〈識者の忠告〉 束の間の学校
* * *
「なんだよ、ヨシュア」
「あ゛?」
「あ゛、じゃないだろ」
昼休みに入って、幼馴染み三人組は食堂にやって来ていた。
そして、せっかくの食事を前にして、ヨシュアは一人荒んだ目つきをしている。
「トゲトゲした空気を出すなって言ってんだ。飯がまずくなるだろ」
ほかほかのホットサンドを前にして、アベルがはっきりと苦情を訴えた。
「ごめん、悪かった」
変に頑ななヨシュアも、幼馴染みには素直に反省を示す。
「でもさ、なんだか懐かしい気分にならない? ヨシュアが大勢いる場所で食べる時って、たいてい何食べてても美味しくなさそうにしてたなって思い出したよ」
フライドオニオンをつまみながら、エルマが笑う。
「そういや、そうだったかも。久々だから忘れてたな。明日も授業に出るなら、何か買って静かな所にしとくか。やっぱ、ヨシュアはヨシュアに変わりないんだな」
「おい、アベル。どういう意味だよ」
面白くなさそうなヨシュアには悪いが、アベルの言いたいことは、エルマには共感を持って充分に通じていた。
「少しは大人になって、学校でも澄ましていられるのかと思ってたのにな」
エルマとしては、ちっとも変わってなかった残念感と相変わらずでほっとする安堵感が同列に並んでいた。
「俺自身も、そう考えてたよ。でも、ウェイデルンセンが特別な環境なんだって、今日は実感させられた」
ウェイデルンセン王国では大の女嫌いなヨシュアでも関わっていける例外な存在が三人も身近にいて、仮の住み処としている城内では王族並みの丁寧な扱いをしてもらっている。
遊学がてら城下町に下りてみれば、一般市民にとってはただの観光客にすぎず、実に気楽な立場でいられたのだ。
手持無沙汰すぎて居心地の悪い思いをしている心情はともかく、ウェイデルンセンにいれば、ヨシュアはヨシュアとしての評価しかされなかった。
それでこそ、真っ当に努力するしがいがあるというものだ。
「学校に戻って思い出したよ」
「何を?」
エルマの疑問に、ヨシュアは見るからに憂うつそうに答える。
「俺が嫌いなもの。女子の遠巻きなひそひそ話と、迷惑で遠慮ない意味ありげな気持ち悪い視線」
「本当に相変わらずなのね。好意を向けてくる女の子に気持ち悪いって何よ。ヨシュアが、そんな態度だから、ひそひそ言われるんじゃない。全部、自業自得よ」
ばっさり否定されて振り向き見上げれば、すぐ後ろに天敵のレイネが立っていた。
「おまっ、ここで何してるんだよ」
思わず、精一杯にのけぞった。
「図書室に論文の資料を探しに来たの。それより、相も変わらず仲よし三人組なのね。そうやって、いつでも取り巻いて、ちやほやするからヨシュアがつけ上がるのよ」
上から猛吹雪の如く冷たい視線を向けられて、アベルとエルマは顔を見合わせた。
ヨシュアがレイネを天敵と呼ぶのは単に言葉がきついだけでなく、問題のない幼馴染みまで厳しく言ってくるからだった。
「いい加減にしろ。用がないなら、さっさと行けよ」
「ふん、言われなくても帰るわよ」
レイネは思いっきり顔を背けてから歩き出した。
この諍いのせいで、この日の授業中どころか、放課後になってもまだヨシュアの機嫌は最悪だった。
「いつまで怒ってるつもりだ? 疲れるだけだろうに」
アベルが呆れるほど、ずうっと不機嫌さを引きずっているヨシュアだ。
「仕方ないだろ、あいつだけは本気でむかつくんだから」
「ヨシュアの場合、レイネだけじゃないだろ。やっぱり、試験までレナルトさんのとこにいた方がいいんじゃないか」
「なんだよ、エルマまで。あいつと一つ屋根の下の方が、よっぽど悪影響だ」
「じゃあ、クラスの女子は平気だったわけ?」
「苛つきはしたけど、腹立たしさも懐かしいくらいで、無視できるから学校の方が平気」
「んじゃ、レイネは無視できないってわけだ」
嫌なところを突かれたヨシュアは、アベルを半目で見つめて無言の反論を試みる。
「どうしようもないなら、一人別室で試験を受けさせてもらったらいいんじゃないのか」
エルマまでこうだった。
「もー、なんなんだよ! 久しぶりに帰ってきたのに、少しは優しくしてくれたっていいだろう!!」
本気で怒り出したヨシュアに、アベルとエルマは揃って吹き出した。
「な、二人してからかってたのか!?」
「いやいや、特に協力してたわけじゃないって」
「そうそう。ただ、別々にからかってただけだから」
「尚悪い!!」
憤慨するヨシュアに、二人とも尚更笑わされた。
「だいだいなぁ、元はと言えば、ヨシュアが予告なしに現れたのが悪いんだろ。いきなりすぎて、からかって懐かしい反応をみないことには実感が湧かなかったんだよ。な、エルマ」
「まあ、そんなとこだね」
説明されてもヨシュアは拗ね気味だったが、こんなやり取りも帰ってきたからこそできるのだと思えば、なんだって浮かれてしまうものだった。
「で、どこに寄るんだ。スターブリック? ミセスビスケット? 天気がいいからバンバン商店でおやつでも買って公園でのんびりとかでもいいけど」
アベルがいくつかの店名を挙げていく。
「どれも外れ。今日はハーニッシュに行く」
「へえ、意外」
エルマがこう思うのは、ハーニッシュがスメラギ商会直営の喫茶店だからだ。
よくミカルに呼び出されては、無茶苦茶な難題を課せられていた、嫌な思い出のある場所のはずだった。
「仕方ないだろ。よその店だと長居できないんだから」
「ひょっとして、特別な話でもあるのか」
「試験範囲の要点を確認しておきたいだけだよ」
「ヨシュアこそ、久しぶりに会って、それってどうなんだ」
エルマの呆れた様子に、ヨシュアはぶすっと言い返す。
「俺だって好きでやるわけじゃない」
仏頂面のヨシュアが兄から提示された合格点をぼそっと告げると、アベルとミカルは慌てて帰り支度を始めるのだった。
* * *
冷たさを含んだ風が木々を揺らして葉を散らしていた。
そんな秋の始まりの風景を窓の外にして、試験場所となっている教室はしんと静まりかえっていた。
「あー、終わったー!!」
チャイムが鳴り、試験を回収した教師がいなくなるなり、ヨシュアは誰よりも先に両手を上げて全力で解放感を味わっていた。
いつも通りの定期試験でしかないクラスメイトは不思議そうに見ているが、そんなものは気にならないくらいの爽快さだった。
「その感じなら、まあまあの出来ってとこだな」
自分の結果よりもヨシュアが心配なアベルが苦笑しながら寄ってくる。
「余裕ってわけでもないけど、たぶん大丈夫だと思う」
「じゃあ、ミカル兄にもいい報告ができそうだな」
「するわけないだろ。俺から報告しなくたって俺より先に把握してるんだから、そこはどうでもいい」
「でも、ヨシュアから伝える方が喜ぶと思うけど」
「い・や・だ」
ヨシュアが頑固に突っぱねていると、後は帰るだけの身支度を終えたエルマが合流した。
こちらも、やはり苦笑している。
「そこまで嫌がることないのに。どっちにしろ、ここで言い合いしてても結果は出ないんだから、まずは帰る用意をしなよ」
「エルマ、そんなに楽しみなわけ?」
「当然だろ。久しぶりにティアラと会えるんだから」
以前、二人の仲にやきもちを焼いた身の上には面白くなかった。
「ヨシュア、せっかくの解放感を盛り下げる態度はよせよ」
アベルは、この間の件もあって軽く釘を刺したが、今回は学校を出てまで引きずるものではなかった。
「二人共、夕食までいるんだろ」
レンガの街並みを、ヨシュアは後ろ歩きしながら振り返っている。
「なんだ。えらくご機嫌だけど、いいことでもあるのか?」
アベルの疑問にも笑顔で応答するほどご機嫌らしい。
「あるんだな、これが。やっとレナルト叔父さんと会えそうなんだ」
「え、今まで会ってなかったのか?」
「うん、まったく会えてない」
数えてみれば、ヨシュア達がレナルト邸にやって来て五日は経っている。
「話したいことがいっぱいあるのに、叔父さんが帰るのは昼間とか夜中らしいんだ。俺の方も試験前に待っていられるほど余裕がなかったからさ」
試験の重圧から解き放たれ、楽しみに胸躍らせているヨシュアの後ろで、アベルはひっそりとエルマに確認をする。
「なあ。それって、絶対にロルフさんの策略だよな」
「だろうね。自分より先に会うのが悔しいから、そんな仕事の振り方をしたんだと思う」
当人には決して考えられないだろうが、実はロルフは殊の外、次男坊を可愛がっている。
但し、肝心のヨシュアには嫌がらせとしか受け取ってもらえない可愛がり方しかしないので、なんにも伝わっていないだけだ。
アベルとエルマは、この距離が縮まることは一生ないのだろうとの考えで一致している。
無意味に苦労の耐えないヨシュアの背中を眺める二人は、心の底から頑張れとエールを送っておいた。