〈子羊と巫女姫〉 恋愛問答
* * *
「調子はどうだ」
「別に」
「なんだ。今日は、それだけか?」
海辺の景色に佇んでいるヨシュアに、長い袖の左右に互いの腕を突っ込んでいる二足歩行のカミが気楽に声をかけてくれていた。
「昨日、何もなかったから、今夜辺り来るような気がしてた」
「まったく、つまらん奴だな」
ヨシュアが無駄に反発してくるのを楽しみにしているカミは、眉を上げて物足りなさを感じていた。
「明日から、当分はオアシスなんだ。忙しい朝にちょっかい出されても困るから、言いたいことがあるなら、今の内に済ませてくれよ」
前回の帰省前みたいに、狼姿で至近距離に迫られるのだけはどうしても避けたいヨシュアだ。
それくらいなら、夢の中に無断侵入をされても、表情のわかりやすい人型を相手にする方がまだましだった。
「相変わらずのふてぶてしさだな。最近じゃあ、もふもふしてきた冬毛で可愛さが増したと評判なんだぞ」
ヨシュアは、そんな感想を抱くのはティアラくらいのものだと目を細めた。
「しかし、相変わらずに見えて、色々と不安はあるみたいだな」
怪訝な反応の夢の主に、カミは首を動かして空を示してやる。
ヨシュアがつられて見上げた空は、幾分、どんよりとしていた。
「誰のせいだと思ってるんだ」
「ほう? しばらくどちらの姿でも会ってなかった俺様が、何をしたという気だ」
「ティアラを放って置くなよ」
「……いきなり何の話だ?」
毎日根城で会っている時には少しも変わらないティアラなので、カミは心底心当たりがなかった。
「とぼけるなよ。色ボケしてんなって言ってんだ」
「おい、こら。誰が色ボケしてるだと」
「自分のことだろ。胸に手を当ててよおく考えてみろよ。今の姿なら簡単にできるだろ」
「お前な、喧嘩を売りたいなら向こうの姿で買ってやるぞ」
「嫌だね。それに、その感じじゃ、少しも自覚してないんだな。これだから恋愛が絡むとやっかいで面倒なんだ」
盛大にため息を吐き出したヨシュアは、顔を上げてカミに詰め寄っていく。
「レスターさんと復縁して舞い上がるのは仕方ないとしても、一応、ティアラが巫女なんだから、今まで以上に気を配ってやれよ」
「それを、ティアラが言ってたのか?」
「言うわけないだろ。でも、あいつの様子を見てたら誰でもわかる。妙に塞ぎ込んだり、イライラしてみたり、その辺に転がってる女の子みたいで、全然らしくないんだからな」
「あのティアラがか?」
「そうだ。原因なんて、カミ以外に考えられないだろう」
「びっくりだな」
なんて、のん気な感想に、あれだけ甘々に接しながら気が付かないカミの鈍感さの方がヨシュアには驚きだ。
「本当に気付いてなかったのか?」
「俺の前では、いつも通りだからな」
「だったら、猫を被ってるんだろ。わがままを言って困らせれば、もっと構ってもらえなくなるって。少しは察してやれよ」
ヨシュアの言い分は筋が通っているものの、カミは、そうじゃない原因を見抜いていた。
「お前こそ、ティアラを放っておくなよ」
「はあ? 俺は、明日からオアシスだって言っただろう」
「だからこそだ」
「あのな、レスターさんに夢中になるのはいいけど、自分の尻拭いを人任せにするなよ」
「だが、ティアラの婚約者は、お前だろう」
「……」
それは確かに、間違いなかった。
「まったく、こんなに危うくて頼りない奴を頼みの綱にしなきゃならんとはな」
カミはしみじみとため息をつき、今度はヨシュアの方が困惑させられてしまう。
「俺は自分のことで精一杯なんだから、何かを期待されても無理だからな」
こんな言い訳を返すのが精々なくらいだ。
「わかっている。おそらく、ティアラも、お前に多大な期待を寄せているつもりはないんだろう。それでも、無自覚に意識するのは、止められるものではないからな」
「……なんの話だ?」
すっかり主導権が逆転してしまったヨシュアの夢の世界は、微妙に灰色の雲の厚さが増している。
「いいや、なんでもない。これからは気を付けるようにしよう」
ほんの一瞬、哀れんだように見えたカミは、混乱したヨシュアを置いて当初の流れに戻って話を終わらせてしまった。
「他に、言うことはないのか?」
あっさりすぎる反応に疑惑を感じたヨシュアが上目使いで見てくるも、誰のせいでもないと承知しているカミには言えることなど何もない。
「なんなんだよ。はっきり言えばいいだろ、気持ち悪い」
生意気な口調とは裏腹に、明らかにどんよりと暗くなった空模様に、カミは一つだけ言葉をかけてやることにした。
「お前が気に病む必要はない」
突き放すでも、からかうでもなく、静かにかけられた言葉に、ヨシュアはかえって混乱させられてしまった。
「ふっ。邪魔して悪かったな。今夜はもう何も考えずに眠れ」
苦笑したカミが腕を振ったと思ったら、次の瞬間にはヨシュアは意識を失っていた。