〈王の審判〉 いざ、偽りの出陣
* * *
リチャルドとの面会当日。
当然、ヨシュアの気分は最悪だった。
一睡もできそうになかったので、朝焼け前からむくみ防止のマッサージをして時間をつぶしながら万全に近付けるよう状態を整えていた。
なので、シモンが恐る恐る部屋にやって来た時には、昨夜の錯乱は夢幻だったのではないかと思ってしまうくらいヨシュアは平然としていた。
「おはよう、シモン。例の貴族様は昼頃に来るのだろう」
「そうです」
「なら、ぎりぎりまで一人にしてもらえないかな」
「わかりました……って、言ってあげたいとこなんだけど、その前に会ってもらいたい人がいるんだ。いいかな」
どうせファウストか、代理でヘルマン辺りが謝罪してくるのだろうとあっさり承諾した。
そして、シモンではなくヘルマンに案内されてきた部屋には、びっくりどっきりのティアラが待ち構えていた。
ヨシュアは身を硬くした。
それでも、根性で社交的な顔を作る。
これから隣に並んで、仲睦まじい婚約者を演じなければならないのだから、こんなところで挫けているわけにはいかなかった。
「どうぞお座りください」
ティアラは自分から一番遠い席を勧めた。
広い部屋には、案内役のヘルマンと呼び出したティアラ、そして呼び出されたヨシュアだけだ。
「この度は、兄が本当に申し訳ありませんでした」
ヨシュアが席に着くなり、ティアラはいきなり謝った。
それはもう、テーブルにゴンと音が響く勢いで。
「……あなたに謝られる覚えはないのですが」
対して、ヨシュアは実に冷静だった。
「いえ、私のせいには違いないですから。兄……ファウストは、両親が亡くなってから過保護が度を越すようになりました。城の者は慣れたものですが、普段は冷静沈着な王なのに、私が絡むと迷惑極まりない言動になるのです。おかげで、私にはろくに友人がいません」
ここまでを、テーブルに額を擦り付けたままで話した。
状態も発言もツッコミどころ満載である。
ヨシュアは咳払いをして答えた。
「こちらは気にしていませんから。それに、あなたもわかってくれましたでしょう。ですから……」
妙な気遣いなどしなくていいので、共に仮面夫婦を貫きましょう。
そう、告げるつもりだった。
ところがだ。
「わかりました。でしたら、無理に夫婦になる必要はありません」
うんうんと、ここまでは頷けた。
「私とお友達になってください」
うん?
ヨシュアは首を捻った。
今、なんて言った?
「あなたが嫌がることはいたしません。安心してお付き合いください」
いやいやいや、違いますよ。
お付き合い自体が嫌なんですよ。
とは、さすがに率直すぎてお姫様に言えない。
そこで、助けを求めてヘルマンに無言で救援要請を送ってみる。
ヘルマンは昨夜の的確な対処のように即座に要求を理解した。
理解した上で、こう返答した。
「こういう方ですから、ご辛抱くださいませ」
今度は、ヨシュアの方が突っ伏した。
ああ、そうか。
ここは鳥かごなんかじゃない。
猛獣が暮らす檻の中だったのだと気が付いてしまったのだから。
* * *
「はあ」
ヨシュアは、朝よりぐったりとして部屋に戻ってきていた。
このまま油ギッシュを迎えるのなら、文句のつけどころがない婚約者を演じきる自信は、ぐらぐらと揺らぎまくっている。
休むにしても、これまでのティアラの言動がぐるぐる渦巻いているし、支度の時間を考えれば、ゆっくりもしていられない。
けれど、結果的には一眠りをして心も体も休める時間ができた。
なぜなら、お祝いに押しかけると宣言してきた迷惑貴族のリチャルドが 「ごっめーん、遅れて行くから夕飯を用意しといてね」 なんて、ふざけた連絡を寄越したからだ。
どこまでも勝手な男である。
おかげで休めたのだが、感謝したいとは少しも思わなかった。
仕切り直して夕方、ヨシュアは上質な肌触りのウェイデルンセン仕様の服に着せ替えられていた。
今は控えの間でファウストに呼ばれるのを待っている。
すでに迷惑なお貴族様の到着の知らせを受けていて、隣には同じく控えめに着飾ったティアラが待機している。
当然のようにベールを身につけて、人の形をした布の塊として静かに座っていた。
この国では、姫君は顔を見せられないしきたりでもあるのかと思いたくなるが、わざわざ尋ねてみるほどの興味はなかった。
雑談もなく、ただただ呼ばれるまでの時間を過ごしていると、間もなく迎えが現れた。
やってきたのはヘルマンで、微かに浮かない顔をしている。
「ティアラ様、お客様が増えました」
「誰ですか」
「オーヴェの神官です」
「サイラス様ですか」
「ええ」
ヨシュアはオーヴェに詳しくもないが、皇帝は絶対であり神だと崇められているのは知っていた。
神官ならば城勤めの上役だ。
それがどうして、はた迷惑なお貴族様と一緒にいるのだろう。
神官とは名ばかりで、金でも積んで職を得た、同種の人間なのかもしれないと憶測しておく。
「ヘルマン、心配しないでいいわ。婚約を確認すれば、どうする理由もないはずだから」
「そうかもしれませんが、ティアラ様。くれぐれも、お気を付けくださいませ」
頷いて返事にするティアラを確認し、ヘルマンは頭を下げて後ろに立った。
「さあ、ヨシュア様。仲のよいところを見せつけて差し上げましょう」
ティアラは明るく呼びかけた。
「そうですね」
対するヨシュアは、そっけなく返事をしてから、外面の愛想を強化した。
「では、参りましょう。ティアラ様」
次の瞬間には、笑顔を深めたヨシュアが差し出した手に、そっとティアラの白い手が乗せられる。
脂汗と震えを抑えて、いざ、仮面夫婦の出動である。
「おお、おお、お久しぶりですね、ティアラ様!」
応接間に入った途端、ヨシュアは吹き出しそうになった。
「それにしても、どうしてベールなんかを? せっかく、麗しいあなたを拝顔できると、それだけを楽しみに、こーんな山奥までやってきたというのに」
大げさな口調と自覚がなさそうな失言を織り交ぜて、小太りな中年男性が立ち上がった。
ヘルマンの物真似は確かに似ていた。
しかし、全身が紳士的でスマートなヘルマンに比べて、本物のリチャルドは生え際が前線離脱しかけの髪を撫でつけ、体全体で肥満をアピールしながら、こんがり焼けた肌は脂性なのかどこもかしこも艶々している。
見るからにこいつが油ギッシュ、素晴らしく的確なあだ名だった。
横に並ぶティアラは、お久しぶりですと、しずしず挨拶をしていた。
ティアラの外面はそういう質のようだ。
とても、夜中に突撃訪問してきた無作法侵入者には見えない。
「プリンタ殿、ご紹介いたしましょう。こちらが、ティアラの婚約者であるスメラギ・ヨシュアです」
ファウストの紹介に合わせて、ヨシュアは爽やかな笑みで応える。
「ヨシュア、こちらはオーヴェの貴族で、わが国と交易関係のあるプリンタ・リチャルド殿だ。そして、隣が同じオーヴェで神官をしておられるサイラス殿だ」
それを受けて、ヨシュアは見事に油ギッシュなリチャルドに笑いを堪えて目礼し、サイラスに視線を移した。
サイラスは文人のようにすらりとした優男だが、背が高く、癖のない長い髪が映えている。
むっくりしたリチャルドと並べば、尚更、優雅さが際立ってしまう、なんとも見ごたえのある組み合わせだ。
オーヴェの神官は独身を貫くと聞いて羨ましく思った覚えがあったが、この容姿なら勿体ないと嘆く人が少なからずいることだろう。
「失礼ですが、サイラス殿の家名は?」
「神官は神に仕える身なので、家名は神に返上しております」
「そうでしたか。勉強不足で失礼いたしました」
本気で興味を持ったわけでもないのに質問したのは、リチャルドを相手にすると吹き出しそうだったせいもあるが、突然入り込んできた情報のない人物を探るためでもあった。
「ところで、ベールは外してくださらないのですか。ティアラ様が、今更、私に遠慮する必要などないでしょうに」
主賓のリチャルドは挨拶もそこそこにコレだ。
そもそも、お前は婚約を祝いにきたのではないかと問いたい。
「プリンタ殿、申し訳ありません。これは、婚約者であるヨシュアが、他の男には見せたくないと言うものですから仕方なく」
苦笑の中にうっすらと嫌味な笑みを含ませるファウストは、とんでもない返答をしてくれた。
おかげで、顔を隠すのが風習でもしきたりでもなく、単にヨシュアに見せたくないだけなのだと判明した。
ついでにリチャルドにも見せたくないのだろうが、いきなり設定にない発言は嫌がらせ以外の何物でもない。
これで、油ギッシュの憎々しい感情は、王の思惑通りに全てヨシュアに向けられるわけだ。
「ほお、それはそれは。ずいぶん独占的で心の狭い男ですね。少しもティアラ様を信用していないようですな。今からそれでは、ティアラ様がご苦労するのでは? 私でしたら、そんな狭量でせこい真似はいたしませんのに」
ギラついたリチャルドが、ここぞとばかりに自分を推してきた。
さて、どう切り返そうかとヨシュアが思案していると、渦中のベール下から返答があった。
「リチャルド様、私は嬉しいのですよ。それほど大切に思ってくれているのなら、少しも苦にはなりません」
「それはいけません、いけませんぞ! 今はよくても、何年か経てば嫌になるに決まってます。やれ、アレをしろ、コレは駄目だと口煩いだけの存在になるんです!!」
そこだけやけに実感が込もった反論だった。
おそらく、苦い経験が自身にあるからだろう。
ヨシュアはリチャルドが一度結婚に失敗しているとの情報を事前に知らされていた。
だというのに、二度目は遥かに年下の少女に突撃するのだから、かなりの図太い男である。
「それも、夫婦の形なのではないですか? 私は、ヨシュア様と喧嘩をするのも楽しみにしているくらいなのです」
リチャルドの意見を全否定して、ティアラはベール越しに笑ってみせた。
本気で言っているようでヨシュアはぎょっとする。
真意はともかく、リチャルドは真っ赤になって悔しがっていた。
今更ですが、名前は「家名・個人名」と、日本語風になっています。
紛らわしいかもしれませんが、ヨシュア・スメラギだとしっくりこないので……。