〈王の思惑〉 持て余した裏側で
* * *
「ねえ、食べた?」
「とっくに。すっごく美味しかったよ。形も可愛かったし」
「いいなー。私も食べたいから、付き合ってよ」
「ええー。初日だったから、あんまり並ばなかったけど、今はすごい行列なんでしょ」
「だからこそ、価値があるんだよ。それに、今日で最終日なんだよ」
「うーん、仕方ない、付き合うか。私も、もう一回食べたいしね」
知られざるシンドリー物産展、最終日。
年末の慌ただしい時期にも関わらず、口コミで広がった評判は、寒風吹き荒ぶ会場に気温を感じさせないほどの賑わいをもたらしていた。
特に、ヨシュアが紹介した鯛焼き屋は気軽さと満腹感が評判で、連日大行列ができて大忙しだ。
その行列に並びついでで他の店も覗いてもらえるので、カルヴァドスの思惑通り、全体的な活気がついて大盛況の評価をすで得ている。
そんな中、功労者であるはずのヨシュアは外れにぽつんと置かれたベンチに座って、ぼんやりと会場通りを眺めていた。
「暇だな」
実は、物産展本番になって、ヨシュアは思わぬ休みをもらい、することが全くなかった。
各店舗の運営は各々の責任で賄うし、会場での揉め事や苦情の対応は、軽く取りなしてうやむやに誤魔化してしまえるラク・カルヴァドスや冷静で人当たりのよいコトリ・クロウといった適任者を各地に配属してあるので、半端な学生小僧にできる仕事場がないからだ。
あるとすれば客の誘導や案内くらいなものだが、警備員や案内人は期間中だけ雇った専任がいるので、いてもいなくてもいい存在なら無理して加わろうという気にはならなかった。
どうせ体が空いたのならアベルやエルマと鯛焼き屋の手伝いをしたいところだが、クロウからも客に見える形での肩入れはよくないと忠告されたので、すっかり暇をもて余している。
おそらく、頑張ったご褒美として初めての物産展を楽しめる時間をくれたのだろうし、初日こそゆっくり見て回れると喜んでいたものの、翌日には早くも暇で暇でしょうがなくなっていた。
何より、実際の成果に反して手応えのある何かを成し遂げた実感がないヨシュアは、不完全燃焼な気分で燻っている。
「ヨシュア君、お疲れー」
弾んだ声に顔を向ければ、子どもお姉さんのグラハム・ナノが鯛焼きを抱えてこちらにやってくるところだった。
「お疲れ様です。並んだんですか?」
「ううん。関係者の特権で、アベル君とエルマちゃんに裏からこっそり頼んじゃった」
気安い呼び方に、どことでも繋がるナノの人懐っこさが見てとれるというものだ。
「ヨシュア君、何味がいい?」
「どれでもいいです」
じゃあ、と言って渡されたのはあんこ入りだった。
「なんか、糖分が必要そうな顔してるからね」
内心を見透かしたような言葉を返したナノは、赤いソースが入ったポトサラを頬張った。
「辛いの好きだから、はまっちゃって。今週は、こればっかり食べてるんだ」
もごもごと食すナノの姿は、微笑ましい小動物を思わせる。
「人がうじゃうじゃだね」
勝手に隣に座って物産展会場を眺めていたナノは、不意に覗き込むようにヨシュアを窺ってきた。
「ヨシュア君が大活躍したおかげだね」
「幸運の妖精が参加したから、じゃなくてですか」
「ありゃ、知ってたの?」
「つい最近ですけど」
食堂のお喋り好きなおばちゃんから、ナノが自ら参加を決めた催事は必ず大成功するのだと作業の合間に教えられた。
本当は幸運の小人だったらしいが、これを知った本人が断固拒否をしたため、妖精に落ち着いたというオチまでが合わせて聞かされた話だ。
「私の場合、私の功績っていうよりも人より鼻が利くってだけなんだけどね」
こんな答えを聞くと、なんとなく、元気よく走り回る、もしゃっとした小型犬を想像してしまう。
「ナノさんは、今日はもう終わりなんですか」
「ううん、見回りついでの休憩なだけ。そろそろ戻らないと迷子の案内を出されちゃうかも」
「ラクさんだったら、本当に実行しそうですね」
「それ、マジで一回やられたから、冗談じゃ済まないんだよ」
思い出して渋い顔をしたナノは、次の瞬間には天真爛漫な笑顔でぶんぶんと手を振って、あっと言う間に人混みにまぎれて見えなくなった。
* * *
ヨシュアが見送る視線が途切れたところで、グラハム・ナノは差し入れた鯛焼きの出資者と合流していた。
「よー。お使い、ご苦労さん」
わしわしと頭をなでるカルヴァドスに、ナノは嫌そうにしながらもされるがままになっていた。
カルヴァドスはいつも、ナノを本気で子どもか小動物のような扱いをする。
そこに悪気は少しもなくて、仕事に関しても過小評価をされることはない。
そのくせ、迷惑げに振り払うと悲しそうにしょんぼりされるので、ナノにとっては微妙に付き合いづらい人物だった。
「んで、坊っちゃんの様子はどうだった?」
「暇そうにしてましたよ」
「はは、やっぱりな」
「一番の功労者なんだから、少しくらい、お友達と居させてあげたらいいのに」
「いやあ、それやったら、全部が意味なくなっちゃうからな。ちなみに、お前の感想は?」
「なんてゆーか、典型的な優等生って感じかな。最後まで打ち解けてくれなくて残念。さっきだって、仕事中だって知ってるくせに、もう終わりですか? とか聞いてくるんだから、ちょっと自信なくしちゃった」
「まあ、あいつは色々と特殊な奴だからな。それを思えば、親しくなった方だと思うぞ」
カルヴァドスの労いに、人付き合いで悩んだことの少ないナノは「あれで?」と疑いながら無精なひげ面を見上げた。
「ところでラクさん。ヨシュア君は、いつから正式にうちに来るの?」
「あー……それな」
「違うの? そのつもりだから、あんなに滅茶苦茶な進行してる企画に放り込んだんだって思ってたんだけど」
「オレも、そのつもりだったんだけどなぁ」
「?」
首を傾げて続きを待つナノがワンコにしか見えなかったカルヴァドスは、頭をなでなでして返事の代わりにしておいた。
* * *
「さあてと」
ナノと別れ、間もなく物産展も閉幕という時刻になっても名残り惜しげな賑わいを見せている会場を後にしたラク・カルヴァドスは、商工会議所の一際高い塔を見上げていた。
「女王様のご機嫌はいかがなものかな」
そんなことを呟きながら、見上げていた先を目指して建物に入っていく。
最上階まで上がり、目当ての部屋を訪ねると、中には書類仕事をするレスターがいた。
「夜に来るものとばかり思っていたぞ。最高責任者が抜けて来て大丈夫なのか」
レスターは手を止めてカルヴァドスを見やる。
「そのためのコトリだろ」
「まったく、コトリの不運はラクと出会ったことだな」
カルヴァドスは、ただ笑って聞き流した。
「色々と心配だったが、中々、盛況のようだな」
立ち上がって窓際に寄ったレスターは、最上階ならではの景色を見下ろしている。
「おかげさまで。でもって、女王様の感想は?」
隣に並んで会場を見下ろすカルヴァドスが面白そうに尋ねた。
「企画については、総括が出ないことには答えようがない。もっとも、ラクが聞きたいのは別件なんだろうが、だったら、まずは、まともな報告をしてもらいたいものだな」
男達にはある種の快感をもらたらすレスターの尊大な態度に、カルヴァドスは下心の含みなく同意した。
「今回、一番話題になったのは甘味処・カサイ堂だ。小規模な個人経営の鯛焼き屋から始まり、今じゃ、シンドリーの主要都市には必ずあるってくらい広く展開してる人気店だ」
「資料によると、ヨシュアが引っ張り出す前にも名前は上がっているな」
「それだけシンドリーに浸透してる店ってことなんだが、後ろに取引制限のあるスメラギ商会がいるもんだから早々に除外してたんだと」
「なのに、スメラギ家の身内が仲介に入るとはな」
「むしろ、あいつが提案しなきゃ、実現しなかっただろうよ」
「ふむ。きっかけはともかく、背後の問題は全て解決されてると思っていいんだな」
「オレはともかく、コトリがいて危ない橋を渡るわけないだろ」
それもそうだとあっさり引いたレスターに、カルヴァドスは特に気にしないまま報告を続ける。
「カサイ堂の親父さんとヨシュアは幼い頃からの顔見知りで、よく買い食いに寄り道してたらしい。んで、今から九年前、親父さんの一人息子が事故で大怪我に見舞われて、家族経営だった店は閉店を考えるまでに追い込まれていた。そんな事情を知ったあいつが、スメラギの大将と繋ぎをつける形で救ったっていう縁での付き合いだそうだ」
レスターは形のよい眉をやや上げた。
「意外だな。いくら愛息子のお願いだからといって、よくあのスメラギ・ロルフが動いたものだ」
「そこは商売人らしく、しっかりと実績や経営状況を鑑みた上での結果だ。まあ、融資を決めたついでに、膨大な医療費を勘案して事業拡大の提案までしたのは息子が仲介したからかもだけどな」
「それで終わりの話じゃないんだろ。もったいつけないで、さっさと話せ」
さっきから、にやにや笑って報告してくるカルヴァドスに、レスターはうんざりした眼差しを向ける。
「実は、このネタを仕入れた時、面白い話を聞かされてな。当時七歳だったあいつは、金持ちの親に、ただ助けてほしいって泣きついたわけじゃなくて、潰れたらもったいない店だから融資の審査をしてくれって訴えたんだと」
「ほう」
レスターは顎に手を添えて感心を寄せた。
「それに応えて厳しく審査した上で店の拡大まで手を貸したスメラギの大将は、足の不自由になった跡取り息子のために段差のない広い空間にする店舗改装まで関わってる。
結果、スメラギが支援するほど価値がある味だと評判になって、見通しのいい店内は子どもから年寄りにまで優しい店構えだっつって大繁盛だ」
な、面白いだろ、とカルヴァドスは笑う。
「七歳となると、拗らせる前の話か。昔から見込みがあったようだな。それで、国外の物産展に無事に参加できたのは、どうやって解決したんだ?」
「それがまた、びっくりするほど、まともな正攻法でな。カサイ堂をオアシスに進出させるため、スパッと縁を切って協力してほしい! って、実家に真っ向勝負な手紙と幼馴染みを送りつけただけなんだから」
「……ヨシュアは、時々、とんでもなく大胆にやらかすな」
「お、レスターでもそう思うのか。たいした大物だな」
「しかし、儲けが上がっているなら、スメラギ商会も簡単には手放したりしなかっただろう」
「普通は、そうなんだろうがな」
幸い、返済そのものは五年くらいで終わっていて、後の付き合いは経営相談をして顧問料を払っていたくらいの関係だとカルヴァドスが説明した。
「それも、怪我をした息子が本格的な経営を勉強して主戦力になった今は、恩人として挨拶と報告をしてるくらいのやり取りだったから、切ろうと思えば難しくない状況ではあったみたいだな」
「だとしても、商売は義理と人情を大事しないとやっていけないだろう」
「その通り……なんだけど、あいつは善良な経営者の繁栄を阻害するようなら、スメラギの評判はがた落ちだって脅し文句を入れてたからな」
それだけで動いたとは思えないが、元々はヨシュアが仲介した店だから意向に沿ったのだろう。
「なんだかんだと、あの家も息子には甘いようだ」
「らしいな。おかげで物産展は大成功だ。しかし、まあ、実際に面倒な交渉を引き受けたのは幼馴染み二人とセオドリクだから、本人はちっとも手応えがないようだけど」
「なるほど。確かに、それは面白い話だな。で、肝心の目的はどうなった?」
レスターの質問に、カルヴァドスは眉を上げて返事にした。
「なんだ。てっきり、物産展と同様に順調なのだと信じていたんだが、ラクでも手こずったか」
「あー、手こずったって言うより、こっちの思惑以上で、予想外だったって感じだ」
レスターは、なんだそれはと聞き返した。
「オレとしては、上司が手も口も出さないことで若手同士が団結してくれたらって期待をかけてたんだけどなあ」
「ああ。それなのに、ヨシュアが想定以上の意見を持っていたから嫉妬を招いたわけか」
移動遊園地で経験済みのレスターは、あっさり正解を引き当てた。
「言っとくけどな、レスターが事前に情報を与えすぎてたせいもあるんだからな」
「八つ当たりをするな。あいつからの要求に応えただけで、与えた物も一般的資料にすぎん。それに、どうせ、ラクだって面白がって観察していたんだろう」
「まあな。どこまでやれるか試してみたら、最終的には目玉商品引っ張ってくるんだから、あっぱれな坊っちゃんだよ」
その分、先に動いていた先輩仲間の反感を買う原因にもなったわけだけど、とカルヴァドスは苦笑した。
「だいたい、オアシス限定の味を作ったらどうかって提案した上に、甘味処で辛い味を考えつくとか、ちょっとできすぎて、オレでも苛っとしたぞ」
「ふむ、あれはヨシュアの案だったのか。ラクを苛つかせるなんて、上々の見所だな。しかし、それ程やっかみを受けた割りには、嫌がらせの類いの引っ張り合いはなかったようだな」
「そこはほら、経験の浅い若手を集めたとは言え、将来有望な人材を揃えたからだろ。俺の見る目が確かな証拠だ」
「だったら、そんなラクを、今現在も起用し続けてる私の先見があってこその成果だろう」
戯れ言に軽く返すと、レスターはやりかけだった書類仕事を無造作に避けて机に腰をかける。
「要するに、本人が知らないところ上手く歯車が回っていたという話か」
「シンドリーのお歴々も、スメラギ商会が手放さざるを得ないくらいオアシス進出は大きな旨みだと気付いて本気になってくれたしな」
「だが、当初の目的を果たせなかったのなら、大失態には変わりあるまい」
一部の野郎達が震え上がって喜ぶレスターの冷たい視線に、カルヴァドスは笑って応えた。
「これがまた、面白いことに、悪くない結果が出てきてたりするんだな」
勿体つけるカルヴァドスに、つい手を伸ばしたくなる、むっちりとした脚を品よく組んだレスターが先回りする。
「歩く拡声器のムウ・イーデンが釣れたのだろう。コトリという名の竿でな」
「なんだ、知ってたのか」
「いつまでも師匠面してられると思うなよ」
「とっくの昔に女王様の下僕になってるだろうが」
「誠心誠意を込めて跪いてもらった覚えは一度もないけどな」
これまた、レスターは澄まして聞き流した。
「ところで、ラクが巻き込んだコトリは、ヨシュアの名前をオアシスに売り込む目的を承知で動いていたのか?」
「あいつは聡いからな。上辺の作戦なんてすぐにバレた。しかし、コトリも言ってたが、ここまでお膳立てさせときながら無条件で手放すなんて、女王様らしくないな」
カルヴァドスの思惑からは外れたものの、ムウ・イーデンのおかげでヨシュアの名前は常に人材不足な上層部で覚えがよかった。
海千山千な上役くらいになれば、多少小生意気なくらいの方が鍛え甲斐があると思うものらしく、すぐにでも使いたいと手を上げる部署もあるくらいだ。
「正式にうちで使うには、いくつかの問題点が残っているだろ」
「実家の制約か? 今だって、家を出たようなもんなんだろ」
「お前の家系と同列に考えるな。まだヨシュアはシンドリーの公立校に籍があるし、国際問題になったらどうする。何より、うち以外にも引く手数多の人気者だ。スメラギも、そう簡単に手放すつもりはないだろう」
「そんなモテるのか? だったら尚更、女王様には頑張ってもらわないと」
「残念だったな。ヨシュアには、これ以上、私から仕掛けるつもりはない」
立派な舞台を用意しろと命令した割りには、あっさりさっぱりした引きように、すっかり乗り気になっていた分だけカルヴァドスは拍子抜けだった。
「心配するな。完全に手を引くわけではないし、今のところ、当人自らが興味を持ってくれている。それに、あれを誘惑するのは私の役目ではないからな」
「どういう意味だ?」
その問いに、レスターは目を細めて笑むだけで終わりにしておいた。