〈魔王の微笑み・貴公子の寵愛〉 魔王の企み
とうとう実家に帰ってきたヨシュアは自分の誕生会を仕切るのが兄のミカルだと今更ながらに聞かされ、膨大な顧客リストやどこのお祭りかと思いたくなる催し予定の数々を見せられてもあっさりと受け入れた。
ましてや、ぎくしゃくした関係の母親がこっそりと客間を覗きに来ている気配を敏感に察知しても、顔色一つ変えずに気付かない振りを通した。
しかし、真夜中になってから寝室に来訪を伝えるノックが聞こえると、ピリっと緊張の色を露にした。
横になって寝ていたわけでなく、いつでも呼び出しに応えられる格好でいたにも関わらずだ。
「なんだ、用意があったのか」
やって来たのはミカルだったが、用件があるのは別の人だ。
「父さんが呼んでいる」
「わかった」
硬く短い返事をし、ヨシュアは父の書斎に向かうことにした。
ミカルは、少し前を肩肘張って歩いている弟を眺めながら考えていた。
自分から女の子を連れてくるという大きな変化はあったものの、自分に対する警戒感や父に対する緊張感には、なんら変わりがない。
遠い異国、ウェイデルンセンに送り出したのは果たして吉となったのだろうか、と。
物心ついた時から本質を見抜く目を持ち、何事にもおいても器用で必死になる経験をしてこなかったミカルにとって、全てに対して懸命で努力を怠らない姿勢でいる弟が不思議でならなかった。
どこかで手を抜けるくらいの器量はあるはずなのに、全力で取り組む不器用な姿が可愛くて、ついつい無理難題をふっかけてしまうのだ。
しかも、それが原因で嫌われているのだと承知していながらもやめられない構い方が、兄弟仲を複雑な関係にしてくれている。
「そっちは、どうすんの」
低くぶっきらなヨシュアの呼びかけで、ミカルはロルフの書斎に着いたと気付いた。
「ああ、今日はこのまま部屋に戻る」
「ふうん」
敵は一人か、とか考えているのだろうなと弟の様子から推察する。
「頑張れよ」
「……どういう意味だ」
たまには素直に弟を応援しようとしたまでだが、全く受け付けてもらえなかった。
「なんでもない。じゃあな」
別れを告げて、数歩進んだところで振り返ってみれば、ちょうどヨシュアが中に入るところだった。
必要以上に気負った姿が消えるまで見守ってから、懐中時計を取り出した。
時刻は、日付が変わるまで残り十分程度となっている。
「なんだかんだと、いいとこを持ってくんだよな、あの人は」
天井に向かってつぶやいてから、ミカルは自室に戻っていった。
* * *
強固な気合いを入れたヨシュアが部屋に入ると、そこには格調高い特注の机と椅子に負けない威厳を備えたロルフが軽く笑みをたたえていた。
「元気そうじゃないか」
案外、という見えない前置きが透けて見える挨拶だった。
「ええ。おかげさまで、ウェイデルンセンでは、とても快適に過ごしています」
「おかげさま、ときたか。お前も少しは愉快な返しができるようになったな」
嫌味を仕掛けてみても、ロルフにかかれば愉快に変換されてお仕舞いだった。
「それで、用件はなんでしょうか」
「可愛い息子が久々に帰ってきたんだ。顔くらい合わせたいと望んでも、おかしくないだろう」
嘘をつけ!
と、心の中で盛大に叫んで、表面では笑って見せる。
「では、用件は済みましたね。夜も遅いので、失礼させてもらってよろしいでしょうか」
「なあに、どうせ寝つかれないのだろう。少しくらい話に付き合え」
どうせってなんだ!!
という苛立ちもなんとか堪えた。
これまで何度も全力で反発してきたヨシュアは、毎度、見事に否定され、反抗する意思を根こそぎ潰されてしまっていた。
後で冷静に考えればロルフの論には、いくつもの矛盾が見つかるのだが、相対している時は上手く誘導をされて絶望しかなくなるのだ。
しかし、後で見つけられる矛盾があるがゆえに、次こそはやり返してやろう儚い希望を持ち、結局は勝てたためしがないという悪循環を繰り返してきた。
しばらく家を離れて、僅かばかり広がった視野で辿り着いた結論は、口論になった時点でロルフの手の上なのだという根本的な認識だった。
清らかな天使でさえ極悪だと信じ込ませてしまうロルフに、何を言っても敵うわけがないのだと、ようやく悟ったのだ。
そうとわかれば、後は無駄に反発しないという単純で効果的な対応策しかなかった。
「久しぶりなんだ、お前から話したい何かはないのか」
呼びつけておきながら、話題はこっち任せかよ!
なんて苦情も腹に収めておく。
すかさず、部屋に戻るきっかけにしようかとも思ったが、やや考えて、ここは流れに乗っかってみることにしてみた。
「俺から話す何かはないけど、ファウスト王から質問を預かってきました」
明日の宴が終われば、翌日には朝早い内にヨシュアは立ち去るつもりでいる。
答えをもらう機会は逃したくなかった。
それに、面倒な用件はとっとと済ませてしまいたい性分だ。
「ほう、王の信頼を得ているようで何よりだ」
実際に得ているのは信頼ではなく憎しみなのだが、親切に教えてやる必要は感じない。
「俺の代わりの婚約者役が見つかったのかどうか、確認してくるよう頼まれてきました」
「なるほど。では、王はお前を信頼して、結婚は決定ではないと伝えたのだな」
ロルフは面白そうに笑みを深めた。
「それとも、お前がすでに音を上げて泣きついたのか」
やらしい挑発に、ヨシュアはここが踏ん張り時だと、より冷静さを心がける。
「確認をしてこい、とだけ、頼まれてきました」
「そうか。では、代わりはとうに見つけていると伝えてくれ。資料を望むのなら、こちらから送付するともな」
答えは予想通りだったのに、ヨシュアはふと、代わりの相手役がどんな男なのか気にかかった。
ティアラを妹のように思い始めたところなので、変なのが相手では気持ちよく婚約解消ができそうにない。
「なんだ、何か言いたげな顔をしてるな」
しかし、ロルフに促された途端に、余計な口は利かない方がいいと自分を戒めた。
最初で最後の帰省を、いいように転がされたという悔しい遺恨は残したくなかった。
「いいえ、必ず伝えておきますのでご心配なく」
珍しくむやみに反抗してこない次男坊に、ロルフは成長したなと感心するよりも、面白くなったとの感想を抱いていた。
「レナルトのところは、どうだった」
いきなりの話題転換に一瞬眉をひそめたヨシュアは、それでも当たり障りのない対応で済ませた。
「少し疲れているようでしたが、叔父さんとは、いくらか話ができました」
「そうか。サマンサはどうだ」
これにも不信感を浮かべつつ、無難に返す。
「相変わらず華やかな方でした。試験中は客人のもてなしを全て引き受けてくださったので、本当に助かりました」
「そのようだな。後で、うちからも改めて礼を言っておこう。では、レイネはどうだった」
昼間に言い合いをしたばかりの天敵な従妹の名前を挙げられると、思わず嫌悪感が表情にこぼれてしまった。
「少しはレナルトの希望通りに、仲よくしてやったらどうだ」
嫌がらせな発言に、ヨシュアはこめかみがぴくつく不愉快さを隠すのが難しくなる。
「お前はここより、レナルトの屋敷の方が過ごしやすいのだろうな」
お互いに今更な確認に、勘に近い本能が警戒するべきだと訴えていた。
「ヨシュア。この先、レナルトの近くで働きたいと思わないか」
答えも聞かずに、ロルフは続けて、もったいぶった提案を示した。
「私は、ロルフの仕事を引き継ぐ候補としてお前を考えている」
「ほあ?」
あまりに想定外の展開に、ヨシュアは言葉になっていない声をもらしてしまった。
「やってみたいと思わないか。実現すれば、さぞかしレナルトも喜ぶだろう」
実家との縁が切れないのは難だが、正直に言えば、軽く光が射す程度には魅力的な申し出だった。
しかし、提案者はあのロルフだ。
ヨシュアは逸る気持ちを抑えて、慎重に真意を聞き出す。
「それだけじゃないんだろう」
「いいや、それだけの話だ」
否定されても黙って怪しんでいると、やはり、それだけでは済んでいなかった。
「その気になったのなら、まずはレイネと仲よくすることだな」
「……その心は?」
「婿養子に入って、跡継ぎになれという意味だ」
ヨシュアにとって、父親の微笑みは悪魔に対する恐怖と同義となった。
「ありえない!!」
即座に、自分にはレスターの元で働くしか道はないのだと改めて決意し直す。
「好きにしろ、結論は急がない。こういうことは、お互いの気持ちが大事だからな」
どの面下げて言ってるんだ!
と、ヨシュアは内心でわめき散らしていた。
「おっと、こんな時間か。夜中に呼びつけて悪かったな。明日に備えて、ゆっくり休むといい」
こうして、ロルフは最後の最後に父親面を見せつけ、久々の親子対話は最低な気持ちにさせられたまま、一方的な強制終了を持ってぶち切られた。
いくらヨシュアが苛立ちの極限に達していようと、ここで突っかかると過去の繰り返しになるので、ぐうっと堪えて退室を選ぶしかないのが歯痒くて仕方ない。
「それでは、失礼します」
「ああ、そうだ」
まだあるのかとうんざりした気持ちを押し殺して、なんですか? と、あえて柔順な息子を演じてみせる。
もう、むやみやたらに突撃するばかりではないのだという主張をしっかりと込めて。
「ヨシュア、十八歳の誕生日おめでとう」
「……は?」
「日付が変わったのだから、言っておこうと思ってな」
ロルフの楽しげな様子に、要は、誰よりも早くそれが言いたいがために、こんな時間まで待って呼び出したのだと理解する。
これほど効果的な嫌がらせはなかった。
「ちっとも、めでたくない!!」
最後の最後に本音を叫び上げたヨシュアは、逃げるように部屋を退散した。
苛々させて部屋に戻れば、当然、安眠なんてできるものではなく、朝方になってうっすら眠っただけで完全に目が覚めてしまった。
「あ゛~、もう! 最っ低ーな誕生日になりそうだ」
成人記念の爽やかな朝、ヨシュアが起きたて一番に出てきた言葉がこれだった。




