〈迷走の子羊〉 密会
* * *
ヨシュアが案内された部屋はこじんまりとした造りで、どうだと言わんばかりに飾り立てられた城内を思えば、ここだけ居心地を優先させたみたいな雰囲気だ。
その中央に、近隣諸国で最も権勢を誇るオーヴェ帝国の神が鎮座していた。
この皇帝神の前では、ヨシュアは普段以上に塵芥のちっぽけな存在になり下がる。
はずなのだが――
「甘いものは好きか?」
世にも恐れられる大国の現人神と相対して、開口一番がこれだった。
「ええ、まあ」
あんまりびっくりすぎて、ヨシュアは素直に答えてしまったくらいだ。
「干し葡萄はどうだ」
「食べますが……」
ここで慌てて体裁を調えて、いつもの完璧な外面で答えると、かえって不興を買いかねないとオアシスで学んできたヨシュアは、そのまま本心で答えることにした。
「ならば、替えを用意させる必要はないな。そこに座って、茶に付き合え」
その命で動いたのはソウラで、今度は一緒に室内に入ってきて、不思議な香りのお茶と共に、お茶請けとして焼き菓子を取り分けていく。
それから、伏せてあるカップを返して、目の前で二客が均等の濃さになるようにお茶を注がれた。
ヨシュアは逃げようもない状況に、戸惑ったまま着席するしかなかった。
俯いた視界には地味に見えたテーブルの流麗な木目が浮かび上がり、ここはアスラのための隠し部屋なのだろうと値踏みする。
「冷めない内にどうぞ」
ソウラに勧められて目線を上げれば、真向かいに悠然と観察してくる皇帝神。
ヨシュアは、しばし、アスラとお茶を見比べてみたものの、あまりにも堂々と怪しすぎて、無防備な自分が慎重に用心しているのが馬鹿らしくなった。
「いただきます」
売られた喧嘩を買う気分な挨拶を合図に、ヨシュアはお茶を一口とバタークリームが挟まれたお菓子を一個を口に放り込む。
「どうだ」
アスラの呼びかけに、ヨシュアは口の中を綺麗に流し込んでから、今度もまた素直に答えた。
「美味しいです」
くせの強いお茶だったが、菓子の後引く甘さと合わさると、不思議と正解な組み合わせに感じる。
「馴染みの職人が祝いに寄越したものだ。その内、神が好んだ逸品とでも謳い文句をつけて、遠慮なく宣伝するつもりなのだろう」
ヨシュアは、ここにきて皇帝神の第一印象が揺らいでいることに気が付いた。
さっきの物言いは、まるで骨身の髄まで商売人の父親ロルフと重なった。
後に続けられた「この味なら、それも許せるがな」という感想についても同じだ。
「なぜ、私を呼び出したのですか」
するっと出た質問は、それに見合う、アスラが菓子を手に取って食べる合間に返される。
「サイラスは食に興味が薄い上に、干した果実が苦手だそうだ」
そんな軽い口調に相応しく、サクっと菓子が噛み砕かれる音が後を追った。
質問した方としては、どうしたら真面目な答えをもらえるのだろうかと茶を飲みながら思案してみるが、アスラは指についた欠片を払いながら違う理由を重ねてきた。
「ついでに、仲間の顔を見たくてな」
「仲間、ですか?」
ヨシュアは、どこまでふざけるつもりかと問い返したかったが、しかし、アスラは、今度こそ真実を口にしていた。
「サイラスに目をつけられた同士、だろう」
「……」
「あいつに見つかったから、私はここにいる。だから、変わり者で滅多に心を動かされることのないアレが、珍しく興味を示した者とは、一度は顔を合わせて、もてなすことにしているだけだ」
「何かを仕掛ける前に、という意味ですか?」
「お前に関しては、単純に、私の相手をさせたかっただけのようだぞ。私を一人にしておくと、どこへとふらつくか知れないから、遊び相手として丁度よいと考えたらしい」
「…………」
ヨシュアは、どうしてか神様の暇潰しとして目をつけられやすい体質らしかった。
「いい迷惑を被ったな。私のせいではないが、臣下の詫びに一つだけ、どんな質問にでも答えてやろう」
おそらく、嘘で返されることはないだろうとヨシュアは直感する。
ファウスト王にとって、レスターにとって、ウェイデルンセン王国にとって一番有益な情報はなんだろうかと考え、いっそ、率直に当面の危機である明日の企みでも聞き出すべきだろうかと思い至る。
けれど、ヨシュアの中では、どれも適格な輪郭を持った問いかけとは感じられなかった。
「いつまで待っても構わんが、その内、サイラスが探しに来るぞ」
アスラは、どこぞの狼神みたいにニヤニヤ笑うわけでも、某兄王みたく鋭い視線を寄越すわけでもなく、ただ静かに事実だけを告げてきた。
それだけで、痺れる焦りから顔を上げていられなくなると、俯いた拍子に冷めかけたお茶とお菓子が視界に入った。
その瞬間、一つだけ、自分自身が知りたかった疑問を思いつき、もてなし出された全てを平らげてから顔を上げる。
「この国は、ティアラの存在をどう見ているのでしょうか」
アスラは僅かに眉を上げた。
「そうきたか。サイラスが目を付けたのも頷けるな」
一瞬、皇帝神の瞳が本当にヨシュアの姿を映したようでドキッとする。
「皇帝神以外を奉る巫女だ。私が絶対で唯一の神聖国では認められぬ存在だ。しかし、この土地にも未だ八百万の神を崇めていた統一前の名残はあるし、近代ではウェイデルンセン出身の移住者も少なくない。それに、ティアラ姫はオアシスのレスター代表共々人気があるからな。排除を宣言すれば、私の株が暴落する心配をしなくてはならん」
アスラは淡々と回答を続けた。
「風土として、多民族が混在する我が国は、他文化の許容範囲が広いと言えよう。但し、信仰心の厚い者にはよく思われていないのも確かだ。特に、この城は神殿と密接している。充分に注意しておくのに、越したことはないだろう」
ヨシュアは、その回答で満足しておいた。
「ごちそうさまでした。今夜は、これで失礼させていただきます」
「ああ。こちらも楽しい時間を過ごせた」
女中に部屋まで送るよう申しつけたアスラは、久し振りに真っ直ぐ目を合わせてきた少年の背中を見送り、口元を緩める。
ぱたりと扉が閉まり、少年がそれに気付くことはなかったけれど。
「綺麗に平らげていったのは、ファウスト王以来か」
窓に目を向ければ、細やかな雪がちらついていた。
「積もるほどではないな」
なんの感慨も込めずに呟いたアスラは、一つだけ残っていた菓子をひょいと摘まみ上げると、自分を探しにくるだろうサイラスのために腰を上げて部屋を出ていった。
母が〈晩柑〉のことを〈卍解〉みたいに言います。
ちなみに、晩柑はジューシーでした(・∀・)