〈王の審判〉 兄妹のまにまに
* * *
食事が終わり、シモンがリチャルドとサイラスを客室に案内する。
何もなくても笑顔のシモンが事務的な愛想を張り付かせていたので、ヨシュアは妙な感心をしてしまった。
それほど不愉快な客人なのだと改めて認識させられるようだったから。
ともかく、ヨシュアに課せられていた役目は果たした。
想定外があったものの、後はファウストの担当だ。
「ヨシュア様、お部屋にご案内いたします」
馴染みある使用人の呼びかけに内心で喜んで頷くヨシュアは、今日こそ、ぐっすりと眠る気満々だった。
そのはずだったのに……。
「ココハドコデスカ?」
連れられた先は見覚えのない部屋の前だった。
嫌な予感に入るのを拒んでいると、まるで部屋が手招きするようにドアが開いた。
心霊現象にびくっと体を引くが、真相は、手ぐすねを引いている人物が中で待ち構えていただけだった。
「ヨシュア殿、少々込み入った話をしようじゃないか」
ファウスト王が半開きの隙間から顔を出し、不気味な笑顔で凄んでいる。
当然、ヨシュアに拒否権はない。
「一体、どういうことだ!!」
ドアを閉めるなり強い怒声が響き渡る。
響かせたのはファウストだ。
「それは、こちらが聞きたいのですが」
対するヨシュアの温度は低い。
「お前はティアラと大した接触をしてないはずだろう。なのに、どうして、あんなに口からラブラブビームが飛び出すんだ!? もしや、私の知らないところで何かしてるんじゃないだろうな!!」
詰め寄られたヨシュアは呆れた。
妹バカだと、どんな事実も鳥頭のように忘れてしまうらしい。
「昨夜の様子をお忘れですか」
「う……。だが、ティアラは特別に可愛いから、万が一があるかもしれないではないか」
徹底した妹至上主義は感心するが、ヨシュアにとっては迷惑でしかない。
「ありませんよ。誰が相手だろうと、私にとっては女という性別の回避したい存在でしかありません」
「そ、そうか」
きっぱり否定されると、それはそれで複雑なファウストだ。
「まあ、その件はいい。よくやってくれた。しかし、予想外が起こった」
「それですよ。どうして部屋を移らなければいけないのですか」
「今日だけだ。まさか、大切な婚約者を、あんな離れに置いていると知られるわけにはいかないからな」
そりゃそうだろうと同意する。
「だとしても、客室は離れた区画なのですから、王族の私室事情なんて関係ないはずです」
「甘い、甘いぞヨシュア。相手はサイラスを装備したすっとこどっこいだ。全く、やってくれたものだ。どうせ、網の破壊もあいつらの仕業だろう。証拠を掴んだら復興代金に慰謝料も足して請求してやるわ」
「……それなんですが、あのサイラスという神官、どうしても、あんな男に黙って従うタイプに見えないのですが」
「だろうな。あれは、自分の都合で動いているはずだ。利用されているのは、すっとこどっこいの方だろう」
「理解しました。明日には、自分の部屋に戻っていいのですよね」
「当然だ。むしろ、速やかに戻れ」
「ならいいです。おやすみなさい」
「……おい、こら。もう寝るつもりか」
「はい」
ここのところ寝不足が続き、一仕事を終えた食後なこともあって、眠気はピークに達している。
今なら、丸一日でも余裕で眠っていられそうな勢いだ。
「私の話はこれからだ。しっかり起きていろ」
「まだあるんですか」
眠気のために、ヨシュアは外面を保つ気力がなくなってきていた。
「ここからが肝心なんだ! いいか、この部屋の隣にはティアラがいる」
ファウストは立ちながらこっくりしてきたヨシュアの胸ぐらを掴んだが、それよりも話の内容にぎょっとした。
「なんでまた、そんな近くにしたんですか」
「したくてしてると思うな! あの男なら、夜這いくらい平気でする。警備強化は当然だが、サイラスがついている以上、油断はできない。だから、いざという時は、お前に託す」
胸ぐらを掴んだままの姿勢で、到底、人に頼む態度ではなかった。
だが、距離の近い分、冗談でないのは伝わってくる。
「部屋の前に護衛を置いたら済む話なのでは?」
「警戒はするが、証拠があるわけでもないのに大げさにはできない。下手に付け入る隙は作りたくないからな」
「なら、いっそのこと、ファウスト王ご自身が付き添ってらしたら、いかがですか」
兄妹なら、一緒の部屋で過ごすのも可能だろう。
「できるものならやってるわ。だが、ここ最近、あのすっとこどっこいのせいで公務が滞っている。今日の面会後に一気に片付けるつもりのところへ、大通りの問題が追加だ。とてもじゃないが、手が離せん」
ああ、と思う。
そこまで全てが計算の上なら、しっかりした警戒が必要だ。
ヨシュアが納得の意を示すと、ようやく胸ぐらは開放された。
「そこの内扉はティアラの部屋と直接つながっている。鍵はティアラが持っているだけだ。お前には渡さない。いざとなったら、お前が助けろ。いいな」
無茶苦茶な命令には矛盾が散らばっているものの、ファウストは至って真面目に発言していた。
ヨシュアが、ため息をつきたくなるのも仕方なしだ。
「あのですね、何を期待されているのか知りませんが、壁を挟んだ隣の部屋ですよ。面と向かって助けを求められればできる限りの力は貸せますが、それ以上を求められても任せてくださいとは答えられません」
相手が真剣に頼んでいるなら尚更だ。
「いいや、やれ。お前ならできるだろう」
真顔のファウストから、最初に出会った時の殺気に近い鋭さが感じ取れた。
「……家を出る少し前に偵察されていたのですが、もしかしてあなたの指示ですか」
「そうだと言ったら?」
ヨシュアは反発するのを諦めた。
「わかりました、引き受けましょう。ですが、対象が自分ではないので自信はありません。それに、眠いです」
「それでもいい。眠いのなら、超絶効果のある眠気覚ましを用意してやる」
「普通に珈琲でいいです」
「わかった、すぐに運ばせよう。くれぐれも頼むぞ」
ファウストが去り、一人になったヨシュアはうなだれた。
「まさか、護衛の当てにもされてたなんてな」
家を出る対価にしても、引き換えになる犠牲の方がかなり大きいような気がしてきて、比較するのは途中で放置した。
間もなく濃厚な珈琲が運ばれ、ヨシュアは味わいもせず一気に飲み干してからベッドに寝転がる。
さすがに、使用人が歩き回る時間帯に夜這いを仕掛けにくるとは思えないので、今のうちに仮眠を取るつもりだ。
カフェインを入れたので深く寝入る心配はないし、念のため、運んできた使用人に三十分後にカップを下げにきてほしいと頼んである。
すでにゆらゆらしていたヨシュアは、横になるだけで簡単に眠りに落ちていった。
* * *
まだ春浅い、冷たい風が吹き抜ける星月夜。
異変があったのは、日付を越えたばかりの時分だ。
慣れない部屋に、慣れない気配。
ヨシュアが定期的な夜回りをする護衛に神経を研ぎ澄ましていると、コツコツとはっきりした音が聞こえた。
はっきりしすぎて、靴音ではありえない。
「まさか……」
ぎこちなく、繋がっていてほしくない扉に目を向ける。
「ヨシュア様? 起きていらっしゃいますでしょうか」
案の定、隣の部屋のティアラだった。
今のところ、ヨシュアの本能に引っかかる不審な気配はない。
「何かありましたか」
「いえ、まだ」
「それなら、話しかけないでください」
ティアラのために睡眠時間を削って神経をすり減らしているというのに、いい気なものだと思う。
「早く寝たらどうですか。夜更かしは美容に悪いですよ」
「それが、もうすぐリチャルド様がやってくると護衛から連絡がありましたので、お教えした方がよいかと思いまして」
「なんだって?」
ヨシュアは聞き間違えたのだと信じたかった。
「ですから、私の部屋にリチャルド様が浸入しに、いらっしゃるようなのです。今夜の護衛はヨシュア様に任せてあると聞きましたので、どうやって撃退しようか相談したいのですが」
「でしたら、こちらに相談する前に、教えてくれた護衛にどうにかしてもらってください」
「いえ……その護衛は特殊なので、簡単には動けないんです」
「使えない護衛ですね」
「そんなことありません! すごく優秀なんです!」
いくら力いっぱい反論をされても、即座に動いてくれないのなら、ヨシュアにとっては意味のない神様と同列だ。
「さっき、撃退するとおっしゃってましたが、護身術に自信があるのですか」
「いいえ、まったく」
「……」
実に使えないお姫様である。
「どうするつもりですか。このままじゃあ――」
ティアラは油ギッシュの餌食だ。
そう考えた途端、様々な場面が蘇って気持ち悪くなる。
「ヨシュア様。そちらに、お邪魔してもよろしいでしょうか」
「……」
嫌だと即答したかった。
けれど、この状況では捨て置くわけにもいかない。
たとえ、助けを求めてくるのが、この世で最も恐ろしい女という性別の生き物だとしても。
「どうぞ」
充分にドアから離れて、渋々ながら許可を出した。
「お邪魔します」
ひょいと顔を覗かせたティアラを見て、ヨシュアは騙された気分になる。
そして、ファウストの徹底ぶりに感心してしまった。
「夜分にごめんなさい。それと、これが本当の私です」
あれだけ鬱陶しくまとめられていた髪は真っ直ぐ背中に流れ落ち、分厚い眼鏡と横一線のそばかすがなくなっていた。
ティアラは好奇心旺盛な大きい瞳で、申し訳なさそうにヨシュアの機嫌を窺っていた。
「それが素顔なわけね」
どこからどう見ても美少女の部類に入る。
ファウストの過剰な心配と、リチャルドの気持ち悪いくらいの執心が腑に落ちた。
だからと言って、ヨシュアの心は微塵も動きはしなかったが。
どうしてこうなったのかと暗く沈んでいると、肌寒いのか、ティアラがガウンの上から体をさすっていた。
「いつまで突っ立っているつもりですか」
「近付くと困るのでしょう」
「だからって、そこにいられても困ります。そっちのソファが空いてるのでどうぞ。あなたなら、余裕で眠れる広さがありますよ」
自分が寝転がった寝台を譲る気はさらさらないヨシュアだ。
「いいの? ありがとう」
それでも、ティアラは、ちっとも気にせず、嬉しそうに跳ねていった。
ヨシュアは仕方なく毛布を取り出してやる。
近付きたくないので半分放るように渡すと、上手く掴んでは喜んでいた。
「のんきなものだな。状況を理解してないんだろう」
言葉と共に向ける視線は、自然と冷たくなってしまう。
「……わかっています。私事に巻き込んでしまって申し訳ないと思ってます」
ティアラの表情は一気に沈んだ。
「恐くないのか」
ヨシュアは離れた場所で椅子に座り、肘をついた。
「恐くはないです。私には特別な護衛がついているから」
「何かあるまで動けない護衛だろう」
「それは……」
外交問題に響くので簡単に動けないのは理解できる。
最後には助けてくれるのかもしれない。
それでも、未遂だろうと味わう恐怖に変わりはない。
「危ない目に遭わないのが一番だろう。ここにいて構わないよ。俺は起きているから、安心して寝てろ」
「ありがとう、ヨシュア」
気楽に呼んでくれるものだと思ったが、言い返すのはやめておいた。
お待ちかねのお客様がやって来る気配を感じ取ったからだ。
「静かに」
ティアラに忠告をしてから目を閉じ、のたのたした足取りに集中していると、ピタリと隣の部屋の前で気配が止まった。
何をしているかまでは不明だが、しばらくすると鍵を開けて中に入ったようだ。
侵入者は奥まで一直線に進むが、そこで足踏みをして狼狽える。
獲物に逃げられたと気付いたらしい。
しばらくは諦めきれずに家捜しし、最後にティアラが通ってきたドアの向こうに立った。
そこからティアラが避難したと予測できても、蹴破ってまで追えるわけがない。
実にわかりやすく地団駄を踏んで悔しんでから、迷惑な夜這い男はどすどすと部屋を出て行った。
ヨシュアは張りつめていた警戒の糸を緩めた。
「引き返してくれたようだな。明日になったら鍵を換えてもらえ。ついでに、部屋中の消毒も頼んでおけよ」
今度こそ、ヨシュアの出番は終わりだ。
「出てけとは言わないの?」
「言ってもいいけど、あんな男に入られた部屋に戻るのは気持ち悪いだろ」
「うん。それなら、ここに居させてもらう」
ティアラはホッとした様子で毛布を巻きつけた。
それから、じっとヨシュアを見つめてくる。
「寝ないのか」
「そんな気分じゃないから。ヨシュアは寝てていいよ。今度は、私が見張っててあげる」
いつだって女は自由で気ままな生き物だと実感する。
それとも、お姫様という環境がそうさせるのだろうか。
考えてみたが、どちらにしても迷惑で恐ろしいという結論に変わりはなかった。
「私ね、嬉しかったんだ。見た目じゃなくて、ちゃんと話を聞いてるって言ってもらえて。その場凌ぎの出任せでも、私はすごく嬉しかったの。私が言った気持ちは全部本当。あなたのことは、なんにも知らないけど、一緒にいると楽しいから」
ティアラは肘をついて微笑んだ。
「外国人が物珍しいだけじゃないのか」
「かもしれない。だけど、嫌じゃないのはヨシュアだからだと思う」
それを聞いて、ヨシュアは嫌悪感を隠さなかった。
「もちろん、あなたにとって、婚約が凄く不本意なのは理解してるつもりだけど」
小さくなったティアラは、気まずそうに視線を外した。
ヨシュアは、ティアラという少女が不思議でならなかった。
兄王の言いなりでもなければ、場に応じて態度を変えることもできる。
決して頭の悪い感じはしない。
なのに、理不尽な結婚話は全面的に受け入れているのだから。
「安心していいよ。私は巫女だから、本当にあなたと結婚することにはならないから」
そうつぶやいたティアラは、もそもそと横になった。
「もう寝ろ」
ヨシュアは会話を打ち切ることにした。
「うん、おやすみなさい」
目を閉じたティアラを確認して、ヨシュアは静かにため息をつくのだった。




