〈王の審判〉 応酬
「いくら婚約者殿のお望みでも、祭典や公の行事など、巫女のお勤めの際にまで顔を隠しているわけにいかないでしょう。それは、ご存知なのですか」
憤慨していても言い返す言葉を思いつけないリチャルドを横目に、サイラスが代わって相手になってきた。
ヨシュアは、巫女ねえ……と、婚約者設定を思い出す。
ウェイデルンセンでは山の神を崇め、季節の折々に祭典があり、神に通じることができる乙女として巫女が仕切るのだと記してあった。
その筆頭が王族のティアラで、結婚をすれば裏方に回るが、総取締として祭事に関わり続けるのだとか。
「まだ巫女としての姿を拝見していませんが、話は存じております。それに、ベールの件は、最初から長く続けさせるつもりではありませんのでご安心ください。そちらの、プリンタ殿から婚約の話が持ち上がったことがあると耳にして、ささやかながら妬いてしまったのです。私以外には見向きもしないようにと、ちょっとしたお仕置きをしてしまいました」
悪びれずに微笑むヨシュアに当て付けられて、誰もが目を見張った。
何より、仕掛けたはずのファウストが一番衝撃を受けていた。
「お二人は大変仲睦まじいのですね。ところで、ヨシュア殿はティアラ様のどんなところがお気に召したのですか。ベールの件から鑑みると、よほど外見がお好みのようですが」
サイラスは穏やかな笑みを絶やさないながら、どこか底意地の悪さを感じる問いかけだった。
「そうだ、そうだ。そんな男は認められん!! ティアラ様、こんな見かけしか興味のない男と結婚するなど言語道断。不幸の始まりですぞ!」
歯噛みして悔しがるしかなかったリチャルドは、ここが反撃のチャンスと知るとすかさず便乗してきた。
ついさっきまで、しつこく顔が見たいと執心していた自分はすっかり天井裏に棚上げされている。
ヨシュアは、ちらりと婚約者に視線を送ってみた。
誰もがティアラの容姿をもてはやしているのは汲み取れるが、国によってこんなに好みが違うものかと考えてしまう。
見ようによっては天然、もしくは純朴と呼べるのかもしれないが、数々の手間暇をかけて磨かれた女達を見ているヨシュアには評価できるところが見つけられない。
だからといって、中身を褒められるほど相手を知らなかった。
当たり障りのない返答でもいいのだが、できればここはガツンと一撃を与えておきたいところだ。
すでに、まともに相手にしているのが嫌になってきているのだから。
「そうですね。特に見た目を重視するつもりはないので、ベールにこだわりもありません。それよりも、人の話に耳を傾け、相手を理解しようとする姿勢に惹かれました。ファウスト王に大切にされて、わがままに育ってもおかしくないでしょうに、自分中心で物事を考えたりしないのです。ああ、ですが、見た目と言うなら、瞳がとても綺麗だと思います。不思議と見入ってしまうのは、瞳が何よりも心を映すからかもしれませんね」
ヨシュアは微かに頬を緩める器用な演技力で、初々しくも具体的な返答を披露してみせた。
誰もが感心する中、やり遂げた当人は、愕然としたリチャルドを眺めて自己満足している。
しかし、これで終わらせてくれなかったのはサイラスで、念のためなのか、ティアラにも同じ問いを投げかけた。
ヨシュアとしては、せっかくガツンと凹ませたのだから下手な発言はするなと念を送りつつも、どう切り返すのかには興味があった。
ティアラはこちら以上に婚約者の情報を持っていないはずだ。
設定以外に知っているのは、極度の女嫌いという役に立たない事実くらいだろう。
「私は、まだヨシュア様をよく知りません。ですが、一緒にいると何をしていても楽しくて、今はそれだけで充分に思っています」
しずしずと、それでもしっかり意思を示した返答は、完全にリチャルドを叩きのめした。
それを確認すると、些細な不愉快に全部目を瞑ったファウストが締めにかかる。
「リチャルド殿、サイラス殿、この度は妹のためにわざわざお越しくださり、誠にありがとうございます。ティアラも年頃になり、リチャルド殿のように先行きを心配してくださる方がいて大変ありがたく思っています。ですが、昔からこのように似合いの相手が候補に上がっていましたもので、そろそろ公表するのによい頃合なのではと先日に至った次第です。ですから、今後、ティアラに関してはどんな心配も配慮も一切不要となりましたのでご安心くださいませ」
ファウストは最上級な笑顔でいながら、極悪で清々しいオーラを放っていた。
直訳すると 「金輪際ちょっかい出すなよ、このすっとこどっこい!」 となるからだろう。
誰もが肩の荷を降ろしたところで、迷惑な要求通りに夕飯を共にする。
しおしおとおかわりを訴えるリチャルドも、二度と会うことのない面白生物だと思えば気に障らなかった。
そういう意味では、誰もがリチャルドを甘く見ていた。
簡単にやり込められるし、返す言葉も自力では見つけられないような中年男だ。
そのくせ立ち直りが早く、嵌まるとしつこいのもリチャルドの厄介な特性だった。
「ファウスト王、少々よろしいでしょうか」
食事の途中でヘルマンがやってきて、王に耳打ちをした。
「どうかなさったのですか」
尋ねたのはサイラスだ。
リチャルドは凹んでいる様子ながら、ベールをしたまま器用に食事するティアラにちらちらと未練がましい視線を送っている。
「城下に通じる道で、土砂崩れ防止の網が外れてしまったようです」
「怪我人はいなかったのですか」
「幸いにもいません。来週から点検の予定でしたが、今年は雪解けが早かったので間に合わなかったようです」
ヨシュアは、ふーんと思っただけだ。
だが、ここでなぜかリチャルドが元気を吹き返した。
「それはもしや、まさかとは思うのですが、オーヴェに通じる大通りのことでは?!」
「……そうですが、何か?」
ファウストは、鬱陶しいと言わんばかりの顔を隠しもしなかった。
「ならば大変だ! ああ、大変だとも!」
どこの子ども劇団よりへっぽこな演技力で、リチャルドは大げさに嘆いて見せた。
しかも、滲み出る笑顔を抑えきれていない。
「どういう意味でしょうか」
もはや、ファウストは不快感を前面に押し出していた。
「道が通れなければ帰れないではないか。うむ、それは困った。ならば仕方ない、今日は泊まっていくしかないですな」
王は、ぴくりと顔を引きつらせた。
「リチャルド殿のおっしゃるように、大通りは通行止めにしています。ですが、もう一本、通るに困らない道がございます。そちらの方がオーヴェに近いくらいですし、不安ならばこちらで案内をお付けしましょう」
「いやいやいや。それがですな、今日は大きな荷車を使ったもので、他の道では絶対に通れないはずなんですよ。なにせ、我が商会で一番の大きさを選んできましたからね」
これにはファウストが青ざめた。
慌ててヘルマンに確認させれば、残念ながらリチャルドの言うことが正しいと証明されてしまった。
「失礼ですが、なぜそんな荷車でお越しになったのですか」
すぐには王が再起できそうになかったので、ヨシュアが時間稼ぎに話題を振っておく。
「それは、こちらの訪問後に、私が携わっている修道院に寄進していただく予定になっていたからです。孤児院も併設しておりますので子ども達へのお土産を用意してくださったのですが、まさかこんなことになるとは……」
サイラスは嘘か本当か見破れない演技力を持っていた。
「わかりました」
ここで、ファウストが復活して話題を引き受けた。
それを聞いて、リチャルドは自分の要求が通ったのだと、現金なほど勝ち誇った笑顔になる。
「でしたら、お急ぎでしょうから代車を用意させていただきます。大荷物でもいくつかに分ければ運び出せますよ。なあに、心配は要りません。通行止めはこちらの不手際ですから、全てお任せください」
王のどや顔を見て、思惑通りにならないと知るや、リチャルドは目に見えて狼狽えた。
「え、いや、その、それはちょっと……」
ファウストは危うい寸前で、見事にやり込めた。
しかし、上には上が存在するものだ。
「ファウスト王、それには及びません。わざわざお手を煩わせていただくほど急ぎではありませんので。その分の男手を大通りの復旧に優先させてください。一本道でなくとも、不便には違いないでしょうから」
サイラスはさらりと三倍返しをした。
急ぎでないと伝えるばかりか、こちらを思いやる発言だ。
これでは、要求を突っぱねるなどできない。
「それは……それでは、今夜はこちらにお泊まりください。すぐに部屋を用意させます」
ファウストは悔しさを懸命に堪えて敗北宣言をした。
「ええ、ええ。是非ともお願いしますよ。こちらは全然、全く急ぎませんからね」
リチャルドは、さも自分の手柄のように胸を張っている。
「大丈夫ですよ、リチャルド殿。絶対に、朝一番で出立できるように復興しますから」
ギリギリとした笑顔を保ったまま、王は部屋を後にした。
そんな様子を見て、ヨシュアは初めて心からファウストに同情していた。