〈識者の忠告〉 侵入者と観光案内
* * *
テストを終えた今宵のヨシュアの夢は、綺麗さっぱり解放されたはずの学校が舞台になっていた。
教室内には数字や記号や難解な文字が意味を成さずに宙に散らばっている。
おまけに、周囲はのっぺらぼうの女の子達がひそひそと無意味にささやき合っていた。
決して近付いてくるわけではないのに、いなくなってくれる気配もまったくしないのが不快で堪らない。
このところ見ていなかった、気の重い世界だ。
いつもはくだらないと簡単に言い捨てられる存在に囲まれているここでは、ヨシュアの方がずっとちっぽけに感じてしまう。
「やっと寝たかと思えば、なんだ。今日は妙な場所にいるな。しかも、やたらに暗い。何が楽しくてこんな所にいるんだ」
ぎょっとして振り返れば、人間姿のカミが扉を開けて入ってくるところだった。
「なんで、また出て来た!!」
「お前が妙な画策をするからだろうが」
「なんのことだよ」
「ティアラに話しておきながら、知らない振りをさせたのはお前だろ」
「どうしてわかったんだ?」
「わからないわけあるか。城を出てからほったらかしだったのに、急に連日で熱烈に呼び出してくるんだからな。何かあったと思わない方がどうかしている」
指摘されてみれば、実に単純な根拠だった。
「まあ、ティアラに話すなとは言ってないから構わないがな」
「だったら、こっちに出てくるなよ。ティアラの夢の方が居心地いいんじゃないのか」
「その通りだが、気にするな。たまの気分転換だ」
ヨシュアは心から苛立たしくなった。
「ところで、この空間はどうにかならないのか」
不法侵入のくせに勝手を言うカミは、ふわふわ漂う記号をうるさそうに手で払っている。
「できるものなら、とっくにどうにかしてるよ」
「ったく、しょうがない奴だな。どれ」
カミが何気なく右腕を上げ、舞うように大きく動かせば長い袖が一緒に揺れた。
思わず見とれていると、鬱陶しい試験問題もどきや、やかましい女の子達の影がカミの動きに合わせて姿を消した。
「これで少しはましになったな」
満足げなカミを、ヨシュアは目を丸くして見つめた。
陰気な教室が明るくなっただけじゃなく、心も体も軽くなった気がする。
「どうだ」
胸を張って感想を求められるも、予想外の出来事に返事のしようがない。
神様が自分に何かしてくれるとは露ほども思ってみなかったのだ。
それほどヨシュアは、気まぐれな神の行いを信じていなかった。
「カミは何が望みなんだ」
「はあ? 何を言っている。俺がいる間は加護が働くと言っただろう。暗い方が好みだというなら、すぐにでも戻してやるぞ」
これには、ぶんぶんと首を振って否定した。
「こっちの方がいい。ありがとう」
初めて素直になったヨシュアを見て、カミは相手が考えているよりずっと子どもなのだと気が付いた。
「試験はどうだったんだ」
「え、ああ。まあまあかな」
「ここで受けたのか?」
「そうだけど」
カミは珍しげに夢の中の教室を眺めて回った。
「こういう場所は初めてだな」
本体は狼なので当然だろうとヨシュアは思う。
「カミはやっぱり、普段は森の中なのか」
「そうだな。ティアラの夢は森とか川辺とか、キャンパス山脈を連想させる場所が多いな」
「じゃなくて、カミの夢はどうなのかって聞いたんだけど」
「俺の夢?」
問われて、はたと考える。
「あー、んん? そう言われると、何も思い浮かばないな」
「じゃあ、カミ自身は夢を見ないのか」
「どうだろな。覚えていないだけかもしれないが、ぱっと思いつくものがないのは確かだな」
「ふーん。なら、レスターさんの夢はどんな感じだったんだ」
「レスターか? あいつは決まって草原だったな」
「草原って、モイミール地区みたいな?」
「いや、あいつの場合はもっと幻想的なやつだ。黄色や青の草原に、桃色や橙色の空だからな」
極彩色で落ち着けそうにない景色を思い描いて、ヨシュアは微妙な顔になった。
「言っとくが、俺の説明が上手くないだけで、淡い色合いで変調していく綺麗な世界だぞ」
「ふーん」
「お前から聞いておいて、その反応の薄さはなんだ」
人間の姿なので、言われなくてもカミの不機嫌さがしっかりと滲み出ている。
「なあ。カミとレスターさんって、夢の中でどんな話をしてたんだ」
「は? なんだ、藪から棒に」
「結構長い付き合いだってレスターさんから聞いてはいるんだけど、なんか全然想像がつかなくて」
ヨシュアには話の流れから自然に出てきた素朴な疑問だ。
それが、カミにとっては狼狽するような内容だった。
「そんなこと、お前に関係ないだろ」
判りやすいうろたえぶりに、察しのいいヨシュアは、からかいがいのある弱点なのだと理解した。
「いいだろ、ちょっとくらい教えてくれたって。それとも、人には聞かせられないような会話でもしてたわけ?」
「う、うるさい! 今日はもう帰るからな!!」
カミは怒鳴り散らしただけで、言い訳らしい返しもないままパッと消えてしまった。
突然すぎてヨシュアがぽかんとしたのは一瞬で、すぐに大笑いして体を揺らした。
「当分は、この手で黙らせられるな」
誰もいなくなった教室はヨシュアの気分に合わせるように天井がなくなり、気持ちのよい青空が見えていた。
* * *
試験終了の翌日。
この日のヨシュアは、ウェイデルンセン組に観光案内をするために張り切っていた。
試験休みのアベルとエルマも誘って、城下町の入り口で待ち合わせをしているのだ。
それで現在、ヨシュア達ウェイデルンセン組はレナルトの屋敷の玄関先で一家に見送られようとしていた。
「せっかく来てくれたのに、少ししか話せなかったな」
レナルトに話しかけられたヨシュアも、物足りなさが残念で仕方ないところだ。
「荷物を預けていくから、帰りにも寄るよ」
「そうだったな。絶対に仕事を片付けて待っているからな」
今、こうして別れを惜しんでいるのは誕生会を明日に控えて、観光したその足で、いよいよヨシュアの実家に顔を出す予定になっているからだ。
「叔父さん、約束だからね」
と、切に束の間の別れを惜しんでいる隣で、サマンサとシモンが流行の装いについて話が弾み、更に隣ではレイネがティアラと挨拶を交わし、リラが背後で見守っている。
シモンはともかく、ティアラ達は何を話しているのか謎だ。
屋敷を出たところでヨシュアはこっそり確認してみるも、普通に世間話だと返されただけだ。
箱入りお姫様であり、世間知らずのティアラが世間話など珍妙でしかないが、重ねて訊ねるほど興味はなかったし、ティアラ自身は楽しかったと言っているので、これ以上気にかけるのはやめにする。
「おーい、こっちこっち」
間もなく、城下町で待ち合わせ場所として有名な人魚像がある噴水前で手を振るエルマが見えてきた。
「お待たせ」
ヨシュアはその手を打ち鳴らして合流した。
「おーし、じゃあ行きますか」
威勢のいいアベルの声を合図に、最初の目的地を目指す。
今日の計画は、試験勉強の合間にヨシュアが全て一人で進めてきたものだ。
どうせなら行き先を知らせずに案内したかったが、箱入りのお姫様を連れている関係でコースは事前に伝えてある。
ウェイデルンセン組のそれぞれが興味を示すような場所を選んだつもりだ。
最初に楽に決まったのは、あの恐ろしげな獣のカミを可愛いと言ってのけるティアラ向けに動物園を回る案だった。
後から考えれば、一応は神様と崇められ、人語を操る特殊な狼と動物園の動物とを並べて考えるのはどうかと心配になったものの、ティアラは素直に喜んでいたので一安心する。
もちろん、狼の展示がないのは事前にしっかり確認済みだ。
ついでに、それとなく、カミに報告するのなら言葉を選ぶようにとティアラに忠告しておくのも忘れなかった。
お昼は移動して、城下町で新鮮な魚介類が評判の人気店に入る。
アベルとエルマに予約を頼んでいたので、混んでる中、待たされずに一番眺めのいい部屋に通された。
「うわ、どれも美味しい!」
シモンが見事に期待通りの反応をしてくれたので、ヨシュアは嬉しくなっていた。
これが見たいがために、レナルトの屋敷ではサマンサに生ものを出さないようにと協力までしてもらっていたのだ。
「リラさん、初生魚介の感想は?」
アベルはちゃっかりと、興味津々なリラの隣を確保している。
「すっごく気に入った。思ってたより臭みとかないからビックリしちゃった……って、どうして初だって知ってるの」
「ヨシュアが寄越した手紙に書いてあったからです」
「もしかしてヨシュア、私が食べ歩きの趣味だって知ってた?」
ちょうどカルパッチョに手を出してしたヨシュアは、フォークをくわえたまま頷いた。
「一応、リラさんにもお世話になってるので」
相変わらずぶっきらぼうな態度ながらも、護衛のリラも観光案内する一人に数えていた。
「リラさんから見て、ヨシュアってどうですか」
エルマが尋ねたのは、ヨシュアが自衛の勘を鈍らせないために警護官の訓練場を使わせてもらっているのを知っているからだ。
時には、リラに相手をしてもらう機会もあると手紙には書いてあった。
「うーん、そうだなあ」
リラは考えながら、ちらりとヨシュアに視線を送る。
「どうぞ、遠慮なく答えてください」
ヨシュアだって、本職から本心を聞きたいところだ。
「んー、じゃあ遠慮なく」
と言って、リラは容赦なく率直な感想を述べる。
「訓練だっていうのに、警戒心が強すぎて訓練にならないのが問題かな」
単純明快ならしい評価に、アベルとエルマは吹き出した。
当人は相手をしてもらっている時にも似たような注意をされていたのでどうとも思わないが、ツボに入っている幼馴染み達は睨みつけておいた。
「でも、案外笑いごとじゃないのよ。いつも窮屈そうに見えるし、警戒心って緊張に繋がってるから、度が過ぎれば、余計な力みに通じるものだしね」
と、これはリラから本気の助言だった。
「気をつけます」
ここは、ヨシュアも素直に返事をする。
「そういう意味では、ヨシュアは本番に強いんだろうな」
冷たい水をごくりと飲み込んだエルマは、一緒に笑いを収めていた。
「わかる、わかる。訓練とかより、実践の方が自然体な感じするもんな」
賛同したアベルは、未だに口許が緩んだままだ。
「なるほどね。危なっかしくて、どっかで大怪我してなきゃおかしいって不思議だったんだけど、度胸のよさで切り抜けてきたわけか」
オアシスで暗器を持つ相手と試合をしていたのを見ているリラは、相手の武器を意識した途端に動きが変わったのを思い出して納得した。
「あれ、誰かそんな話してなかったっけ? 普段はどうなのか、とかなんとか」
アベルの疑問に、エルマは心当たりがあった。
「レスターさんだよ。ヨシュアの試合を見ていた時に、平時でも強いのかって」
「そうだった。緊急事態に強い奴って、普通の時はそうでもないみたいな意味合いだったよな」
「なんだよ、それは。それじゃあ、まるで、普段の俺はへたれみたいじゃないか」
「だから、その通りだって言ってるんでしょう」
憤慨するヨシュアに、リラがさらっと肯定した。
「言われるほど、俺が普段も動けないわけじゃないのは、ご存知のはずですよね」
「でも、私に勝てたためしがないじゃない」
「王に重用されてる護衛官が素人相手に負ける方が問題だと思いますけど」
「あら、言ってくれるじゃない」
「ああ、もう。こんなところで揉めないでよ」
ピリピリした空気に、堪らずシモンが仲裁に入る。
リラはさすがにいじめ過ぎたと苦笑しながら反省の色が見えるものの、ヨシュアは不機嫌そうに否定した。
「別に、揉めてるつもりはないよ。事実を言っているだけなんだから」
シモンの居たたまれなさなど少しも意に介していないらしい。
何度も女嫌い宣言を耳にしているシモンだが、実際にはお行儀のよいところばかりを見てきたので困惑してしまうのだった。
「ヨシュアは、ウェイデルンセンに行って正解だったな。社交場でもないのに、女の人の好みを考慮に入れるなんてさ」
「だな。言い返す時なんか、常に辛辣な十倍返しが基本だったものな」
一番きつい時期を知っているアベルとエルマは動揺するどころか、この状況を褒め称えているのがシモンを更に困惑させてくれた。
「俺の話はいいから、新鮮な内にしっかり味わってくれよ」
普段のお礼として、ここの代金を持つつもりのヨシュアは食事を勧めてこの場を切り抜ける。
なんだかんだと美味しい物のおかげで、一行はわだかまりが残ることなく移動した。
お次は、お洒落なシモンのためにスペンスプレイスと呼ばれるシンドリーで一番賑やかな商店街に連れて行った。
最先端の流行を発信しているオアシスと違って、交易国らしく統一性のない異国情緒が売りの通りだ。
工夫された陳列の小洒落た店舗だけでなく、休憩できる広場には手作りの品を並べた露店商が集まるなど、品質の振り幅が大きくて見飽きることがない。
飲み物や甘いものを食べ歩きしながら、全員が楽しいシンドリー観光を満喫していた。