〈迷走の子羊〉 神出鬼没
* * *
晩餐会の会場は、ヨシュアが知っているどんな集いよりも壮大だった。
なにせ、入り口からでは突き当たりが目視できないのだから、外面でもなければ「なんじゃこりゃー!」と叫んでいたかもしれない。
シンドリーでは有力な貴族であり、盛況な商会の元締めでもあるスメラギ家の次男坊なので、それなりに華やかな生活を人から羨まれる立場にあったヨシュアにとって、生まれて初めて自分が本当に取るに足らない村人なのだと思い知らされるようだった。
それでも、どういう顔をしていればよいのかくらいは、充分に理解も覚悟もしていたので、爽やかな少年を演じて見せるのは忘れずにこなしている。
何より、隣に並ぶティアラがしずしずと落ち着いた微笑みを向けてくるのに、情けない姿を見せられるものではなかった。
ファウスト王は、これほど大規模な宴に驚いているはずのティアラとヨシュアが、一見は動じずに姿勢を正してついてくる姿を横目で確認して忍び笑うと、奥へと足を進めた。
どこに目を向けていいものか迷いそうな華やかさと人の多さなのに、ファウストの足取りにためらいはなく、ヨシュア達は黙ってついて歩くだけでよかった。
その間、見咎められない程度に見渡すと、しばらくオアシスに滞在していた目には、服装や装飾品や仕草で、どこの出身者なのかいくらか見分けられた。
やがてファウストが足を止めた辺りで、ようやく突き当たりの壁面を判別できたものの、そこにあるだろう皇帝神の席は未だ見えなかった。
もう少し目を凝らしてみる前に、ファウストには、早くも声がかかり始めていた。
こちらは、よく見るまでもなく顔つきや仕種の雰囲気でウェイデルンセン人だとわかる。
どうやら、この辺りにはウェイデルンセンの者が多く集まっているようだ。
「お久しぶりです、ファウスト王。先日の件、おかげさまで丸く収めることができました」
「それは、よかった。あそこは、オアシスでも発言力が大きいからな。では、近い内に双方に祝いの品でも届けておこう」
離れるなと言われているヨシュアなので、多少の距離を置いて控えていると、期せずして、これまで関わりを避けてきたファウストの王としての仕事ぶりを眺める機会となった。
居心地のいい場所を守りたくて必死に目隠ししていた箱庭から父や兄に叩き出されたヨシュアが、ファウストやレスターに更なる外の世界に有無を言わさず連れ出されてみれば、いかに自分が小さな人間かを思い知らされた。
今だって、ヨシュアには妹至上主義で、はた迷惑なティアラの兄でしかなかったファウストが、別のところでは有能な王様なのだとまざまざと見せつけられている。
若くして任に就いたと聞いているので、苦労は並大抵のものではなかったのだろう。
それは、酷い仕打ちを押し付けていると認識していながらも、心がすれ違ってしまうばかりのシモンを手放せなかったくらいに。
知ろうと思えば、世界はいくらでも開かれていて、歯を食いしばって堪えているのは自分だけでなく、表には見せずに歩いている人は大勢いるのだと教えられた。
そして、こんな自分でも呆れずにずっと手を引いて背中を押してくれる友人がいることも、また、本当の意味で理解できた。
どうしようもない理不尽な不運ばかりを嘆いていたが、外に放り出されたおかげで、案外、恵まれていた幸福な事実を知れた。
そんな風に、ヨシュアはこれまでの思いを巡らせながら、どれだけ抗ってみたところで、なるようにしかならないのだと凪いだ悟りの境地できらきらと明かりや思惑が狂い踊る会場を眺めていた。
「ヨシュア。お腹、空いてない?」
色鮮やかな料理を運んできたティアラを目にして、不意にヨシュアは我に返った。
あまりにも場違いな世界に放り込まれて、危うくも、自分を見失いかけていたらしい。
げに恐ろしき魔の巣窟を冒険している最中に悟りの境地に浸っているなど、猫に小判以上に無意味で無防備な行為でしかない。
いかんいかんと自身を叱咤して、素知らぬ微笑みで皿を受け取っておく。
そんな時だった、あの珍獣が姿を現したのは。
「やあやあやあ、お久しゅうございますな。お元気でしたか、ティアラ姫」
束の間、ヨシュアとティアラは内心で「げっ」と呻いて共鳴した。
「ティアラ様の相変わらずの麗しさは、どんな宝石でも霞んでしまいますな。それにしても、こんな大勢の中で出会ってしまうとは、これは、もう、運命でしかありえませんね」
その人物は、まばゆく光り輝く会場で何よりも煌々とした広いおでこを持った油ギッシュこと迷惑婚活中年男のプリンタ・リチャルドだった。
「しかし、そのドレスはいただけませんな。ティアラ様には、もっと可愛らしいお色の方がお似合いでしょうに」
なんて言いながら、ヨシュアを睨みつけてくる。
会場入りする前にファウストが忠告していたのはコレだったのだ。
確かに、注意してしかるべき諦めの悪さである。
「丁度いいことに、我が家にはお抱えの衣装部がありましてね。ティアラ様だけのために素晴らしいものを用意して差し上げられます。どうですか、この機会に、ぜひとも我が家にいらっしゃいませんか?」
このおやじは……と、後に続く言葉を探す気にもなれないほど、ヨシュアは呆れていた。
一体、どこまで本気でちょっかいを出しているのだろう。
せめてもの救いは、ファウストが他の客人と語り合っているので、こちらの会話は聞こえていないだろうという幸運だ。
この日のためにシモンが選んだドレスを貶されたと知れば、まず間違いなくどす黒い殺気を放つはずだ。
それでなくても、先ほど、ちらりと寄越していた視線は、自分に向けられていなくてもチリッと痺れるくらいに鋭かった。
自分の失言にも気付けないような男にはなりたくないものだと、ヨシュアは身震いをして戒めとしておく。
そんな男に標的にされているティアラは、ヨシュアにも負けない、しずしずと可憐なよそゆきの顔で、やんわりながらもきっぱりと断り続けていた。
なのに、油ギッシュはもったいぶっているとでも勘違いをしたのか、調子に乗って徐々に近寄り、今にも手が触れそうな熱心さで口説こうとしている。
まったく、始末の悪い男であった。
「貴殿の服装がいつも素敵なのは、そのせいなのですね」
ヨシュアが笑顔で割って入ると同時に、ティアラの手を引いて数歩下がらせる。
リチャルドの方は自分の行いを省みないで邪魔をされたと機嫌を悪くしながらも、素敵と褒められたという複雑さで次の行動に迷っていた。
その隙を見逃さないヨシュアは、ファウストが出張ってくる前にどうやって追い返そうかといくつか案を立てる。
そんな僅かの間に、リチャルドはリチャルドで別の何かに気をとられていた。
しかも、次の瞬間には、冬だというのに、こんがりつやつやの顔色を変えて急にあたふたと狼狽えだす。
「では、今日はこのくらいで。また近い内に○×△」
ヨシュアがどうしたのかと確認する間もなく暇乞いの挨拶を口にしたリチャルドは、最後の方は、ろれつの回らなさで何を言っているのか聞き取れないくらい慌てた様子で退散していった。
その後ろ姿がどたどたと、いかにも愉快な足取りなのにも関わらず、唐突すぎて面白がる暇さえ与えてくれない忙しなさだ。
「ティアラ様、お久しぶりです」
入れ替わるように現れたのは、背の高い眼鏡をかけた知的な男と、ふんわりとした巻き毛の上品な女性だ。
「お久しぶりです、プリンタ殿」
ティアラが受け答えしたその名前を、ヨシュアはどこかで聞き覚えがあるような気がしたが、誰だったのかはどうしても思い出せなかった。
眼鏡の男は時節の挨拶で話を広げ、一緒にいる女性は後方で優しく微笑んでいるだけだ。
「ところで、ティアラ姫。我が家の当主を見かけませんでしたか? どうやら、すっかりはぐれてしまったようで」
そう尋ねられた途端に、ティアラの顔が明らかに引きつった。
「ここにも現れたのですね」
自分の当主に対する表現としては相応しくない言葉選びだったが、それが誰なのかと閃いたヨシュアは、言葉通りに困った状況なのだろうと察する。
ティアラが複雑そうに頷くと、眼鏡の男は懐から手帳を取り出して一線を入れた。
「やはり、一足遅かったか。しかし、これで今後のルートが絞れました。先回りも、そう難しいものではないでしょう。ティアラ姫、ご協力ありがとうございました」
別に協力をしたつもりはないのだが、男はティアラに丁寧に頭を下げて優雅に辞する。
続いた女性は、ふんわりと会釈をして後を追っていった。
「今のは、まさか……」
「うん、プリンタ家次男のヘンリー様」
つまり、あの油ギッシュの弟なのだった。
どこでどんな奇跡が起こったらずんぐりむっくりで愉快な中年男と、あのシュッとした青年が兄弟なんかになり得るのだろう。
「ちなみに、腹違いってことは?」
「ないみたい」
ヨシュアが知る中で、最も不可思議な怪奇現象だ。
確かに、これは呪いだと信じてしまいたくなる。
しかも、あの眼鏡の青年は自分と同じ次男なのだ。
頑なに拗れて意固地に育ってから初めて、出来すぎなだけのミカルが自分の兄でよかったと心から敬いたくなっていた。
「じゃあ、後ろにいた女の人も兄妹なのか」
「そこまでは知らない。見覚えのない方だったから」
「あの方は、リチャルド様の元奥方様ですよ」
ぎょっとする唐突さで、ぎょっとする正解を教えてくれたのは老紳士のヘルマンだ。
「世の中、色々な方がいらっしゃるものです」
仰天な真実に驚いている揃いの二人に、ヘルマンはのんびりとした一言でまとめてしまった。
「ファウスト王が間もなく移動するとおっしゃっていますので、そちらのお皿は、お腹に収めておいてくださいませ」
用件を告げると、すっと下がって何食わぬ顔で主の背後に控える。
実に生真面目で頼もしいヘルマンだが、ついつい、シモンがいたらなと考えてしまうヨシュアだった。
ヨシュアの皿が片付いた頃を見計らって奥へと移動を始めたファウストは、途中、珍しく自分の方から一人の青年に声をかけていた。
呼び止められた青年は驚いた様子の後、ちらりと斜めに視線を向けて納得したように頷くと、笑顔を交わして足早にいなくなる。
「どなたですか?」
こっそりとヘルマンに尋ねると、プリンタ家の三男だと教えてくれた。
ヨシュアとティアラは遠い目をした後、懸命にも何も聞かなかった降りをしておいた。
おもいっきり私信ですが、ギり滑り込みアウトでハッピーバースデーtoみー(*^▽^)/★*☆♪ ※5月22日なのです
更新、間に合わなかった上に、よりによって油ギッシュな彼の回……。
地味にいい役目を果してくれるので、作者的には気に入っておりますが(´ω`*)