〈魔王の微笑み・貴公子の寵愛〉 決着と告白
* * *
ロルフがやってきた時点で、ティアラの周囲には三人のスメラギ家の警備員が加わった。
間もなく騒動の収まりにめどがついたと判断したリラは、回廊に立っているサマンサの所に移動しようと提案した。
優先すべきはティアラの安全だからだ。
素直に従うティアラも自分の立ち位置は理解しているはずなのだが、途中でいきなり、リラとシモンを振り切って飛び出してしまった。
* * *
ミカルに肩を叩かれたのと同時に、ヨシュアには二人の警備員がついた。
こうなってくると、どうして自分はこんな渦中にいるのだろうかと危機感が緩み、かったるさが前面に出てくる。
この状況を丸投げして、今すぐ部屋に引きこもりたいと埒もなく考えてしまうくらいだ。
そうして、逃避先となる屋敷に意識を向けた瞬間、回廊の屋根の上に怪しい人影があるのに気付いた。
真下にはレイネが立っている。
策を考える間も、陰湿なデュークへの恨み事を吐き出す余裕もなくヨシュアは駆け出していた。
「レイネ!!」
叫んで注意を促せば、飛び降りてきた男がヨシュアを認識する。
それと同時に、どこからかティアラが駆けつけたのも視界に引っかかったが、文句をつけてる暇はない。
ヨシュアは重力が最大限にかかった最初の一撃をあえて受けて方向をずらし、痺れる腕でレイネとティアラを庇う位置に構えた。
ところが、再び臨戦態勢に入ったというのに、相手方は奇襲失敗となったら即時に撤退を選んで、すたこらさっさと逃亡していた。
「あ、こら! 逃げんな!!」
ぶつけどころのなくなった闘志をもてあまして叫んでみるも、すでに何人かの警備員が追いかけていたのでヨシュアは見送るしかなかった。
その頃には、ほとんどの者が捕らえられ、騒動は完全に鎮圧されていた。
大きく息を吐き出したヨシュアは、むなしい気持ちで庭から回廊に向き直る。
そして、先ほどの捕り物どころではない憂鬱さを感じていた。
ここにいる誰に対しても言いたいことがありすぎる。
誰から文句、または問いかけをするべきかと悩んでいると、大広間から遅れてやってきた人物によって先手を取られてしまった。
「ロルフさん!」
「なんだい、セレスティア」
やってきたのはロルフの妻であり、ヨシュアの母、その人だった。
「今回は、絶対に何も起こらないとおっしゃっていましたよね」
「ああ、言ったな」
「では、この有様はなんですか」
庭園には武装した警備員が集結し、捕縛された者達がごろごろ転がっている。
「私のせいではない」
「あら、ロルフ。それは、どんなご冗談かしら」
ここでレナルトの妻であるサマンサが参戦した。
「あなたが大きな顔でここにいる以上、無関係だなんておっしゃる道理がありませんわよね」
サマンサは社交界でも指折りの優雅な微笑みで完全否定した。
「全く弁明がないわけでもないが、ここでは控えておこう。サマンサ、君にはミカルから後で説明をさせる。セレスティア、お前には、今夜にでも私から話そう」
しかし、ロルフはどちらからもいい顔をしてもらえなかった。
「とりあえず、この場ではわかりましたと答えておきましょう。後の始末は、しっかりと責任を持って引き受けるのでしょうね」
サマンサの鋭い笑みに、ロルフは平気な顔でもちろんと返した。
「でしたら、私は引きましょう」
「ありがとう、サマンサ。セレスティアもそれでいいな」
セレスティアはロルフの問いかけに応えず、息子のヨシュアを見つめていた。
目を合わせたヨシュアは、瞬くくらいの反応しかできなかった。
それでも、セレスティアは安堵した微笑みを残して、ロルフに厳しい顔つきで向き直った。
「ええ、結構です。後でしっかりと説明してもらいますから。では、お客様を放ってはおけませんので、私は先に戻っています」
「ああ、私もミカルが戻り次第向かおう」
流れを作っていたセレスティアが去ると、回廊には妙な沈黙が漂った。
全員の注目は、不思議とヨシュアに集中した。
「……」
心が決まらないうちに誰かと目を合わせるのが嫌で、視線を宙に漂わせてどうしようかと必死に頭を悩ませる。
「ティアラ」
と、とっさに呼んだのは、一番近くにいたのと、この中では比較的話しかけやすいと思えたからだ。
家族や親戚だけでなく、信頼できる友人達よりも先に、どんな関係なのかを他人には説明し難い女の子を気安く感じる奇妙さを味わいながらも、ヨシュアは他に目を向けられなかった。
「巻き込んだのは悪かったけど、なんで危ない真似をした。怪我でもしたらどうするつもりだ」
なるべく怒って見えるように言ったのは、ティアラに何かあった場合、ファウストやカミやレスターに上手な言い訳ができる自信などないからだ。
「だって、レイネに何かあったらヨシュアは悲しむでしょう」
「え? ああ、まあ……」
確かに、痛い目に遭えと真剣に念を送ったことは数多あっても、実際に血を流して苦しめと願ったことはさすがにない。
「レイネは、ヨシュアのいいところを沢山教えてくれたの。すごく親切にしてくれた。だから、自然に体が動いちゃったの。ごめんなさい」
想定外の言い分に、ヨシュアは叱る気が削がれてしまった。
レイネに目を向けると、顔をそむけて回廊を戻っていくところだった。
「ヨシュア、追いかけなよ」
迷う背中を押したのは、黄金色の髪を揺らす乙女姿のエルマだ。
「本当にエルマなんだな」
「そう見えない?」
複雑そうに眉を下げ、エルマは着ているドレスを広げて自分の格好を検分する。
「ううん、見える。エルマにしか見えない」
だからこそ、ヨシュアは困っていた。
あんな場面でも思わず見とれてしまったのが、普段は女の子を赤らめさせて回る男前な親友のエルマだったのだ。
「色々言いたいことがあるんだろうけど、今はレイネを優先してあげて」
「そういうことだな」
後ろからアベルにどつかれて、とりあえず、その勢いを借りたことにしてレイネを追いかけてみるヨシュアだった。
* * *
ヨシュアが追いかける通路は大広間に向かうには遠回りになるので、他より少し薄暗い。
「おい、帰るつもりなのか」
たっぷりしたスカートを身にまとっているので、目的の萌黄色の背中には簡単に追いつけた。
「ええ、帰るわ」
ヨシュアにしてはかなり頑張って呼びかけたのだが、レイネは立ち止まっただけで振り向きもしない。
だからと言って、このまま帰られたのでは、さすがに寝覚めが悪かった。
「レイネ、悪かったな」
「何が?」
「さっきの騒動に決まってるだろ」
「他にはないの」
「他って……まあ、昨日は言いすぎたかも。だから、意地を張ってないで参加していけよ。その方が、みんなも喜ぶだろうし」
「ヨシュアは?」
「ん?」
「ヨシュアはどうなの」
いつも意味不明なレイネの発言に、今は微妙な緊張感が加わっている気がする。
「……いないよりは、いた方がましかな」
正確には、その方が後味が悪くないという意味であり、受け取るレイネも正しく理解していた。
ここでようやくレイネは振り返り、ヨシュアと真正面に向き合う。
「ねえ、私が昨日言ったこと、少しは考えてくれた」
「ああ、自業自得ってやつだろ。大広間で無意味に囲まれてる時によぎったよ」
「無意味って、それじゃあ、自分が女の子達にどう見られてるかは少しも考えなかったのね」
「他人を気にしてばかりいたって、しょうがないだろ。ここでは誰もがスメラギ家の次男としか見ないんだ。俺はウェイデルンセンで正当な評価をされるように頑張るんだから、余計なお世話だ」
「見事に真意をすり替えたわね。自分のこと、本人が一番わかってないんじゃないの」
「やめろよな。今日は、これ以上争いたくない」
「そう。私も昨日以上の忠告をするつもりはないんだけど、こうまで鈍いと可哀想になってくるわね」
「また、わけのわからないことを。いいから、広間に行くぞ」
仏頂面で背中を向けて歩き出したヨシュアに、レイネはある決意をした。
「ねえ、ヨシュア」
「なんだよ」
「私、あなたが好きよ」
「……は?」
「ミカルの成人祝い以降、わけもわからず避けられて、理由がわかったところで、未だにまともな会話もできないままだけど、それでも、ずっとずっとヨシュアのことが好きだったわ」
「…………」
「ちゃんと聞いてる? 私は、今、あなたに告白してるのよ」
「告、白?」
ヨシュアは体を捩って振り向いたままの姿勢で、木偶の坊になっていた。
「私はスメラギ本家の財産なんて興味ないし、商会の情報網だって必要としてない。欲しいものがあれば自分で手に入れるもの。もちろん、誰かに脅されたり指示されているわけでもないわ。だけど、ヨシュアが好きだって言ってるの。この意味、わかる?」
「わ……かる、けど、え? 冗談とかじゃないのか」
「こんな冗談言って、私になんの得があるのよ」
どこまでも鈍いヨシュアらしさに、レイネは眉間をしかめる。
「嫌がらせ、とか……」
小さい声で、かろうじて言い返した。
「ヨシュアが普段、私をどう見てるのかがわかるってものね。いいわ。私は今まで親切心を込めてお節介を何度もしてきたけれど、嫌がらせをしたつもりは一度もないの。だけど、せっかくだもの、ご期待に応えて初めての意地悪をしてあげようじゃないの」
これまでの言動が嫌がらせでなかった発言に驚きだが、すでに相当な衝撃に重ねて、追加の嫌がらせなど堪ったものではなかった。
しかし、レイネがヨシュアの願いを聞いてくれるはずもなかった。
「私の生まれて初めての告白、返事は受け取らないことにするわ。だから、ヨシュアは、ずうっと返事のできない告白を胸にしまっておいてね」
「はあ?」
あまりの動揺で返事なんて考えてもいなかったヨシュアは、宣言をされて益々混乱した。
「ほら。呆けてないで、エスコートしてよ。置いてくわよ」
唖然としているヨシュアの脇をすり抜けて大広間に向かうレイネは、弾むように足取りが軽かった。