〈王の審判〉 社交辞令
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婚約発表から一週間。
ヨシュアはウェイデルンセンを、おとぎの国のようだと感じていた。
山に囲まれた、世情から切り離された小さな王国。
北国なので冬季は作物が見込めず、流通から切り離されれば生活は成り立たない。
水や鉱石という資源はあるが、他国から見れば不便の方が勝っている。
それでも、不思議と国民に不満は少ないらしく、限りがあるからこそ助け合い、穏やかで礼儀正しい人が多いのだ。
世話役として付いているシモンにも敵意は感じられず、ひたすらに案内役を全うしようと尽くしてくれている。
それなのに、国を代表するファウスト王こそが、残念ながら、そこからもれてしまっていた。
ヨシュアの部屋は王族専用棟の一角にあるのだが、かなり外れに位置していた。
別荘地と呼んでもいいくらいだ。
聞けば昔、節操のない王が身籠らせて王妃との関係を拗らせた愛人を囲うために建て増しされた部屋なのだと、シモンがこそっとしっかり教えてくれた。
できる限り、全力で要望に応えてくれる男である。
「ま、いーけどね」
ファウスト王の態度さえ目をつぶれば、半隔離状態だろうが、結婚相手の顔をろくに知らなかろうがヨシュアは一向に構わない。
だが、それも間もなく、事態の方から動きだした。
笑顔を絶やさないシモンが、珍しく顔をしかめてやってきた朝だった。
「油ギッシュがやってきます」
「なんですか、それは?」
ヨシュアの疑問は即日解消された。
「明後日、オーヴェ国のプリンタ・リチャルド様がティアラ様ご婚約のお祝いにいらっしゃるそうです」
ファウストと同席した朝食で、王のもう一人の側近であるヘルマンが告げたことで判明した。
つまり、油ギッシュとは件の困った中年求婚男のことであり、何ではなく誰、と尋ねるのが正解だった。
「動くのが早いな。外に公表したわけでもないのに祝いに押しかけて来るとは迷惑も甚だしい」
ファウストは少しも取り繕わず、心底嫌な顔をして本音を口にしていた。
「根掘り葉掘り、粗を探しに来られるでしょう。少しでも隙があれば、ご自分を対抗馬としてねじ込んでくるおつもりなのでは」
ヘルマンの示唆に、ファウストは鼻息で払いのけた。
「ふん、ぐうの音も出ないよう追い払ってやるわ。その為に、こちらは血の涙を流して婚約者を迎え入れているのだからな」
そうしてヨシュアは、この世に、これ以上憎い者はいないという目つきで睨みつけられる。
しかし、ヨシュアは、どんな憎悪も簡単に受け流せた。
実際に危害を加えられる心配がなければ、痛くも痒くもない。
「ファウスト王。それで、私は何をすればよろしいのですか」
「中々察しがいいな。ティアラの婚約者でなければ、喜んで城に迎えたところだ」
だったら、ここにいる必要はないだろうという反感は置いといて、ヨシュアは話を促した。
「設定は頭に入っているのだろうな」
「お望みならば、頁数までお答えできますよ」
まずは城に慣れることに専念させると言われたはずなのに、合間に覚えろと、ヨシュアは分厚い書類の束を早々に渡されていた。
内容を確認してみれば、ティアラとの接触に関する事細かな禁止事項と共に、長々した婚約設定が記されていた。
誰に何を聞かれても困らないよう準備しておけとの指令である。
暗記は苦手ではないし、手持ち無沙汰だったので素直に従ったが、ここにきて成果を発表する機会が訪れたようだ。
「ヘルマン、後で試してやってくれ」
「承知いたしました」
「お前も、それで構わないな」
「はい」
ヨシュアは素直に了承したのだが、なぜかファウストは肩を怒らせ、今にも般若に変わる寸前に見える。
それを堪えて絞り出されたのは 「私からは以上だ」 との一言だけで、解説されないままいなくなってしまった。
こういう時は、全力で要望に応えてくれるシモンの出番だ。
「どういう意味なのですか?」
「会わせたくない! だからって、このままいきなり本番を迎えるわけにもいかないし……でもでも、やっぱり会わせたくない!! という葛藤の表れです」
「それってつまり……」
ヘルマンがその先の言葉を引き継いだ。
「本日の午後、ティアラ様とご対面していただきます」
ようやく、婚約者の顔合わせが叶うらしい。
「よかったですね」
シモンはそう言ったが、ヨシュアにすれば面倒な性格でなければいいと願うだけだ。
午後になり、お姫様との対面にあたりヨシュアが真っ先にさせられたのは全身のお清めだった。
しかも、どこからどう見ても清潔感あふれる仕上がりになっているのに、呼ばれた部屋に入るなり出会い頭にファウストから消毒液をこれでもかと霧吹きかけられる徹底振りである。
それでもファウストの顔には、まだ気に入らないと書いてあった。
「ファウスト王。いつまでも、こうしているわけにはいきませんよ」
ファウストがお茶を三杯飲み干した辺りで、さすがにヘルマンから助け船が出て妹姫の登場となった。
「ティアラと申します。よろしくお願いいたします」
しずしずとやってきて、しずしずと挨拶をした。
「こちらこそ、よろしくお願いいたします」
ヨシュアは立ち上がったものの、禁止事項により僅かも触れずに済んだ。
そして、やっと拝見できた肝心の婚約者は事前情報に反していまいちだった。
艶やかな長い髪は顔にかかり余分な影を落とし、頬の横一線にそばかすが浮いている。
分厚い眼鏡は度がきついのかレンズが歪んでどこを見ているのかわからない。
これなら、ベール越しの方がだいぶ印象はよかった。
どう見積もっても、兄王が可愛くて可愛くて心配で心配で堪らない珠玉の姫君だとは同意し難い。
女嫌いなヨシュアだが、貴族の家に生まれた以上、着飾った人達に出会う機会はわんさかあったので、真っ当な審美眼を持って判断する。
つまりは、ファウストは過剰な妹バカだと決定した。
「ヘルマン、後は任せる」
「はい、承知いたしました。では、お二人ともお座りくださいませ。面会の予習をさせていただきます」
ファウストが部屋を出て行き、ヘルマンに促されて初対面を果たした婚約者達は揃って着席する。
早速、予測される質問が矢継ぎ早に繰り出された。
それも、執拗で嫌みったらしく、相手を不愉快にさせるためだけの言い回しを駆使されて。
ヨシュアが、これは何の我慢大会だと思うくらいの嫌やらしさだった。
ヘルマンがそういう口調でも性格でもないので、油ギッシュことリチャルドの真似なのだろう。
シモンが全力で要望に応えてくれる側近なら、ヘルマンは完璧主義といったところかもしれない。
完璧すぎて気持ちが悪くなってくる。
そんな拷問状態の中で、一つ、ティアラに関して収穫があった。
ヘルマンの問いかけに答えるだけなので直接会話をしたわけではないが、頭の回転がよさそうな気配には好感が持てた。
用意された分厚い設定資料には、わざとらしい情報の欠如がいくつかあって、ティアラはそれらのどれにもヨシュアが補完した方向と違わない返答をしていたからだ。
仮面夫婦を貫くなら、言葉が通じる理性的な相手がいいに決まっている。
「お二人とも完璧でございました」
粗方、底意地の悪い質問が出尽くすと、ヘルマンはころっと生真面目な口調で頭を下げた。
あまりの落差についていけないほど、あっさりと態度が切り替わる。
「それでは、私の役目はここまでとなります。シモン、後は頼みます」
「はい、お任せください」
ヨシュアが不気味な者を見たようにヘルマンを視線で追っていたが、さっきまで神妙に付き合っていたシモンがどっかりと椅子に腰かけたので、目の前に意識を戻した。
「あー、疲れた。毎回思うんだけど、あれって練習してるんだと思う?」
喋り方までがっつり崩れている。
「これが素なんだ。ねえ、ヨシュアって呼んでもいいかな」
目を丸くしているヨシュアに、シモンは悪びれず、ニコっと笑った。
「……どうぞ」
いつもの従者らしい丁寧さとのギャップに、こっちもかと外面で許可する。
「ヨシュアもさ、時には気楽なのがいいかなって思って。こっちも、気を張ってばかりだと肩こるしね。それでなくても、あちこちに王の耳が目を光らせてるから」
「今は大丈夫なんですか?」
「この部屋は、王よりティアラに分があるから。あの過保護ぶりに引いてる使用人で構成されているんだ」
だからと言って、妹姫の前で、その態度は問題がある気がしてならない。
「平気だよ。俺とティアラとファウストは、いわゆる幼馴染みの関係だから」
なるほど、と思う。
それから、ふと、自分の幼馴染みがこの件を知ったら、どう思うだろうかと想いを馳せてみた。
他人から事情を聞けば、きっと水臭いと怒るに決まっている。
痛い引っかかりを胸に覚えるが、全てを切り捨てて来たヨシュアには、どうする資格もなかった。
「ほら、ヨシュア。ちゃんと立って」
束の間、考えごとをしてシモンの話を聞いてなかったものだから、流れがわからず内心で焦る。
わけのわからないまま立ち上がらされたヨシュアは、広く開け放ったテラスから淡い緑の庭園に押し出されてしまった。
「後は、若い人同士でごゆっくり。もちろん、しっかり人払いしてあるからね」
追い立ててくれたシモンは、親指を立てながら白い歯を光らせて見送っている。
どんな気遣いなのか、ヨシュアが対応に迷っている間に窓は完全に閉めきられ、レースのカーテンまで閉じられてしまった。
そうして、庭園には婚約関係にあるティアラと二人だけで突っ立っている。
みつめてくるティアラの表情は、鬱陶しい長い髪と分厚い眼鏡で計り知れない。
ヨシュアはじわりと脂汗を垂らした。
女嫌いのヨシュアには、ここをどう乗り切るかが最初の試練だ。
気持ちを落ち着ける為に、目を閉じて深い呼吸を意識する。
次に目を開けた時には、さっきまでと変わらずじっとみつめてくるティアラがいた。
何を考えているのかさっぱりわからない。
それでも、ヨシュアは結婚相手として末永く付き合っていく必要があるのだ。
「ティアラ様、案内していただけますか」
「はい」
ティアラは口元で微笑んで、先頭に立って歩き始めた。
滑り出しは順調だ――と思ったのだが、あまりにもティアラが黙っているので、不本意にもヨシュアから質問せざるを得ないほど静かな時間が続いた。
気をつかって話しかけるやりとりを経て、庭園の案内を軸に、どうにか会話が成立する有り様だ。
精一杯に和やかな雰囲気を作り上げ、ヨシュアはさりげなく観察に努める。
そして、ティアラは仮面夫婦として都合のいい性質かもしれないと分析した。
こちらから呼びかけなければ口を開かないほど内気で、変に興味を示してこないところが好ましかった。
だからと言って、心を開く予定はさらさらなかったし、なるべく顔を会わせないで過ごすつもりでいる。
ちょっとした印象だけで気を許せるほど、ヨシュアは女という生き物を信用していないからだ。
「本日はありがとうございました。楽しかったです。また、お話する機会を楽しみにしています」
別れ際には社交辞令で声ををかけた。
裏には、婚約者でありながら、たまに話すくらいしか関わるつもりがないとの皮肉を込めて。
しかし、その夜。
ヨシュアはこの社交辞令をたっぷりと後悔するはめになるのだった。




