〈王の思惑〉 噂にまつわるエトセトラ
* * *
「以上が、現在の進行状況です。配置や参加予定の店舗は仮の状態であり、決定ではないことを前提にした上で、ご覧ください」
オアシス商工会議所の第七会議室。
この部屋に集まった十人程度の育ちがよさそうな青年達は、二人の中年男を前に緊張していた。
「報告は、これで全部だな。それらを踏まえて意見のある奴はいるか」
このシンドリー物産展の総責任者となる中年の一人、ラク・カルヴァドスが気楽に問いかけるも、誰一人として発言する者はなかった。
ちらりと、もう一人の中年、相棒のコトリ・クロウに視線を向ければ、突然参加が決まった企画書に一から目を通しているところだ。
クロウの場合、色々と意見があるのだろうが、堅実で慎重な性格なので、しばらく発言しないだろうと長年の付き合いで知っているカルヴァドスは、壁際に立っている新人の二人に目を向けた。
「参考までに、スメラギの坊っちゃんはシンドリー出身者として何か意見はないか?」
椅子にすら座らずにいる身の上だったので、すっかり見学者気分になっていたヨシュアは指名を受けて驚いた。
しかも、この緊張感の中、ぽっと出が意見を述べるには、かなり気が引ける。
とはいえ、期待されているシンドリー出身者としての立場なら、実は思うところが結構あった。
「では、個人的見解として言わせてもらえるなら、この企画は本番を迎える前に破綻してしまうと考えています」
「おお、気持ちいいくらい、ズバッときたな」
本気で面白がっているのはカルヴァドスくらいなもので、これまで責任者不在で懸命に企画を進めてきた青年達は怒り出すのだけは辛うじて堪えているのが見て取れた。
ヨシュアは強いて無視して、具体的な意見を述べていく。
「大きな問題点は二つ。一つは、出店の並び順です。大きな商会を中心に想定しているようですが、この二店は関係が悪いことで有名で、隣り合わせにすれば、お互いに妨害工作に走って準備どころじゃないはずです。他にも、名前は違っていても同じ系列の店舗が幅を利かせているのが少々気になりました」
「もう一つは?」
尋ねたのはクロウだ。
「それは、ここに記されている出展予定商品の半数が輸入物だということです」
「輸入物?」
「ええ。シンドリーで人気の商品に間違いありませんが、他国の流行を取り入れたものなので、今回の主題を照らし合わせてみるとどうかと思います。ただ、中にはシンドリー独自のアレンジをして成功した品もあるので、一概に適していないとは言えませんが、少し精査する必用があるのではないでしょうか」
「なるほどな。んじゃ、ナノは?」
今度はカルヴァドスが尋ねた。
「私もありますよー」
同じく立ちっぱなしのナノは元気よく、張り切って出番を待っていた様子だ。
「シンドリーについては知らないけど、ヨシュア君と同じく、配置がよくないと思います。この時期の広場って、大通よりこっちの古い街道から入ってくる人が多いから、ここを塞いだら損ですよ。それに、シンドリーからの運搬を考えてあげないと、慣れてない分、もたつくかも。あと、物産展の備品としてこっちで用意できる物とかも、先に教えてあげとく方がお互いに経費削減になっていいんじゃないかと思います」
あっけらかんと言ってのけた的確な指摘に、ヨシュアはちょっと見直していた。
ただの、風変わりな子どもお姉さんというわけではないらしい。
レスターに憧れているというのは伊達ではないようだ。
「二人の意見は取り入れるべきだな」
クロウの賛同を得て、会議は一段落ついた気配だった。
「この会議、交渉役は参加してないんだったな」
クロウの質問に、生真面目そうな青年が出展者探しを兼ねて数人が挨拶回りにシンドリーまで出向いていると答えた。
「どうする、ラク」
「まずは、全体で認識を共有し直す必要があるな。出てる奴らに連絡を入れて、すぐに帰って来させろ。全員が揃い次第会議を開く。それまでに、今日の意見を取り入れた企画を具体的な形にしてくれ」
ラク・カルヴァドスの号令に、場の空気が引き締まる。
「じゃあ、今日は解散だ。コトリ。新人は、お前に任せたからな」
「わかってる。但し、その前に色々と話がある」
「だろうな。んじゃ、坊っちゃんは、ナノに会場を案内してもらっといてくれ。ナノ、頼んだぞ」
「はいな」
というわけで、ヨシュアはナノと会議室を退出することになった。
シンドリー物産展の会場は、初夏に闘技会を催していた広場だったので多少の見当ならついたが、地元民の案内は馬鹿にできないので、ヨシュアは素直について歩いた。
「ヨシュア君って、いかにも、お坊っちゃまって雰囲気だよね」
などと親しげにナノに話しかけられても、ヨシュアには苦手な人種だという認定を確かにするだけだ。
もちろん、傍目には、おくびにも出さない如才のなさを発揮させている。
「すっごく姿勢が綺麗だし、人から見られてる前提の動きなんだもん。さすがはレスターさんの推薦を受けるだけあって、こう、全身から優秀なオーラが出てるって感じ」
ヨシュアのうんざり加減に気付かずに、ナノは気ままに話を続けてくれるものだから、嬉しくもない感想と相まって中々の気分だった。
「あの、先ほども言いましたが、ただ下働きに来ただけなので、そういう扱いはちょっと……」
ナノなりの新人への気遣いなのかも知れないが、年下相手に敬語を使っている気持ちのヨシュアは甚だ迷惑でしかない。
「そおかな。気になってたから、ちょこっと噂を拾ってみたけど、会議での意見といい、只者じゃないって匂いがぷんぷんするよ」
鼻をすんすんさせて興味深げに覗き込まれ、ヨシュアは謙遜している風な装いの笑顔を浮かべて返しておいた。
「えっ、なんでヨシュアがここにいるんだ??」
子どもの顔をして大人な探りを入れてくるナノ相手にヨシュアが繊細な調整で爽やかな表情を維持していると、どこからか、すっとんきょうな調子で名前を呼ばれた。
出所を見つけると、ヨシュアは瞬きをして驚き返した。
「そっちこそ、なんでオアシスにいるんだよ」
ヨシュアの視線の先には、幼馴染みであるベルナルト・アベルとオズウェル・エルマが並んで揃っていた。
「今度、ここでシンドリーの物産展があるから、試供品を届けに来たんだ」
まだ驚いている様子のまま、アベルは抱えている荷物を見せてくる。
「屋台だろうと、うちは国外に出せないはずだろ」
「もちろん、そうだけど、加盟してる商会連が協賛して動いてるから、手伝いに駆り出されてるんだ」
「ちょうど学校の連休とぶつかったから、遠慮なく使われてるよ」
笑いながら答えたのはエルマで、ヨシュアは、ちょっと目を見張った。
一ヶ月ほど前にドレス姿のエルマと踊った時に比べれば髪が短く戻っているのに、綺麗な顔立ちの少年というよりも男装をした女の子にしか見えなくなっていたからだ。
「どうかした?」
微妙な反応に気付いたエルマに、ヨシュアはなんでもないとしか返せなかった。
「ヨシュアこそ、どうしてオアシスにいるんだよ」
微妙な空気に触れないアベルの質問に、その物産展をオアシス側で手伝うことになったのだと素直に教えれば、へえ、ほお、と揃って感心されるが、幼馴染み二人の視線はヨシュアを素通りして後ろに向けられていた。
ヨシュアもそちらに注意を向けると、その人は何も言っていないのに勝手に自己紹介を始めてくれる。
「はじめまして。一緒に働く仲間になった生粋のオアシスっ子のグラハム・ナノです。もしかして、そっちの女の子って、背の高い方の謎の美少女?」
なんだそれは、と思うヨシュアに対し、問われたエルマや横に並んでいるアベルは、どうしてそれを……という顔つきになっていた。
「あの噂は本当だったんだ。私には全然反応がなかったってことは、ロリ系には興味ないわけね」
ふむふむと意味不明なことを言われたヨシュアは、幼馴染みに対して久方ぶりに完璧な外面を向けた。
「どういうことかな、アベル君」
狙いを定められたアベルは、頬を掻いてどうしたものかと視線を宙に漂わせて逃げ道を探している。
「こうなったら、全部、話しておいた方がいいと思うけど」
渦中にいるエルマの提案で、ナノに断りを入れてから三人で雑談を装った密談が始められた。
「あのさ、ヨシュアの女嫌いって、貴族の一部と裏社会の一部と学校の一部の女子にしか知られてなかっただろ」
こんな切り出しで語り始めたアベルに、ヨシュアは、とりあえず社交的仮面を被ったままで黙って頷いておく。
「中には、女に弱い性格だって勘違いをしてる人もいるくらいでさ」
これにも、ヨシュアは頷いて済ませた。
「だから、この間の誕生会に結構な人が集まったおかげで、ちょっとした誤解が広まったらしくてさ」
「ちょっとした、誤解?」
「そ。ほんの、些細な行き違いなんだけどな」
ご機嫌窺いでへらっと笑うアベルに、まずありえない、相当な誤解なのだろうと見当をつけたが、一応は最後まで聞いてみることにする。
「それがさ、あの会場広間にヨシュアが最初に登場した時、謎の美少女を連れて現れただろう。あれで、ミカル兄の時にも出席した参加者が、ヨシュアの婚約者じゃないのかって思ったみたいなんだ」
「ああ、それなら想定済み」
ヨシュアは、あくまで留学先の友人だと紹介した。
もちろん、客人らが勝手に思い込むのは計算の上で、噂になっている間は縁談避けになるだろうし、実際に形式的には婚約関係にあるのだから、あれこれ憶測される分には構わないとしてティアラをエスコートしていたのだ。
ところが、それだけならよかったんだけどな、とアベルは続けた。
「ヨシュア、しばらく抜けた後にレイネを連れて戻っただろ。それでまた、別の憶測が飛ぶことになったんだよ」
「はあ? あいつは従妹なんだから、一緒にいたって問題ないだろ」
「なんだけどさ、社交界の中心にいるサマンサ様の深窓の愛娘だってことを忘れてるよ。ああいう華やかな場に出てくるのが久しぶりなんだから、注目されないわけがないし、すごく親しそうに見えた」
「あの時は全開の外面だっただけだ」
「そんな顔されなくたって俺達は把握してるけど、他の人には知るよしもないだろ」
こんな所でもレイネの自業自得という呪いの言葉が効いてくるようで嫌になる。
正しく、呪いの呪文だったに違いない。
「でも、まあ、ここで終わってれば、あんな誤解は広まらなかったのかもしれないけどな」
「まだあるのか?」
「思い出してみろよ。その後、お前が何をしたのか」
何を……と記憶を手繰って、心当たりのエルマに視線を差し向ければ、エルマはずいぶんと難しい顔をしていた。
「あれのきっかけを作ったのはアベルだったよな」
ヨシュアが矛先を定めると、アベルは惚けた面で、あさってな方向を見て凌ごうとしている。
「で、どういう誤解が広まってるんだって?」
ヨシュアはあえて責任を追求しないで、状況の結論を先に聞いた。
「えーと、スメラギ家の次男坊は極度な面食いの女好きになって帰ってきた……みたいな」
「はあ!?」
どこをどう間違ったら、そんな、とんでも誤解が生じるのだろう。
あまりにも事実に反した噂に、ヨシュアは録に感想が浮かんでこなかった。
但し、教えてくれた幼馴染みになら、言いたいことがいくらかあった。
「なあ、アベル。俺がシンドリーで商会やスメラギについての噂や騒動があったら知らせて欲しいって頼んだの、忘れたわけじゃないよな」
故郷を離れたところで、いつ何時、どういった形で何に巻き込まれるかわからないと経験したヨシュアは、幅広く情報を収集しておこうと手を打っていた。
なのに、肝心の信頼する協力者に裏切られていたのだから、無意味な手配だった。
「あー、いや、ほら。それは、しばらく帰って来る予定がないから、知らない方が幸せかなぁと思って」
「余計なお世話だ。むしろ、知らされないショックの方がでかい」
「だよなぁ、悪い」
怒ってみたものの、エルマも当事者であり、言い辛かったのは理解できる。
「それで、エルマに実害はないのか」
「えーと……まあ、特には」
歯切れの悪いエルマに代わって、「あると言えばあるし、ないと言えばない」と答えたのはアベルだった。
「迷惑かけてるなら、はっきり言ってくれよ。できる範囲でだけど、なんとかするから」
「大したことなんてないよ。些細な噂を気にかけてられるほど僕は暇じゃないし、ヨシュアだって忙しいんだろ」
エルマは気遣い屋らしく、上手に否定してくれた。
「だな。気にしてみたって、ヨシュアに、どうこうできる部類の問題でもないんだから」
一方で、常に率直な物言いをしてくれるアベルが、微妙に気になる言い回しをしてくれる。
「なんなんだよ。何かあるなら、もったいぶらないで、はっきり言ったらどうだ」
「じゃあ、遠慮なく。あれからエルマが、もの凄くモテてるって話なだけだから」
余計なことをと顔をしかめるエルマを尻目に、アベルは思いがけない真相を暴露してくれた。
「男にか?」
「そういうこと」
大の女嫌いであり、ずっと男友達という感覚で接していたヨシュアでも、その状況は意外とあっさり納得できてしまった。
元々温和な性格であり、おもいっきり華やいだ格好をした後だからか、男装に戻した今でも不思議な柔らかさが滲み出ていて、声をかけたくなる男が多いという状況が飲み込めなくもなかったのだ。
「エルマが迷惑してるなら、俺がなんとかしてみようか?」
「何言ってんだよ。シンドリーにいないくせに、どうやって追い払おうってんだ」
いつもなら全力で回避しているだろう問題に、自ら首を突っ込もうとしているヨシュアの発言に、アベルは呆れ果てていた。
「いないからこそ、使える技があるだろ」
「どんな」
「俺と付き合ってることにする、とか」
「「はあ!?」」
これには、友人歴の長いアベルとエルマも揃って身を乗り出すほど仰天した。
「ヨシュア、自分の言ってる意味わかってる?」
エルマは信じられないように目を丸くして聞き返した。
「当然だろ。噂には噂で相殺しようって作戦だよ」
「ティアラはどうするんだ」
「ちゃんと俺から説明しとくから、心配ないだろ」
ヨシュアがけろりとしすぎて、エルマの方が頭が痛くなってくる。
「怒るに決まってるだろ」
「なんで」
「なんでって、ティアラは婚約者だぞ」
「形式上、そういう関係だってだけだろ。隠したりしないで正直に話せば、機嫌悪くしたりしないって」
心から本気で思い込んでいるらしいヨシュアは、実に純真な気持ちを口にしていた。
「アベル、どう思う」
「うーん。少しずつ改善してると見せかけといて、ウェイデルンセンで、より一層複雑に拗らせてきたみたいだな」
幼馴染み二人は、これ以上は何を言っても通じないだろうと話し合いの断念を確認し合った。
「なんだよ、ティアラとは友好的に向き合ってるんだからな。それに、仮の噂でも、エルマとだったら嫌じゃないから提案してるんだ」
「何、それ」
「だから、エルマとだったら実際に付き合ってても不自然じゃないし、それで面倒事が減らせるなら断然いいだろ」
エルマは静かに目を閉じた。
「ヨシュア、本気で言ってるわけ」
「もちろん」
小気味よく返事をした途端、拳を握りしめて目を見開いたエルマが見たことのない表情をしていた。
「僕とヨシュアが付き合うなんて、もの凄く不自然極まりない!!」
「なっ、そんな、力一杯断言することないだろ。そりゃ、エルマ達には散々それで迷惑かけたけど、でも、だからこそエルマとだったら、世間的には、いい関係に見えるってもんじゃないのか」
エルマにきっぱりと否定されて、ついつい反論してしまうヨシュアだったが、それが、益々、エルマを怒らせた。
「僕とヨシュアが男女として親しい間柄になるだなんて、世界が滅亡したって絶対にありえない!!」
ギラッと睨みつけたエルマは、怒りに任せて立ち去ろうとしていた。
「ちょっ、どこに行く気だ」
「仕事」
慌てて引き止めればドスの利いた声で言い返され、ヨシュアは本気でちょっちびびってしまった。
「あー……終わったらシンドリーにすぐ戻んないといけないから、後で手紙出すな」
アベルがそう言い置いて追いかけていくので、ヨシュアには託すように頷き返すしか手はなかった。