〈識者の忠告〉 お出迎え
「ヨシュア! あなた、女嫌いを克服したって本当なの!?」
忙しいレナルトが昼間から出迎えくれるはずもなかったが、天敵のレイネが待ち構えているなんて想像すらしていなかった。
「どうして、お前がここにいるんだ。寄宿舎に入ってるはずだろ」
「レポートを作るのに、一時帰宅してるのよ」
青ざめるヨシュアに、レナルトの一人娘であるレイネは久々だという遠慮もなく、ずんずんと一直線に近付いてきた。
「ちょっと。どうして相変わらずの反応なのかしら」
「そんなの、お前が容赦なく近付いてくるからだろ」
答えたヨシュアは、抱えていた手荷物を前面に出して、これ見よがしに近寄るなと意思表示していた。
「じゃあ、やっぱり克服はガセネタなんじゃない。少しでも信じた私が……」
バカだったと言いかけて、レイネの口が止まった。
唖然としている視線は、ヨシュアの斜め後ろに固定されている。
「ああ、留学先で親しくなったティアラだ。レイネと同い年だから仲よくしてくれると助かる」
傍目にはしれっと紹介して見えるヨシュアの内心は、描いていた通りの反応を面白がっていた。
「やあ、これは一気に賑やかになったな」
「――な、なっ、どうしてあんたがここにいるんだ!?」
ヨシュアのびっくりどっきりなお出迎え第二弾は、ヨシュアが会いたくない人物不動の第二位にいる兄のミカルだった。
「久しぶりだというのに、ずいぶんな挨拶だな」
無駄にキラキラしているのが地なミカルは、弟が大嫌いだと宣言している女の子をドヤ顔で自慢げに紹介している一部始終をしっかりと見学してから現れていた。
「まさか、親父まで来てるとか言わないだろうな」
これでは、わざわざレナルトの屋敷を滞在先にした意味がなくなってしまう。
「さすがに、それはない。俺も長居するつもりはないしな。三つほど用件を済ませたら家に帰るさ」
「三つの用件?」
「一つは、お前が世話になる叔父さん達への挨拶。もう一つは、お前がウェイデルンセンで世話になっている方々への挨拶だ。特に、女嫌いを知っていながら付き合ってくれている奇跡のお姫様にな」
相変わらずの嫌味な言い回しを駆使しながら、ミカルはティアラの前に立った。
「初めまして、ヨシュアの兄のミカルと申します。我が家はもちろん、叔父や叔母も会えるのをとても楽しみにしていました。試験が終われば、アベルとエルマも合流するので、気楽にしていてください」
この、一見、思いやりにあふれた兄の紳士的優しさは、一度だって素直に弟に向けられた試しがない。
ヨシュアは冷えた眼差しで、シモンやリラと挨拶を交わしているのを遠巻きに眺めていた。
「で、最後の一つは?」
「お前への連絡と確認だ。学校の状況や誕生会の打ち合わせなんかだな」
打ち合わせと言われたところで、どうせ、ヨシュアの意見など反映されるはずがなく、一方的な通達で終わるのだろうと諦めをつけた。
「兄弟の挨拶は済んだかしら?」
通る声に振り向けば、更なる出迎え人が登場していた。
「皆様、ウェイデルンセンから遥々、ようこそいらっしゃいました。わたくしは当家当主スメラギ・レナルトの妻、サマンサと申します。大したおもてなしは出来ませんが、心を込めて歓迎させて頂きます」
やや強張ったヨシュアは、叔母に当たるサマンサも大の苦手な一人だった。
単に女性だからというだけでなく、夜這い事件をきっかけに幼くして疎遠になってしまった母親の代わりに、躾の面で厳しく指導してくれたのがこの人だからだ。
「ヨシュア、お久し振りね。元気そうで何よりだわ」
こんなありふれた会話でも、未だに緊張して姿勢を正してしまうほど苦手意識があった。
「さあ、あなたは奥でミカルと話していらっしゃい。お客様は、わたくしがもてなしますからね。レイネ、あなたもこちらにいらっしゃい」
「はい、お母様」
抵抗なく了承したレイネだが、どことなくティアラを気にしているのが見てとれた。
「大丈夫かな」
思わずヨシュアがつぶやくと、ミカルは面白そうに興味を示した。
「お前が女の子の心配をするなんて、ずいぶん変わったものだな」
兄のからかいに、弟は嫌そうに目を細めた。
「誰のせいで、こんな状況になってると思ってるんだよ」
「なんだ。人のせいにするようでは、お前も、まだまだだな」
軽くあしらわれ、先導されるがままに場所を移動する。
その間、ヨシュアは、ずうっと唇をへの字に結んでいた。
「懐かしいだろ」
通されたのは、ヨシュアが家出する度に使わせてもらっていた部屋だった。
変わっていない様子に嬉しくなっても、にやける姿を兄には見せたくなくて、あえてしかめっ面を維持させる。
「それで、話ってなんだよ」
「ウェイデルンセンでの暮らしはどうだ」
兄貴ぶった質問に、うんざりした。
「俺から直接報告するようなことなんて何もないよ」
ヨシュアが言わずとも、ファウスト王からの手紙や独自の情報網により、ある程度の生活ぶりは把握をしているはずなのだ。
ちらりとカミの存在がよぎるが、それは切った後の展開が読めなさすぎる札なので、余程な危機的状況で、自爆の覚悟でもなければ使う気になれない諸刃の剣だった。
「やれやれ。約半年ぶりの再会を果たしたというのに、ちっとも喜んでいる気配がないな」
「はっ、誰が喜ぶって言うんだよ」
「全く、困った弟だ。では、早速、用件を済ませるとするか」
そうして、ミカルは机に用意しておいた書類を手に、いくつか報告を始めた。
「ひとまず、知らせるべきはこれくらいだな。詳しくは、お前の試験が済んでから教えるが、今の報告で意見や質問はないか」
一通りの説明を終えて問われたところで、愚弟の意見など、ちりあくたの扱いをされるのが関の山だ。
「ないよ」
経験上、多少の引っかかりがあっても、口をつぐんでいるのが賢明というものだった。
* * *
「おおっ、本当に帰ってきたんだな」
「そうだって、手紙に書いただろ。他に言うことはないわけ?」
「ないない。どっからどう見たって変わりなさそうだからな」
レナルト邸に着いた翌日、ヨシュアは約半年ぶりに学校に顔を出していた。
そこで、教室に入るなり、幼馴染みのアベルに軽口をたたかれていた。
「エルマは?」
「もうすぐ来るだろ。あ、ほら」
見ると、渋い色のごつい鞄を背負ったエルマが教室に入ってくるところだった。
「え、ヨシュア? なんでいるんだ」
「なんでって、エルマまでそんな反応とかなくないか。帰ってくるって、事前に、ちゃんと連絡してあったのに」
「いや、そうだけど。でも、今日はまだ試験日じゃないだろ。出席日数は免除してもらってるって聞いてたから」
言い訳するエルマに、ヨシュアはため息をついた。
エルマに対してではなく、出席日数免除の件が憂鬱だったからだ。
「らしいね。まあ、俺は昨日になって、初めて知ったんだけど。スメラギ・ヨシュアはウェイデルンセン王国に留学って扱いになってて、出席日数免除の代償に試験の及第点が厳しい設定になってるんだってさ」
普通なら国立校ではありえない処置だが、スメラギの持っているあれやこれやを最大限に使って認めさせたのだろう。
それらの特別な待遇を、ヨシュアは他人事のように語った。
「そういや、ミカル兄、着いたら会いに行くって言ってたっけ」
「なんだ、アベルは知ってたのか。だったら、教えといてほしかったんですけど。あいつ、帰り際になんて言ったと思う?」
今思い出してもイラッとするセリフを、ヨシュアは真似た口調で教えてやった。
「ウェイデルンセンで何かを得て懐を広げてきたのか、毎日ちやほやされて使い物にならなくなっただけなのか。どちらにしても先が楽しみだな――だってさ」
「うわー、さすがミカル兄。カッコイー」
「どこがだよ。なあ、エルマ」
ヨシュアは味方してもらおうと話を振ったのに、話を聞いてなかったのか返事をしてくれなかった。
「エルマ、どうかした?」
「ううん。なんでもない」
否定しながらも、エルマは、どこかそわそわと落ち着きがない。
どうにも、さっきから頭に手をやってばかりいる気がする。
「エルマ、髪伸ばしてるのか?」
「違う! ただ、最近、忙しくて切りに行けてないだけだから。今日にでも、帰りに寄ろうと思ってたんだ」
「ふーん。でも、今日は中止にしてよ。どうせだから、お茶飲んで帰ろう。話もあるし」
「いいけど、ティアラも一緒に来てるんだろう。遅くなるのは、まずいんじゃないのか」
「それなら大丈夫。試験が終わるまで、サマンサ叔母さんとレイネがもてなしを担当してくれるから」
「え、レイネも? それって大丈夫なのか」
楽天家なアベルが心配するのは、気の強いレイネが好き嫌いをはっきりしているせいだ。
しかし、いくらレイネでも、サマンサの前では客人にきつく当たれないはずだとヨシュアは踏んでいる。
「一応、昨日は様子を探ってみたけど、のんきに楽しんでるみたいだったから、なんとかなってるんだろ」
「じゃあ、寄り道は決まりだな。授業も普通に出るんだろ」
ノリのいいアベルに、ヨシュアはもちろんと答えた。
そんなこんなで、波瀾万丈な人生のスメラギ・ヨシュアは、久しぶりに平凡な学生生活を堪能していた。
そして、改めて、やはり自分は大の女嫌いなのだとしみじみ実感していた。