〈迷走の子羊〉 手厳しい講師
「はあ」
ここ二・三日のヨシュアは、気付けば重たいため息ばかりを吐き出していた。
「どうした、そう暗い顔をして」
「誰のせいだとお思いですか」
「はて。少なくとも、私のせいではないな」
間違いなく、ため息の原因の一部を担っているファウストのすっとぼけぶりに、これからしばらくはこの人を立てて、頼りにしなければならないのかと思えば、益々、うんざりしてしまうのだった。
* * *
多くの反省と共にオアシスで新年を迎えたヨシュアは穏やかな気持ちでウェイデルンセンの城へ帰る道中、ファウスト王自らの待ち伏せを受けてオーヴェ帝国へと拉致連行された。
詳しい説明は馬車の中でと言われ、ファウストと側近のヘルマンだけのかご車に監禁されながら出発となった。
「一体、これはどういうことでしょうか」
「ふん。それは、こちらが聞きたいことだ」
さっぱり不明な状況に腹が立っていたヨシュアの目の前に出されたのは、一通の手紙だった。
やけに立派な拵えの真っ白な封筒に自分の名前が書いてある。
「読んでみろ」
真顔で命令されて、興味のないまま中を取り出した。
「オーヴェ帝国・皇帝神アスラ、在位十周年記念式典のご案内?」
件名を読み上げたところで、青天の霹靂な事態に慌てて内容を把握するべく黙読に切り替える。
それから、再び封筒を見直して消印を確認する。
「なぜ、今まで黙っておられたのでしょうか」
ヨシュアは叫び出さないで済んでいる自分に、ここのところ上手く発動できなかった冷静な外面を、突発な緊急事態につき本能が取り戻してくれたような気がしていた。
「お前に、そんな余裕がなかったからだ」
何食わぬ顔で言い切られ、悔しいことに返す言葉が見つからない。
「私に何をお望みですか」
「ふっ、察しのよさは健在だな。お前は目立たず、控えめな爽やか少年を演じていれば充分だ。但し、常に警戒は怠るな」
「何が目的なのか、思い当たる節がおありなのですか」
「それは、こちらが聞きたいことだと言っただろう」
理解不能な返答のファウストをヨシュアが怪訝に見つめていると、もう一通の招待状を渡してきた。
戸惑いながらも手に取れば、ファウストとエヴァンの宛名が記されている。
促されて中身も見てみるが、内容そのものは、ヨシュアのものと変わりない。
「これが何か?」
「我がウェイデルンセン城に届いた招待状は、この二通だけだ」
断言されて初めて、おかしな点に気が付いた。
そして、ぞっとするような状況を理解する。
「ティアラの分は、ないのですか」
「ああ、ない。エヴァンがリオンを置いて長く空けるのは心配だと言うものだから、代理をティアラに頼んだまでだ」
「では、なぜ、私宛てに招待状が?」
「だから、それを、こちらが知りたいのだと言っている」
恐ろしい事態を把握したヨシュアは、しばらく絶句した。
「これが何を意味するのか、お前にもわかっていないことは承知している。だが、無視をさせてやれるほどの力は、私にはない。精々が、表立たなくて済むよう保護者として防壁になってやるくらいだ」
絶望的な事実を突きつけられながらも、あれだけ毛嫌いしているはずのファウストが味方になる宣言してくれているのだと冷静に受け止められた。
それでも、迷えるヨシュアの顔色を取り戻すまではいかなかった。
「お前なら、これくらいの修羅場なぞ、いくらでも経験しているだろう。そんなに怯えるな」
すっかり青ざめてしまったヨシュアに、どっきりを仕掛けたつもりのファウストは、少し罪悪感を覚えていた。
「いいえ、経験などありません。私は、自国の王族でさえ、拝謁したことがないのですから」
「……王族なら、ここにもいるだろうが」
「いいえ。ファウスト王と私の関係は、ティアラの兄と婚約者としてですから、王としてではありません」
馬鹿にしているのかと、むっとしたファウストは、肩書きに惑わされない捉え方に感心した。
だからと言って、このまま怯んでいられるのも大いに困るのだ。
「さすがに、直接、どうこうと言わせる隙を作るつもりはない。式典までの一週間も、お前のためにオーヴェ講習を予定している。心配するな」
それでも硬く、予想を上回るヨシュアの及び腰ぶりに、さっさと立ち直ってくれと真面目に願うファウストだった。
* * *
そういう流れで、ヨシュア達は、今から二代ほど遡ったウェイデルンセンの王位継承権を放棄した次男王子が若くしてオーヴェに楽隠居用に建てたという屋敷に、しばらく滞在することとなった。
ファウスト王は遠い親戚に歓待され、ゆったりした時を過ごしているものの、ヨシュア一人だけは戦々恐々とした日々を過ごしていた。
「大丈夫?」
妹至上主義なファウストが部屋から退出したのを見届けてから心配そうに声をかけてくるのは、オアシスに入る前には事情を把握していたという妹姫のティアラだ。
鉄壁の仮面を駆使して世の中を渡ってきたヨシュアは、自分以上の演者などざらにいるのだと、今回のどっきりにより実感させられた。
また、知っているくせに教えてくれなかったのだと判明した後では、された側の気分がいいものではないと、今更ながらに理解したのだった。
「そういうティアラは平気そうだな」
ちなみに、ティアラがヨシュアと一緒にオーヴェ帝国の文化や歴史の講座を受けているのは、必要があってのことではなく、お付き合いとして隣に並んでいるだけだ。
「オーヴェだったら、式典の出張で何回か行ったことがあるから」
聞けば、ウェイデルンセンを出国する市民はオアシスに向かうのでなければ、たいていはオーヴェ帝国を目指すものらしい。
日用品だけでなく、ありとあらゆる物の輸入先であるオーヴェ帝国には親近感が強く、立身出世を夢見る憧れの地なのだそうだ。
「ウェイデルンセン出身の山神信仰者も多いから、時々、結婚式や季節の節目に呼ばれるの」
「呼ばれた先で、あんな風に舞を披露してるのか」
「うん。式典によって演目は変わるけど、だいたいあんな感じ」
そのどれかで、油ギッシュに目をつけられたのだろうと思う。
「そうだよな。こう見えたって、ティアラはお姫様だもんな。王族相手だろうと怯む必要なんてないし、巫女さんなんだから、どこ行ったってありがたがられるんだろ」
「なんか、ヨシュアらしくないね」
卑屈な発言に気を悪くした様子のないティアラは、ヨシュアの胸の内など見透かしていた。
「……正直、びびってるからな。王族が相手だっていうのもあるけど、向こうが何をしたがってるのかわからないのが不気味でしょうがない」
オアシスの仕事も、わけのわからないまま奔走させられている気分だったが、最終的には物産展の成功という目標が見えていたのでなんとかなった。
けれど、今回はどんな目的があるのか不明なだけでなく、招待してきたのがサイラスだという確信さえ持てない。
何者でもない自分を標的にして、誰がどこへ導こうとしているのか見通せない不安は、日に日に胸が塞がるような重苦しさを増してくれる。
「大丈夫だよ、私が側にいるから」
ね、とでも言いたげなティアラは、どこから湧いて来るのかわからない自信に満ち溢れていた。
「そうだな。頼りにしてる」
ヨシュアが珍しく反論しなかったのは、ティアラの無邪気さに情けない姿を見せたと反省したのと、少なくとも味方はいるのだという支えを確認したからだった。
「ティアラ様、ヨシュア様、講師の方がお見えです」
使用人に呼ばれ、返事をしてから二人は部屋を移動する。
今日は客人を呼んで、オーヴェの習慣などについて話をしてもらう予定になっていた。
ヨシュアは時間より早めだなと思っただけだったが、内心では、かすかに警報が鳴っていて、迫り来る招待日に緊張しているせいかと気を取り直したのが大きな間違いだった。
講師役と対面した瞬間、ヨシュアは自分の超直感的本能の鋭さは絶対なのだと思い知らされる。
「お久し振りでございます、ティアラ姫。そして、ごきげんよう、スメラギ・ヨシュア殿」
やけに丁寧にお辞儀をしてきたのは、なんとびっくり、忌まわしき自業自得の呪いをかけてくれた天敵であり、従妹でもあるレイネだった。
「なんで、お前がここにいるんだ!」
「まあ、ヨシュア殿。これくらいの動揺でメッキが剥がれてしまうようでは、神殿へのご招待は、ご辞退した方が宜しいのではなくて?」
悪い夢だと思いたかったが、対応は見事なまでのレイネっぷりだ。
「本日、縁あって、わたくしがオーヴェ帝国で得た経験をお話させていただくことになっております。どうぞ、よしなに」
素直に喜んでいるティアラの隣で、ヨシュアは、あまりの絶望さに眉間をつまんで目をつむっている。
「ヨシュア、現実から目を逸らしてるんじゃないわよ」
「こんな展開、あえて逸らしたくもなるだろう! てか、何が悲しくて、レイネなんかに教わらなくちゃいけないんだ!!」
「だって、私の留学先はオーヴェ帝国一の難関校なんだもの」
「……」
「呆れた。あなた、やっぱり知らなかったのね」
黙ったヨシュアに、レイネは冷たい眼差しを送ってくる。
「だからって、なんで、お前が呼ばれて来るんだよ」
「あら。留学中、ずっと上位の成績を維持しながら特権階級のご子息ご息女達と交流を持ち、オーヴェの生活習慣をシンドリーとの違いと比較しながら注意点を挙げられる私に、一体、どんな不満があるというのかしら?」
勝ち誇って微笑むレイネに、ヨシュアは、またもや黙るしかなかった。
「ねえ、ティアラ。シモンさんは一緒じゃないの?」
ここで、ころっと話題が変わり、レイネが辺りをきょろきょろ見回す。
「うん、そうなの。ごめんね」
この度の一件で、ヨシュアがよく知るメンバーではシモンとリラが留守居組となっていた。
「ところで、なんで、レイネがシモンを気にしてるんだ」
全然、まったく繋がりのないはずの関係に、またもや、自分の知らないところでやっかいな計画が進められているのではと心配になる。
「そんなの、気があるからに決まってるじゃない」
「……は?」
「あーあ、せっかくのチャンスだと思って、張り切ってお洒落してきたのに。でも、ティアラに会いたかったのも本当だから、いっぱいおしゃべりしようね」
「おい、レイネ。お前はオーヴェについて講義しに来たんじゃなかったのか」
ヨシュアは末恐ろしい考えは聞かなかったことにして、話を本題に戻した。
「あら。誰かさんは私の力なんて必要なさそうだから、やめにしようと思ったのだけど、そうじゃなかったのかしら?」
このレイネらしく跪いて頼めと言わんばかりな上から目線に、無駄に意地を張れる余裕がないヨシュアは、屈辱を味わいながらも頭を下げた。
「そうね。そこまで、お願いされたら仕方ないわね。でもまあ、元々、ファウスト王からのご依頼だから、ヨシュアがどうごねようと必要な要所は伝えていくつもりだったのだけど」
さらっと遊ばれていたことを教えられたヨシュアは、ぷるぷると震えながら怒りを堪えていた。
それからの二日間は、ティアラはもちろんのことながら、ファウスト王やヘルマンにも好感度の高い印象を与えた令嬢のレイネは、ヨシュアだけには容赦のない物言いで、あれやこれやとびしばし指導をしてくれた。
あまり注意をされずに済んだのは、食事の仕方くらいなものだ。
シンドリーで使う道具と差異がなかったせいもあるが、オアシスの食堂で世話好きでおしゃべり大好きなオーヴェ出身のおばちゃんに気に入られ、色々と聞かされたものが役に立ったのが主な理由だ。
どこで何が生きてくるのかわからないものだと経験したヨシュアは、幅広く話を聞けと言っていた兄を思い出してえらく複雑な気分になっていた。
こんなサプライズを体験した後では、気まぐれに招待されただろう皇帝神の式典もなんとか乗りきれるような気にさえなる。
しかし、大舞台の本番を控えるヨシュアには、もうひとつ、ど偉いびっくりどっきりが待ち構えていた。