〈子羊と巫女姫〉 訓練×訓練
* * *
そんなやり取りがあったので、兄に言われたまま全てを受け入れるのは癪に思いながらも、気にしいな性格のヨシュアは少しだけ周囲を気にするようになっていた。
ミカル兄に言われたからじゃないけど、という言い訳を心の中でなんども唱えながら。
「準備はもう終わったの?」
すっかり井戸端会議の時間になってしまっていたヨシュアとシモンに、いつの間にか戻ってきたリラが声をかけてきた。
「あー、まあ、そんなところです」
「なら、早速、楽しい楽しい本番といきましょうか」
悪そうに口の端を上げるリラの後ろには、総勢十名の若手護衛官が見習いを含めてずらりと並んでいる。
「いつでもどうぞ」
特別構えたりもしないで了承したヨシュアに対し、護衛官の隊長らしき青年が頷き返したのを合図に、全員が構えの姿勢を作り始めた。
しかし、圧倒的に不利なヨシュアは相手の体制が整うのを待っているつもりはなかった。
ふらりと倒れるように体を傾けて走り出すと、あっという間にカン、と勢いよく木刀を振り抜いて力任せの先手を取った。
標的にされたのはリラ軍団の中で一番若くて緊張している少年だ。
まともな姿勢で受けられなかった少年がこてんと尻餅をつく姿を尻目に、ヨシュアは間髪入れずに次の相手を目指して踏み込んでいく。
立ち止まれば囲まれるだけなのは学習済みなので、下手に緩めるつもりなどない。
「うわー、音が痛そう」
見学しているシモンが誰よりも痛そうに顔をしかめていた。
大人数が相手になると、二人で打ち合っていた時のような小気味いい乾いた響きよりも、泥臭く鈍い音が多く聞こえてくる。
「多数が相手の場合、律儀に刀だけで戦ってたら偉い目に遭うからね。手慣れてきた証拠でしょ」
監督をしているリラは、シモンと違って腕を組んで平然と眺めている。
実際、リラの言う通りで、三人・五人と人数を増やしてきたヨシュアは、この人数を相手によくやっていると言える対応をしていた。
全身を余す所なく使い、相手が落とした武器や倒した相手をも利用して善戦している。
しかし、その分だけ体力の消耗は激しかった。
「そろそろかな」
リラが呟いた先では、ヨシュアの足が鈍り、じりじりと囲まれ始めていた。
後はもう乱闘になるしかないという一歩手前で、リラは「やめ!」と合図を送った。
途端に、その場で倒れ込んだヨシュアに、シモンが心配そうに近寄っていく。
「大丈夫?」
「なんとかね。焦りと疲れが出てきたら視界が狭くなって駄目だな。目の前しか見えなくて、わけわかんなくて頭真っ白になる」
「でも、いい生徒には、なってきたんじゃない?」
土の上に大の字で寝転がっているヨシュアに、リラが笑いながら軽く湿らせたタオルをおでこに乗せてやった。
「私の忠告、ちゃんと実践できるようになったんだから」
「今日に限ってなら、本当に体力の限界なだけですけどね」
ヨシュアの言い分を証明するように、胸で荒い呼吸を繰り返している。
それでも、確実によくなったというのがリラの見解だ。
リラがヨシュアの訓練に付き合い出した当初は、手合わせ前はもちろんのことながら、終わってから部屋に戻るその瞬間まで、きりっと背筋を伸ばしていた。
まるで、常に全身で警戒をして、中々捕まえられないリスみたいな気の抜けない印象だった。
もちろん、実戦においては正しい姿勢だが、実力や限界を計る訓練では意味がない。
それは性格の芯となる問題のようで、いくら口で言っても、おいそれと変えられるものではないらしかった。
ところが、もう殆ど忠告を諦めた最近になって、訓練相手にシモンが抜擢された頃から、ヨシュアは自然と緩急を身につけてしまっていたのだ。
不思議な変わりように、どんな手段を使ったのかシモンに問い質してみるも、特に助言した覚えはないと返されるだけだった。
未だに刺々しい態度を取られる身として悔しい気持ちがないわけでもないが、一時は同期として並んで訓練していた経験もあるリラは、理由もなく楽にさせるシモンの人柄に納得する部分もあった。
「さてと、ヨシュアが回復したら、次は少数対多数の模擬をしよう。そうだね、三対二十四ってとこかな。だから、シモン。逃げたりしないように」
嫌な予感に、こっそり後ろ足で視界に入らないよう距離を取っていたシモンはぎくりと動きを止めた。
「さすがは、精鋭の護衛官だね」
胡麻をすって誤魔化したシモンに、リラは余計な世辞はいらないと細めた目で無言の圧力をかけた。
ところが、まとめ役を務めていた部下からも物言いを入れられてしまった。
「何? 私がそっちに入ったら訓練にならないでしょ」
「いえ。そうではなくて、数が問題なんです」
このくらいの人数差だと、流れによっては早々に混戦になる可能性も高いので、最初の数手はリラでもある程度の本気を出さざるを得ない。
しかし、ヨシュアとの対戦でも目を回している新人を入れてそれでは酷だと言うのだ。
「ですから、もっと人数を減らすか、見習いは控えさせてください」
「うーん、見習いを外したら元も子もないわね。仕方ない、十五に減らそう。その代わり、全員見習いで構成すること」
成り行きをハラハラと見守っていた見習い訓練生達は、ざわりと浮き足立った。
「お姉さん達がたっぷりと鍛えてあげるから、思いっきりかかってらっしゃい」
まだあどけなさの残る少年達全員の腰が引けて見えたのは気のせいだろうか。
そんなわけで、巻き込まれのシモンを含めて、なんだかんだと空の色が変わるまで訓練に精を出していた。