうな自分が怖いだけだった。
ちょっと、小刻みな区切りが続きます。
ところで、最近、一気読みしてくださってる人がチラホラいるっぽくて、長編な甲斐があるみたいで嬉しいです(*>∀<*)♪
だけど、地味に時間かけて紡いできた物語なので、あっという間に読んでくださってる形跡だと、ちょっぴり複雑な気分になります(´-ω-`)
速読技術をお持ちなのかしら……。
なんにせよ、お楽しみな時間になってるとよいなぁと思います(*・∀・)つ