〈女王の憂鬱〉 シモンの打ち明け話・前
* * *
昼間に遊び倒したヨシュアは、オアシスの片隅にある宿屋で心地よい疲労に身を委ねて眠りにつこうと着替えていた。
「シモン、どうかした?」
同室のシモンは、残っている仕事は何もないのに着替えもしないで椅子に座っている。
「遊園地でも気になってたんだけど、疲れてる?」
「大丈夫、疲れてはないよ」
ヨシュアが言葉通りに受け取るには、違和感が残る不自然な笑顔が返された。
「こんな時で悪いんだけど、聞いてほしい話があるんだ。いいかな」
それで、行きの時には教えてもらえなかった話をしてくれるのだと察しがついた。
どうしようかと迷ってから、ヨシュアは自分のベッドに留まった。
なんとなく、これくらいの距離がある方が話しやすい気がしたから。
ヨシュアの心遣いに応えるように、シモンは穏やかな調子で昔話を語り始めた。
* * *
「楽しかったわ。また、必ず来てちょうだいね」
「はい、喜んで」
無邪気な少年と呼ぶには大きく、しっかりした青年とするには幼すぎるシモンは、人懐っこい愛嬌を振りまいていた。
「では、来週にお直しした品をお届けに上がります。私共は、これにて失礼させていただきます」
一緒に来ている男が丁寧に頭を下げて、シモンは連れだって屋敷を退出した。
「調子に乗るのも、程々にしておけよ」
よく似ていると評判の連れの男、シモンの父親は、得意客の屋敷を出たところで難しい顔をして注意する。
しかし、息子は笑って口答えをした。
「俺は、お客様の要望に応えているだけだよ。来るなと言われたら控えるって」
それは事実だったので、父は困ったものだと口をつぐんだ。
シモンの父は高級注文服の仕立て屋、ワーズワースの店主であり、人気デザイナーを兼ねている。
妻も腕のよい仕立て人であり、シモンを含めた五人の子ども達も衣服に興味津々な職人一家だ。
長男のシモンは特に興味を持つのが早く、邪魔にしかならない幼い頃から父親にくっついて貴族や商家のお屋敷を訪ね回っていた。
大人しくしていると言った側からお喋りになるので父親は採寸をしながらハラハラしたものだったが、客商売に向いた天性の愛嬌で、たいていの屋敷で喜ばれていた。
そうして、十三歳になった今では、まだ雑用係でしかないシモンを指名してくる客がつくまでになっている。
「まったく、誰に似たんだか」
口でぼやくほど嘆いて見えない父親に、誰の背中を見て育ったと思ってるんだと、シモンは心の中で言い返しておいた。
「今日は、もう一件あるって言ってなかったっけ」
「ああ、一番のお得意様だ」
「じゃあ、俺がいないとだめなんじゃない?」
「そういうことだな」
商売道具を抱えた二人が乗り込んだ馬車は、ウェイデルンセン王国の最奥に位置する真白の城に向かった。
「シーモーンー!!」
豪華な客間に通されるなり、シモンは熱烈なタックルで歓迎された。
「私もぉー」
やや遅れて、小鳥のような見た目と声のもう一人が同じく突進してきた。
「はは、元気いっぱいだな。ファウスト、ティアラ」
「いつもすまないな」
困った顔で礼を述べたのは、この幼い兄妹の父親、ウェイデルンセン王国の現国王だ。
「さあさ、お菓子を用意しているから、みんなで食べましょう」
優しく微笑んで席を勧めてくれたのが王妃である。
ウェイデルンセンの王族は混乱を避けて集団生活となる学校で学ばないのが慣例だ。
それでも、幼い二人には遊び相手が必要だと案じた王は、后の幼馴染みであるワーズワースの夫妻を招いたのは五年も前の話だ。
今では家族ぐるみの付き合いで、遊びに来るついでに仕事の用件を済ませているようなものだった。
特に、家族の中でも面倒見のいいシモンは、すっかり王様の子ども達に懐かれて、時々一人で城を訪れては、王様一家の保養地に同行するほどまで慣れ親しんでいる。
「シモン、今日は何して遊ぶ?」
「遊ぶ?」
兄妹揃って、シモンに期待の眼差しを向けてくるのだから、なんとも微笑ましい。
「じゃあー……くすぐりっこ!」
答えながら、わき腹をくすぐってやれば、たちまちファウストとティアラの弾ける笑い声が広がった。
これだけ懐かれれば可愛くて仕方ない。
けれど、シモンの中には取引きのある大家の子どもだという一線がしっかりと引かれていた。
自分が店を継ぐ時に得意客になるであろう将来の顧客であって、王族だろうと、キラキラした目で慕われようと、芯の部分では接客の心構えが常に存在している。
だからこそ距離感を間違えることもなく、どちらの両親も安心して任せていられた。
これより三年後、シモンが専門学校の被服科で卒業制作に取り組み始めた頃、事故により国王が逝去したとの報せがウェイデルンセン王国を駆け抜けた。
シモンは深く悲しむ暇もなく、喪服の既製品販売やサイズのお直しに追われていた。
「落ち着いたら弔問に行こうな」
上着の拡張をしている父親がかけてきた言葉が胸に沁みた。
「あいつら、慰めてやらないとな」
泣いて泣いて、どうしようもなく悲しんでいるのだろうと思ったら、急に今すぐ駆けつけてやりたくなる。
けれど、シモンは他人であり、一般人であり、目の前の仕事で精一杯の半人前でしかないのだった。
国王の訃報から間もなく、ワーズワースの店主は城に呼ばれ、新王の戴冠式のための衣装の注文を受けた。
急務で、大きな仕事なので、ベテランばかりが数人で取りかかった。
一学生でしかないシモンは、二人に書いた手紙を託すくらいしかやりようがなかった。
「あーあ、俺が作ってやるつもりだったのにな」
数週間後、すっかり色の薄くなった空を見上げてシモンはぼやいていた。
前日行われたファウストの戴冠式は、歴代最年少として記録されたにも関わらず、すでに風格があると評判はいい。
ファウストの戴冠式の衣装は自分がデザインすると勝手に決めていたシモンは、あまりの悔しさに、一般公開の披露さえも意地を張って見に行かなかった。
その勢いで、大胆にも卒業制作に、戴冠式用として考えていたデザインを流用しようとまで企画していた。
「よし、これでいこう」
本格的な冬の気配が濃くなった頃にデザインが本決まりとなり、生地を見に行こうとシモンは裏路地を歩いていた。
そこで、輝くばかりの未来予想図が大きく変わることになる。
「!?」
不意に、シモンは何かの薬品を嗅がされて意識を失った。
そして、次に目覚めた時には、とある場所に拉致監禁されていた。
* * *
「ちょっと待った」
そこで、思わず、ヨシュアはシモンの話を遮った。
「拉致監禁って言った?」
「うん、言ったよ」
自分だって似たような経験を散々してきたくせに、他人の口から聞かされると、やけにどえらい事件に感じて仕方のないヨシュアだ。
「どれくらい監禁されてたんだ」
「そうだねぇ……かれこれ七年くらいかな」
「え?」
ぎょっとしているヨシュアに、シモンは笑顔で、今も続いている昔話を続けた。
* * *
目を覚ましたシモンは、すぐに自身が置かれた状況を把握した。
連れてこられた場所に見覚えがあるせいか、冷静で落ち着いている自分に感心する。
「さて、どんな言い訳を説明してくれるんだろうな」
こんな風に、監禁された当初は、のんきに肩肘をついて気楽に構えていた。
目を覚ましてしばらくすると、監禁部屋を訪ねてくる人があった。
ご丁寧にノックをしてくるので、どうぞと返してみれば、まったく見知らぬ老婦人が入ってきた。
「あなたのご主人様は何が望みなんです?」
シモンは、この婦人が誘拐犯の主格だとは考えていなかった。
「お立ちください」
答えはなく、代わりに立てと指示されただけだ。
「はいはい」
使いでは話にならないかと、シモンはため息混じりに立ち上がった。
「返事は一回、姿勢が悪い。もっと肩を張って胸を反らしなさい」
いきなりの教育的指導に目が丸くなる。
「できないのですか?」
シモンが困惑しているのは、できる・できないの問題ではなく、従う必要があるかどうかの問題だ。
それでも、負けず嫌いの性質と、無理やりつれてこられた怒りも入って、あっと言わせてみたくなった。
仕立ての受注で役人の屋敷にも出入りするため、礼儀作法は嫌というほど勉強している。
時には、かなりの恥を実際に経験して身につけてきたのだ。
そんな怒りに任せた負けん気で、シモンは誰の目にも完璧な立ち姿をどこの誰ともしれない婦人に見せつけてやった。
「よろしい。では、お辞儀をしてみなさい」
しかし、老婦人は感心するどころか次を要求してきた。
苛立ちを抑えて、どちらが先に音をあげるか我慢比べのつもりで黙々と指示に従う。
どの要求でも合格点を勝ち取ったシモンの予想外は、それらが夜まで長々と続いたことだ。
途中の食事でさえ、礼儀の審査をされていたような有り様だ。
「なんのつもりなんだか」
寝間着を用意されて部屋に鍵をかけられ、とうとう、今夜は帰してくれるつもりがないのだと判明した。
「みんな、心配してないといいけど。まあ、あいつらもキツい状態なんだろうし、少しくらいは付き合ってやるか」
なんて、これ程おかしな状況でもシモンはのんきだった。
そんな自分の見当違いを自覚したのは次の日になってのことだ。
朝になってやって来たのは昨日の老婦人ではなく、ローブを身にまとった学者風情の中年男だ。
男は見た目通り、学者としてウェイデルンセンの歴史や周辺国との国交関係について滔々と講義し、シモンは最初から最後まで一人きりの生徒として付き合わされた。
こんな調子で、なんの説明もなく外界から一切隔離された状況で強制的に学ばされる日々は、驚くことに一ヶ月も続いた。
教師であり、審査官でもある彼・彼女ら五人全員に合格点をもらってから、シモンはようやく首謀者に会う機会が訪れるのだった。
* * *
「ねえ、シモン」
話はこれからという場面で、ヨシュアは恐る恐る尋ねる。
「まさか、それが王様の側近になったきっかけとか、言わないよね?」
「ごめんね、その通りだって言っちゃうよ」
ある程度の重さは覚悟していたけれど、ヨシュアの想定なんか軽々と越えてくれる重量級な過去だ。
なのに、当のシモンがにこにこと話しているから違和感この上ない。
「連れてこられたのが、この城なのはすぐにわかったよ。よくファウストやティアラと遊んだ部屋だったから。二人が淋しくなって、強引に呼び出したのかと思い込んだのが甘かったんだよね」
「もしかしてだけど、その誘拐の首謀者って……レスターさん、とか言う?」
「うん、言う」
さすがに、これには、いつもの笑顔が付属されていなかった。
ヨシュアは当たってほしくなかった予想通りの返答に、静かに顔を歪めた。
レスターが父親と同じように恐ろしくて厳しい人なのだと認識してはいても、残酷さまで似ているとは捉えていなかった。
何より、シモンが受けた理不尽さに腹が立ってしょうがない。
「ヨシュア、ありがとう」
「何が?」
「今、俺のために怒ってくれてるでしょう」
シモンは本当に嬉しそうに笑いかけてきた。
「でもね、この話だけでレスター様を悪く思うのだけはしないであげてね」
「庇うの?」
「ちょっと違うかな。されたことは今でもおかしいと思ってるよ。ただね、あの時、逃げようと思えば逃げられたんだよね」
「じゃあ、どうして逃げなかったんだよ」
「んー……。首謀者が判明して、いきなり王の側近として仕えろって言われて、なんでか首謀者より王様に腹が立ったんだよね。王になったばかりのファウストに拝謁させられて、驚いてる反応ですぐに何も知らなかったんだってわかったんだけど、俺も若かったから大人げなくファウストに当たっちゃってさ」
現在、年下のファウストより若く見えるシモンが大人げなくと表現するのがおかしいだけでなく、いつも穏やかな性格なので誰かに当たるという姿がまったく想像つかなかった。
「与えられた仕事は意地で完璧を目指して努めていたけど、余計な雑談は一切しなかったし、基本無表情で通してたんだ。ファウストには悪かったなって思うよ」
無口で無表情なシモンというのも、本人に言われてもヨシュアには思い描くことができなかった。
「それで、真面目に働く振りをしながら抜け道を探していて、実際、抜け出す寸前までは実行したんだけどね」
「途中で考えて直したってこと?」
「バレて、完遂できなかったんだよ」
「嘘だ。シモンが本気を出して失敗するわけないだろ」
ちょっとした意地悪だったのに、力強い信頼を寄せられて、シモンは不覚にも笑ってしまった。
「うん、誰にも見つかっていない。今でもね。ただ、捕まっちゃったのは本当だよ」
シモンは運命を選んだ場面を思い返し、懐かしそうに目を閉じた。
50ページに到達です(*^▽^)/★*☆♪
公開セルフ応援で、めげずに気力を絞り出して更新してます(っ`・ω・´)っ