〈王の思惑〉 余暇の労働
* * *
物産展の会場は最終日の内に屋台が片付けられ、翌日には、さっぱり更地に戻っていた。
ヨシュアが朝の散歩にふらりと立ち寄ってみれば、物寂しく残されたごみの類いを清掃業者が黙々と処理しているだけだった。
「結局、オアシスに着いてから一度もレスターさんと会えてないな」
それが、いいのか悪いのか見極められないまま食堂で朝食を取っていると、顔を出したクロウにレスターからだと手紙を渡される。
何か、空恐ろしい次なる指令でも書いてあるのかと心配になりながら開くと、普通に労いの言葉と共に、正月をゆっくり過ごしてから帰るといいと記されていただけだった。
いきなりで戸惑ったものの、アベルとエルマにも同じ内容を伝えてあるとクロウに言われて、素直に喜ぶことにした。
朝食後、クロウと別れたヨシュアがいそいそと幼馴染みの所へ向かうと、アベルとエルマに微妙な顔をされてしまう。
「悪い、ヨシュア。まだ、こっちの仕事が残ってるんだ」
屋台の解体は済んでいても、使った器材を舟に運び込む仕事が待っているらしい。
なので、しばらくヨシュアは一人で時間を潰すしかなくなった。
本当に暇なので、気持ち的にはいくらでも手を貸したってよかったのだが、肩入れだの、えこ贔屓だのと難癖をつけられてカサイのおじさんに迷惑をかけたりしたくなかったので自ら諦めていた。
「お、ヨシュア。お疲れさん」
「……」
「どうした?」
当てのない道端で親しげに声をかけてきたのはラク・カルヴァドスで、あれだけ嫌だった坊っちゃん呼びをここでやめるのかと思ったものだから、ヨシュアは、すぐに反応ができなかった。
「暇なら、もう一働きしてくか?」
「あの、物産展が終わったので、ウェイデルンセンに戻るのですが」
「わかってるよ。でも、正月まではいるんだろ。どうせなら、経験値上げがてら小遣い稼ぎなんてどうだ」
束の間、考えたヨシュアは、消化不良な気分がいくらか解消できるかもしれないと思いついて了承する。
「夕方までに解放してもらえるなら」
「んじゃ、決まりだな」
と、どこまでも軽い調子のカルヴァドスに、ヨシュアの本能は何も反応しなかった。
けれど、疲れている時に、ぼんやりした頭で決断などするものではない。
少なくとも、用心深いヨシュアの性には合わないのだと思い知るのは、この後のことだった。
* * *
「ヨーシュア君、頑張ってるね」
今では聞き慣れた明るい口調に振り向けば、寒さ対策で、もこっとしたマフラーに巻かれているナノが立っていた。
「何をしているんですか?」
「ふふふー。私、年末年始は絶対に、お休みをもらうことにしてるんだ」
「よく許してもらえますね」
ナノの幸運の妖精説や観光地でもあるオアシスの師走の賑わいを聞いているので、ちょっと信じられない話だった。
「そのために、一年間、あっちこっちで貸しを作ってるようなものだからね」
ふふんと得意気なナノは、用意周到なレスターに似ていなくもなかった。
腰に手を当ててふんぞり返っている姿のほとんどの部分に大きな違いが見てとれるのは別として。
「ところでナノさん」
「なあに、ヨシュア君?」
「……私は、一体、何をさせられているのでしょうか」
「へ? もしかしてだけど、知らないで手伝わされてるの?」
「はい……」
ナノは目を丸くして驚いた後に、しみじみと感想をもらす。
「なんか、すごいしっかり者すぎて突つきがいのない子だなぁって思ってたんだけど、そうでもなかったんだね」
初めて見るヨシュアの仰天なうっかり具合に、ナノは素で驚いていた。
そんな様子を前にして、ヨシュアの方も初めてナノに相応の年上として接していた。
それに、今回の仕事で薄々と感じていた、そつがなさすぎるのも場合によっては好まれないのだという発見も、世の中の確かな一面なのだと頭に刻んだばかりだ。
「誰かに言われて手伝ってるんじゃないの?」
ナノのもっともな質問に、ヨシュアはばつが悪いながらも説明をする。
「ラクさんの誘いで、ここで指示をもらうよう言われて来てみたら、説明のないまま、次から次へと材木運びを命じられて……」
「なーる。それで、聞けないまんま、今に至ってるわけだ」
ヨシュアは小さく頷いた。
「この時期は、みんなピリピリしてるからね。なんたって、新年最初の催しだもん。失敗したら縁起悪いでしょ」
ナノの言う通りなら、新年まで今日を含めても二日しかないので、この雰囲気も納得がいった。
「あそこが奉納舞の舞台になるんだよ」
「ずいぶんと大きな舞台ですね」
楽人の席が入るにしても相当な広さがあり、周囲の一部は見物しやすい階段状の特別席まで設けられている。
「そりゃ、オアシス設立当初からの行事だし、何より、レスターさんの舞は天下一品だもん。舞台も、それに相応しくなきゃだよ」
聞いていたヨシュアは、その名前にびっくりした。
「ここでレスターさんが舞うんですか?」
「そう。なんたって、初代オアシス代表の血を引く巫女なんだから、すごーく感動ものだよ。私なんか、初めて見た時、子ども心に衝撃を受けて号泣しちゃったくらいなんだから」
それ以降、ナノのレスターまっしぐらな人生が始まり、年末年始のお休みに繋がるらしい。
「とか言っといてなんだけど、レスターさん、今年は早くもウェイデルンセンに出発しちゃったんだって。もう少し早く知ってたら、追っかけしてもよかったのにな」
「じゃあ、今回は別の人になるんですか」
あれだけ感動しただのと聞かされれば、ヨシュアだって見たくなっていたので残念に思う。
「でもでも、がっかりするのは、ちょおっと早いんだな。その代理巫女っていうのが、なんと! レスターさんの姪っ子さんのお姫様だって言うんだから、びっくりでしょ」
「え?」
「楽しみだよね」
ルンルンと飛び跳ねそうなナノの調子に合わせられないヨシュアは、そもそも何を言っているのかもわかっていなかった。
「あっ、あれだよ。今日、会場入りするって情報を仕入れたから、入り待ちに来たんだ」
ナノが指差す先では、華やかで古めかしい馬車がゆっくりと止まるところだった。
それでも信じられずにいると、恭しく扱われながら、ヨシュアがよく知っているティアラが出てきた。
「うわー、可愛い! 白ーい、細ーい! レスターさんとは違ったタイプなんだね」
見慣れているヨシュアは、隣でぴょこぴょこと盛り上がっているナノが不思議だった。
しかし、この場ではヨシュアの方が圧倒的に少数派で、今さっきまで怒号が飛び交っていた騒々しさが鎮まるほど、誰もがティアラに注目している。
ティアラはしばらく舞台担当らしき年配の男の話に耳を傾けていたが、ふと自分に視線が集中している事態に気付くと、振り向いて、余所行きの笑顔で微笑みかけた。
たったそれだけで、殺伐としていた現場に歓声が広がっていく。
おかげで、作業がすっかり止まってしまっている状況を察した年配の男は、歳に似合わぬ大声で仕事に戻るよう一喝した。
多くの者が、それですぐに仕事を再開したのだけれど、ヨシュアだけはナノがいなくなったのも気付かずに突っ立ったままだった。
「おら、いつまでぼけっとしてんだ。お前がどんなに見とれたって、高嶺すぎる花だぞ」
薄曇りの空っ風が吹く中、上半身薄着で盛り上がった筋肉を自慢しているような男にどやされたヨシュアは、外面を忘れるほど見とれてなんかいないし、高嶺の花でもないと反論したくなる。
城にいた時はうんざりするほど見ていた顔であり、そもそも、ヨシュアがウェイデルンセンに滞在している理由がティアラの婚約者として虫除けになるためなのだ。
けれど、実際には、さっさと運べと小突く筋肉男に従っておしまいにした。
均衡を取りながら木材を持ち上げたヨシュアは、黙って作業に戻る。
それでも、どこか後ろ髪を引かれていたのは、一瞬、ティアラと目が合ったのに素通りされたような気がしたからだった。
思えば、初めて手紙を出したというのに、返事がまったくないのも引っかかっている。
返事を寄越せとは書かなかったけれど、迷惑がっているのを承知で勝手に部屋に押しかけてくる行動力を思えば、どうしたって物足りなさを感じてしまうのだ。
木材を指定された場所まで運んだヨシュアは、置くと同時にもやっとした気持ちも吐き出してしてしまいたかった。
それができない代わりに、眉間をしかめて長く息を吐いてみる。
そうして顔を上げれば、もう何事もない様子で次の指示をもらいに歩き出していた。