〈王の思惑〉 おさぼりデート
* * *
翌、十二月三十一日、大晦日。
ヨシュアが曇った窓を無造作に袖で拭うと、あちらこちらで忙しいながらも浮き足だった陽気さが、朝から見て取れた。
今日こそはのんびりしようと、晴れやかな気持ちで幼馴染みと待ち合わせている食堂に向かったヨシュアは、今年最後の災難だとでも言いたげなラク・カルヴァドスとばったり遭遇してしまった。
「おはようございます」
瞬間的に爽やかな笑顔を浮かべ、言い逃げるように通りすぎたかったのだが、ラクの方が一枚も二枚も上手だった。
「ああ、今日も頼むな」
同じ挨拶を返すでもなく、昨日の仕事ぶりを評価するでもなく、これだけで全てを含んだ用事をさりげなく言いつけたのだ。
拒否する間も、聞こえなかった素振りで誤魔化す余裕も与えてはくれなかった。
「あの、生憎と、今日は先約があるのですが」
なんとか気持ちを立て直したヨシュアは、幼馴染み二人の顔を思い浮かべながら頑張ってお断りを入れてみる。
しかし、顔色一つ変えずに「レスターに頼まれた仕事なんだけどな」と付け加えられてしまえば、断る権利などないも同然だった。
「んじゃ、朝飯食ったら、オレんとこに来てくれ」
一定の場所に留まっていた例しがないカルヴァドスなのに、どこにいるとも告げず、ひらりと片手をあげていなくなる。
人前なので我慢しているが、誰もいなければ床に寝転がって、じたばたしたい気分だった。
先に到着して全てを見ていたアベルとエルマに合流すると、ふわふわなトーストと熱々のコーンスープを持って席についたヨシュアは、情けなくなるしかなかった。
「さすがはヨシュア。どこに行っても人気者だな」
昨日みたいに説教しなかったアベルにほっとするも、妙に、おかしな納得の仕方をしてくれる。
「んじゃ、予定変更するしかないか。どうする、エルマ」
「んー……それって、ヨシュアじゃないと駄目なのかな」
「へ?」
「アベル、ヨシュアの代わりに行ってきてよ」
「「はあ?」」
エルマにしては突拍子もない案を言い出したので、ヨシュアとアベルが揃って驚くという珍しい現象を引き起こした。
「受けてくれるなら、連帯責任の件、これでチャラにしていいから」
未だにどういう責任なのかも理解していないアベルだったが、許してくれるのならと気安く頷いてしまう軽さを持ち合わせていた。
「ちょっと待った。レスターさんに頼まれた用事なのに、勝手に代わったりしたら……」
「なんだよ、ヨシュア。自分にはできて、俺には無理だって言いたいのか?」
好んで代わるわけではないアベルが、なぜか、挑発する風に絡んで来る。
「そうじゃないだろ。だいたい、俺だって、どんな用件かもわからないってのに」
「だから、アベルに行かせるんだよ。それに、もし、どうしてもヨシュアじゃなきゃいけない内容なら、連絡をつけられる当てがあるから平気だよ」
余裕で構えているエルマに、どうやって? という疑問が解決されないまま、アベルも決定事項として食事に集中してしまった。
* * *
三人が食器を片付けて外に出ると、食堂のおばちゃんが言っていたように、この時期でも昼間は暖かく感じられた。
オアシスの宿舎を出て大通りに出る手前で、仕事の肩代わりを安請け合いしたアベルと別れることになる。
「じゃあ、夕方までには終わらせてくるから」
何をやらされるかも知れないアベルは、どこから湧いてくるのか謎な自信を持って出発した。
本当に大丈夫なのか不安なヨシュアは、せめてと思って、後ろ姿が見えなくなるまで見送った。
「さてと、僕らはデートに行こうか」
「ん?」
エルマがどんな理論で代理人を提案してきたのか疑問なヨシュアは、何を言われたのか理解できないで思考が停止した。
「今、なんて」
辛うじて聞き返してみる。
「恋人の振り、してくれるんだろう」
「へ……」
あれだけ怒っていたはずの提案だったのにという戸惑いと、どうして今なのかという唐突さと、何より心から弾んで見えるエルマが摩訶不思議でならない。
「行こう、ヨシュア」
返事も待たずに歩き出したエルマに、考えがまとまらないままヨシュアは追いかけるしかなかった。
わざわざデートと指定をされたので、そんなものとは一生無縁の人生を歩むつもりだったヨシュアは、正直、落ちつかなくて、そわそわして、おろおろしていた。
けれど、エルマはいつもの男装をしたままで、言動も、見て歩く店の傾向も普段と変わりなかったので、一時もしない内に肩の力を抜いた。
「エルマ。俺は、今までの関係を否定したかったわけじゃないからな」
ヨシュアは今更ながら、ようやく、あの時に怒らせた発言の言い訳をしようと口を開いてみた。
「わかってるよ。本当に親切のつもりだったんだろう」
前置きしなかったにも関わらず、長い付き合いのエルマは意図を汲み取ってくれた。
「まあ、ヨシュアの、そういうところが、僕を本気で怒らせたわけでもあるのだけど」
しかし、簡単には許してもらえそうにないらしい。
「俺が原因で困らせてるなら、力になりたいと思っただけだよ」
「それも、わかってる。でも、そんなに迷惑してるわけじゃないから、ヨシュアが慣れない提案をしてまで、気にする必要なんてないんだよ」
「そお、なのか?」
「今のところ、しつこく付きまとってくるような人はいないし、誰だろうと好かれるのは気分いいからね」
さらっと言い切ってしまえるエルマは、人類の半分を全力で拒んでいるヨシュアとは比べ物にならないくらい大人であり、余裕ある懐の深さが格好よかった。
「困ってるって言うなら、時々、仲よくしてくれてる女の子達が衝突してることくらいかな」
親衛隊と称したエルマ推しの子達が、言い寄ってくる男共とぶつかっているのだろう。
それらを、まあまあと宥めに入るエルマが目に浮かぶ。
「だから、何があっても僕はヨシュアと男女の関係にはならないし、付き合ってる振りも絶対にしない」
やけにきっぱりと断言された言葉はヨシュアとの器の違いを突きつけられているようであり、男からの気持ちを快く受け入れる男装のエルマがヨシュアだけは男として認めないと言っているようでもあり、同時に、何があっても昔からの関係を崩すつもりはないと明確にして寄り添う優しさとも受け取れた。
「うん、わかった」
こう答えるしかなかったヨシュアの表情に、エルマの方でも、どんな風に受け止められたのかを読みきれず、こちらはこちらで複雑な心境になっていた。
それでも、エルマには前言を撤回するつもりはなかった。
ヨシュアが言い出したような関係になる展開を、エルマはすでに緊急避難の一時しのぎではなく、本気の想定として幾度となく考えていて、その上でどう進んでも良好なままではいられない道だとする結論を、とっくの昔に出しているのだから。
「ヨシュアが、わかってくれたならいいけど。ティアラを泣かせるような真似はしたくないからね」
今更、どうするつもりもないのだと、エルマは明るく言ってのけた。
「……ティアラが泣く?」
空気を変えようとした軽口だったのに、ヨシュアは妙なところで引っかかった。
「なんか、全然、想像できないんだけど」
恋愛系の機微に関する相変わらずな鈍さに、長いめで生温かく見守っていきたいエルマでも、何かしらの口を出したくなってくる。
「あのさ、今のヨシュアにとって、ティアラって、どんな存在なわけ」
「んー……修行仲間、かな」
他の誰に聞かれてもまともに答えなかっただろうが、相手がエルマだったので素直に気持ちを表した。
「何それ」
「だから、俺は女嫌いを、ティアラは世間知らずを克服しようとしてる同士みたいな、そんな感じ」
「同士ねぇ」
妹から近づいたのか遠ざかったのか、見事に判別不明な答えだった。
安定した色気のなさに、これ以上の進歩を求める方が無理という気がしてくる。
ヨシュアを見れば、こちらのやきもき具合を知らずに満足げな顔をしていて、ふつふつと意地悪をしたくなってきた。
「ねえ、ヨシュア」
エルマは名前を呼んで、さほど高さの変わらない目線を合わせると、自他共に認める女嫌いの手をそっと掴む。
「何?」
身近な人間ほど鈍感さを発揮するヨシュアが、今のところどうとも思っていない様子なのを確信してから、手を掴んだまま、ひょいとヨシュアの背後に向けて一言放った。
「あ、ティアラ」
もちろん本当にいるわけではなく、頑固で生真面目なヨシュアに面白い反応を期待していたわけでもない。
ところが、その名前を聞いた途端にエルマの手を振りほどいて距離を取った。
あの、ヨシュアが、だ。
慌ててキョロキョロして、ようやく騙されたと理解したヨシュアは、当然、ぷんすかと文句をたれた。
しかし、仕掛けたエルマに苦情の半分も届いたものはなく、ぷふっと噴き出してしまった。
「なんだ、ヨシュアも確実に育ってるんだな」
「どういう意味だよ、それ。てか、なんで騙したりしたんだよ。しかも、さっきから、ちゃんと説明してくれって言ってんのに、全く俺の話を聞いてないだろ」
「聞いてる、聞いてる。だから、デートはこれでおしまい」
「誤魔化すな。少しもデートらしくなかったくせに」
「僕には、ちゃんとデートだったよ。それより、今日はこの後、レスターさんの屋敷に招待されてるんだ」
「はあ? なんで、この流れで言うんだ。そもそも、レスターさんは不在じゃないのか?」
「不在だよ。家の人に言いつけてあるから、遠慮なくってさ。ってことで、僕はアベルを迎えに行ってくるから、ヨシュアは先に行ってて」
「なんで俺だけ……って、あ、ちょっと」
弾むような足取りで駆け出したエルマの背後で、引き止めようとしたヨシュアの手が空しく宙を空ぶってしまうのだった。
悩みましたが、デートにしました。
逢い引きしに行こうだと、なんか軽く聞こえないので(´-ω-`)