〈魔王の微笑み・貴公子の寵愛〉 お告げと先行き
* * *
幸せ気分のヨシュアが眠りにつくと、性懲りもなくカミが夢に現れた。
「ずいぶん楽しい時間を過ごしたようだな」
広がる海はどこまでも大きく、空は高くて雲一つない。
砂浜さえ延々と続き、途切れる果てが見えなかった。
現実の風景とはだいぶかけ離れているものの、思い入れのあるスメラギ家所有の海辺に間違いはない。
そして、こうまで雄大な景色の中では、多少の異物が交ざっていようと許せる気分だった。
「色々あったけど、最後にいい思い出が作れてよかったよ」
聞かせるともなしに、ヨシュアは遥か彼方を眺めながら言った。
「最後とは、どういう意味だ?」
「俺、実家が好きじゃないんだ。だから、家を出たくて渋々婚約の話を受けた。今日を機に、ようやく完全に家から離れる決意ができたよ」
「家を出たからと言って、縁が切れるものでもないぞ」
自分に言い聞かせるつもりの宣言に、なぜか無関係のカミから横槍が入った。
「これほど根付いた風景だ。しっかり縁が結びついているものを引き離しておけるものではない。どれだけ拒絶をしても、大事な時期には場所に呼ばれるぞ」
「……え、何?」
「要するに、離れたくても離れられない場所だということだ」
実に簡潔な説明だ。
しかも、神様からのお告げである。
「い、嫌だー!」
広大な海に叫んでみてもどうにもならないのに、ヨシュアは頑なに否定し続けていた。
* * *
十八歳の二日目、ヨシュアはまだ薄暗い時間に目を覚ました。
時計を見れば、まだ四時前だ。
もう一眠りしたくても、起こしてくれた人の気配は確実にこの部屋に近づいてくる。
先手を取ってこちらから扉を開けると、ノックしょうと腕を上げたミカルが立っていた。
「気配に敏感なのは、変わっていないようだな」
「こんな時間に、どんなご用件でしょうか」
「許せよ。こっちはまだ、お前の誕生日が終わってないんだ」
言われて見れば、ミカルは昨日のジャラジャラと飾りがついた上着を脱いだだけの格好だった。
ヨシュアは昨夜の後始末についての報告だろうと了承した。
「着替えるから先に行ってて」
「いや、一緒に行こう」
「は?」
なぜか、ミカルがヨシュアを押しやり部屋に入ってきた。
「なんのつもりだ」
「いいから着替えろ。話くらいできるだろう」
「……」
ヨシュアは、ものすごーく迷惑だと顔の筋肉だけで最大限に主張してから、背中を向けて着替え始めた。
「ヨシュアは一進一退の成長をしているみたいだな」
「昨日の話をするんじゃないのか」
背中を向けたまま、ヨシュアはぶすっと受け答えする。
「だから、しているだろう。新しい世界に目を向けた代償に、我が家のことは、すっかり忘れてしまったようだな」
まだるっこしいミカルの言い方に苛つきながらも、ヨシュアはどこか懐かしいやりとりだとも感じていた。
「お前は、父さんと俺の違いを覚えているか」
「はい?」
またまた狙いの見えない話題に眉をひそめつつも、頭の中では聞かれた通りに記憶を辿っていた。
どちらも優秀なのだが、父のロルフは尊大な威厳と圧迫感により厳つい印象で、兄のミカルは細身の筋肉質で舞台役者のような華やかさがある。
他にも色々違いがあるものの、ヨシュアにとっての大きな違いは別のところにあった。
どちらもヨシュアを暇潰しの如くからかって楽しむ傾向があるものの、ロルフは押しつける用件に拘りはなく、対するミカルは押しつけるためにわざわざ難易度の高い課題を事前に用意する。
そんなミカルは課題を出した後は黙って見守り、時には親切でないにしろヒントをくれるなど、曲がりなりにも公正な姿勢が見られる。
これがロルフの場合になると、ヨシュアが懸命に取り組む様を見て、順調にこなしている時は自ら事態をかき回し、より楽しい状況にしてくれるといった性格の悪さが顕著に出るのだ。
「だから、それが……」
なんだと言いかけて気が付いた。
「俺は、あの時、意見はないかとお前に聞いたな」
それは、ヨシュアがレナルトの屋敷に到着した日のことだ。
ミカルにいくつかの報告をされ、警備の不備を見つけたのを覚えている。
「あの時にお前が穴を指摘していれば、警備は隙のないものに変更する用意があったんだぞ」
自分の失態に、ヨシュアはくらりと目眩がした。
ここで凹むだけなら前と変わらないので、必死に反撃を試みる。
「デューク以外は正規の入場をしてたんだろ」
着替えを終えて、ヨシュアは兄に向き直った。
「それでも、デュークは入ってこられなかったはずだ。どちらにしろ、お前が指摘した時点で、怪しい動きがあると伝えるつもりだった。ならば、展開が違ったと思わないか」
確かに、知っていた上での待ち伏せなら、ヨシュア自身でデュークを捕らえられた可能性も高かったはずだ。
「だったら、最初から教えてくれたらよかっただろう。こっちにはティアラがいるんだ。巻き込む心配は考えなかったのか」
これだけは、昨日の内から絶対に訴えようと思っていた。
「それについては、父さんからウェイデルンセンに説明すると言っているし、俺も不注意だったとしか言いようがない」
とんでもなく珍しいことに、ミカルが素直に非を認めていた。
「当てつけのようにお姫様を連れてきたのは苦笑するだけで済ませたが、まさか、お前が本気の息抜きで一緒に抜け出すほど進捗してるだなんて、万が一にも想定していなかったからな」
ある意味、父と兄に意外性を示したかった当初の目的は果たせたと言えるのかもしれない。
なのに、ダメージを受けたのはヨシュアだけだと感じるのは気のせいだろうか……。
「仕度ができたのなら行くぞ」
ミカルに促されて部屋を出る。
もう充分状況を確認した気がするのに、これでお仕舞いにする権利は、まだヨシュアにないのだ。
「ミカル、ずいぶん楽しい会話をしてきたようだな」
書斎のロルフは、不機嫌極まりないヨシュアを眺めてこう表現した。
「ええ、久しぶりに兄弟仲を満喫しました」
ミカルもミカルで、こんな調子だ。
こうなると、ヨシュアは怒るだけ損をするというものだった。
「早く用件を言ってください」
後は、いかに短時間で済ませるかという問題でしかない。
「せっかちな奴だな。まあいい、私もいい加減、休みたいからな」
そう言うロルフも、昨日と同じ煌びやかな衣装のままでいる。
「残念な知らせだが、どうにもデュークは早々に放免することになりそうだ」
「はあ!?」
ヨシュアは耳を疑った。
ヨシュアだけを狙っていたなら、そんな処分でも納得はしないが諦めはつく。
でも、今回はティアラとレイネを巻き込んでいる。
セレスティアやサマンサだって報告を待っているのに、この処遇はありえなかった。
「もしかして、ボケてんの?」
本気で心配になるくらい信じられない報告だった。
「そう見えるのなら、一緒に病院に行くか?」
「本当に行く必要があるなら別々に行くよ。それより、どういうことなんだ。俺がいない間に、スメラギの力が衰えたんじゃないのか」
「だったらよかったんだがな。ミカル、お前の仕切りだ。説明してやれ」
ロルフの指示に、ヨシュアはじれったい気持ちで兄の解説を待った。
「今回の捕縛者は全員身元を洗い出し、当人や雇っていた主人達に一喝してお帰りいただいた」
全員がヨシュアに対して前科があったとしても、一晩の内に適切なケリをつけたとなれば、さすがと評するしかない。
となると、益々デュークの扱いに疑問が深まるばかりだ。
「デュークは当面捕らえておき、後で仕置きを兼ねて、どこかで監視をつけながらこき使うつもりで考えていた」
ならば、文句なくスメラギらしい処分方法だ。
「だが、一度は見捨てられたはずの捕縛者、及び関連の有力者達が、こぞって奇妙な庇い立てをする。中には、後の面倒は見る当てがあるから、共に釈放してやってくれと頼み込んでくる者までいた」
「デュークって貴族の家柄でも、国立学校の出身ってわけでもなかったよな」
貴族なら横のつながりが、ヨシュアが在学している国立出なら上下の関係で、どこかの大物に辿り着く可能性もありえる。
けれど、ミカルはどちらも否定した。
「じゃあ、どうして」
ここでミカルは父親に主導権を戻した。
「あれだけしでかした上での今回の騒動だ。当然、このまま手放しで許すつもりはないが、抱え続けているのも難しい。これ以上、我が家に侵入させるつもりはないからな」
「つまり、泳がせるってこと?」
ロルフは、はっきり答えずに目を細めて笑った。
これほど楽しそうな様子は久しぶりだ。
デュークは喧嘩をふっかける相手をとんでもなく見誤っているに違いない。
「ところで、ヨシュア。オーヴェに知り合いはいないか」
「なんで、いきなりオーヴェ? どこに話が飛んでるんだよ」
「飛んだわけではない。まだ、釣ってみないことには断定できないが、庇い立てする連中の背後にオーヴェ国がちらついている。ティアラ姫に迷惑な求婚をしていたのがオーヴェの貴族だっただろう。心当たりがないか確認しておきたかっただけだ」
「……」
ぱっとヨシュアの頭に浮かんだのは、ずんぐりむっくりな体型の油ギッシュなお貴族様と不気味な気配の神官サイラスだ。
そして、不覚にも自業自得と断言したレイネの言葉が呪いのように渦巻き出していた。
「いやいやいや、全然ないけど」
とりあえず、すっとぼけてみる。
「そうか。しっかりと心当たりがあるんだな」
もちろん、ロルフに通じるわけがなかった。
「手を貸してやろうか?」
「結構です!」
「ふ。お前がそこまで言うのなら、深く追求するのはやめておこう」
ロルフは心にもない返事をした。
サマンサに責任を持つと宣言したからには放り出せるはずもなく、シンドリーで向かうところ敵なしのスメラギ家当主に挑戦してきた者は久々なのだ。
こんな面白い状況を、悪魔よりも意地の悪いロルフが見過ごすなどありえなかった。
それを、ヨシュアも承知しているとの前提で、挑発しながら、からかいと力試しを仕掛けたのだ。
これが、ロルフという人間だった。
「話が以上なら、これで失礼させていただきます」
そそくさと引き上げの挨拶をするヨシュアは、これから休むだろう父と兄が起きる前に家を出ようと決心していた。
これ以上、ひっかき回されるのは御免だから。
「これでまた、しばらく会えなくなるな」
ヨシュアが出ていく直前に、父親ぶった発言を投げかけられた。
無視が一番と理解していても、どうしても苛立って言い返したくなってしまう。
「しばらくじゃなくて、二度とない。少なくとも今後、この家に帰ってくるつもりはないからな」
「いいや、半年もしない内に帰ってくるだろう」
「卒業試験のことを言ってるなら、レナルト叔父さんに世話になるから、こっちには近寄らない。今回だって、誕生会がなかったら帰るつもりはなかった」
「ならば、やはり我が家に帰ってくるべきだな」
「……何を企んでるんだ」
微妙にずれた会話に、疑いの眼差しを送る。
「企むなんて人聞きの悪い。それに、次回も私ではなくミカルの仕切りだ」
「ミカル兄?」
顔を向ければ、ミカルがにこりと微笑んだ。
「半年後に挙式を予定している。二人きりの兄弟なんだ、祝福してくれるだろう」
一見優しげな父と兄を交互に眺め、ヨシュアは大いに目眩がした。
今度は、夢の中でのカミのお告げがぐるぐる回っている。
離れたくても離れられない場所、本当にそんな気がしてぞっと身震いした。
こうして、レイネの呪いとカミの神託により、ヨシュアはお先真っ暗な十八歳に踏み出したのだった。